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[Case 19]「日本人であること」を強く求められる仕事でした 能楽パフォーマー・日系運輸業・日本人社長秘書  MINAMI TOYAMA

プロフィール:早稲田大学を卒業後、東京の広告代理店に入社。5年ほど勤めたのち、ほとんど英語が話せないままシンガポールに渡り、背水の陣で現地での就職活動に挑む。現地採用としてシンガポール日本通運引越支店に入社。その後転職し、三井化学の子会社であるMitsui Elastomers Singapore Pte Ltdに社長秘書として勤務。また、幼少期から稽古している観世流能楽をシンガポールで披露する活動を意欲的に行っており、様々なイベントに出演している。座右の銘は『必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。』https://m.facebook.com/minami.sg
シンガポールで出会った日本人駐在員と結婚。夫の本帰国辞令に伴い退職し、日本へ転居。現在は京都で夫・娘(0歳)と共に、久しぶりの日本の四季を楽しんでいる。

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[Case 19]
「日本人であること」を強く求められる仕事でした
能楽パフォーマー・日系運輸業・日本人社長秘書 
MINAMI TOYAMA

初めて海外に行ったのはいつですか?

 5歳の頃、家族旅行でハワイに行きました。小学校入学前なので記憶もあまり定かではなく、浜辺でスコップを無くしたことくらいしか覚えていません。以降、シンガポールに来るまでは一切海外旅行も留学も経験がありませんでした。
 シンガポールに来た当初は、スーパーに行くことすら躊躇っていました。シンガポールではスーパーの店員も、英語と中国語のバイリンガルですからね。コミュニケーションを取るためには「ちゃんと」英語が話せないといけないと最初は思っていたので、英語すらおぼつかないことがとても恥ずかしかったんです。

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