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自宅で老衰のお看取り

結婚当初から同居していたので、姑との付き合いは実家の母よりも長くなりました。
「家族」なので、さいごまでお世話させていただくつもりではいて。

そんな姑を3年前に、自宅でお看取りしましたので、その時の体験を、こちらにも残しておこうと思います。(なので、年は当時のままですのであしからず)



義母は、認知症で要介護5の寝たきりになっていました。

ディサービスにはずっと通っていたのですが、食べれなくなると、ディでは受け入れてくれなくなるのですね。

ケアマネさんには、どうする?病院とか考えますか?とは聞かれたけれど
要介護5になって4年になるのかな?
ここまで、在宅で介護させてもらったのに
最後だけ、手を離すのもね。

認知症の介護でしたが、要介護5で寝たきりになってからの方が
正直、ずっと楽でした。
(姑亡きあとに、実母(動ける認知症の要介護5)を自宅に引き取ったのですが、動ける方は本当に大変です!)

現代、自宅で「老衰」のお看取りをさせてもらえるチャンスってなかなか貴重かも?とも思うのです。
まだ記憶が薄れていないウチに記録しておこうと、自分のブログに載せてあるのを、こちらに書き直して、再掲させていただきます。

義母の介護は9年目になるところでした。
ちょうど、あの3・11の翌年に、引っ越しをして完全同居になり、それで義母の認知症に気づきました。

最初は驚きの連続でした



その1年後に現在の場所に引っ越してもうすぐ8年。
4年ほど前に要介護5になりましたが、あっという間だった気がします。

ほぼ毎日ディサービスには行かれたし、自力では動けないので「行かない」とか「嫌」とかも無く、車椅子に移乗させて自動的に、有無を言わさずに連れていってもらえました。


去年の暮れだったか?、訪問クリニックの医師に血液検査してもらった時には
おばあちゃんが一番元気かも?というくらいに検査結果は良好でした。

なので、まだまだ、もしかして100歳までがんばれるのかな?と思っていました~。


それが、1月末に、急に尿が出なくなって。

で、また管つないでもらったけれど、それでも出なくて。

もしかしたら、腎不全、心不全になってるかも?という事でした。
ただ、今更病院連れていって検査したところで
治療できるワケでもなく、治療したからといって、動けるワケでも無いわけで。


なので、「そのまま見守り」を選択しました。

利尿剤も、出せるけれど、どうする?と言われて
夫と相談したところ、”体がもう尿を作れなくなっているのに、無理に絞り出すのも辛かろう”という判断。

先生も、利尿剤も良し悪しだからね、との事でしたので
薬も無しにして、抗生剤だけ、ちょっと飲んだかな~。


そしたら、10日?くらいしたら、突然自然に尿がど~っと出たんですよ。

チョコみたいな色でおののきましたが・・

それから、普通に出るようになり
出るようになったら、食欲も戻ってきて。

ケアマネさんと、あれ~?これはまたディサービスにも復活できるかも~?と。
(2月からは、食べれなくなっていたので、ディでは受け入れ不可になってました)


自宅での入浴サービスもお願いしたのだけれど
1回目は、もうこれで最後かもしれないから、バイタル良くなくてもお願いします!って事で入れてもらったのに。
週イチの入浴サービス、5回も入れてもらう事ができました。

       

(お部屋にバスタブを組み立てて、寝たまま入れてもらえるんですよ)


ただ、ケアマネさんに言われていたのは
もしかしたら、最期の方になると
毎日、便が出るかもしれないよ、という事。


今までは、看護師さんやディサービスで摘便や浣腸などで
うまく管理していただけて、
ウチでド~っと出ちゃうのは、まあ年に数回くらいなものでした。

あ、2月からディに行かれなくなってからは、時々出てたけどね。


けれど、人間って慣れるもんなんですね。


4年前に寝たきりになってしまった時は
わぁ~、おむつ替えどうしよう?と正直思っていました。


でもね、出ちゃったものは、キレイにするしか無いワケで。

他にやる人がいないので、覚悟が決まるというのか
やるしかないと思えば、出来るんですね。(手袋もあるので、百人力です!)



いっとき、食欲も復活したように見えたけれど
2月後半あたりから、また食べれなくなってきて
というか、ほとんど寝ていて、起きてくれなくなってしまって。

10口くらい食べたら、もう口を空けてくれなくなってきて。


ああ、とうとう、もうお別れが近いのかなぁと

だったら、好きなものだけ、食べさせてあげようと思うんだけど
冷凍してあった、お粥も食べて欲しいしね~、笑


夫は一人息子なのに、おばあちゃん、何が一番好きだったっけ?と聞いても
う~ん・・・て、出てこないのですよね。

息子って、そんなものなのでしょうかね?

結局、お汁粉ほんのひとくち舐めさせてあげれたのが最期になったかもしれません。



全く水も飲めなくなって9日目に、旅立ちました。


水も飲んでないのに、毎日毎回・・ウンがね、出てるんですよ。

最期に体の中から不必要なモノを出すらしいですよ、とは聞いたけれど
不思議ですね。

泥みたいな真っ黒なのが、ず~っと毎回出てました。
これが新生児の「胎便」とそっくりなんです。

この世での終りは、あの世での誕生。だと思うと、まんざら胎便っていうのも有りなのかも?とおもったり。


そしてね、毎日、身体が細くなっていきました。


お水飲めなくて、だんだん口開けて呼吸するので
口の中がガビガビになって可哀想でした。


ケアマネさんが、そういえば、スプレーしてた方がいたわ!と教えてくれたので
せっせとお口に水をスプレーしてみたりは、しましたけれど。

それから、点滴してみる?とも聞かれていたけれど

それも、辞めました。

自分から水分を断っているのに、無理に外から入れるのもどうかと思って。

そしたら、その方が痰も出なくてよかったようです。



そして、段取り上手だった義母は
見事に、段取りして逝きました。本当に見事に!

夫は、ほとんど、介護にはノータッチでした。
早い頃から、義母が夫の事を「へんなおじさんがいる」って具合で
わからなくなっていた事もあったのだと思います。

受け入れられなかったし、ちょっと適応障害グレーな旦那様なので、余計だったかもしれませんね。


もう、お別れなので
なるべく、見てあげてよ、と言っても、なかなか側にも来てくれませんでした。



それがね、亡くなる当日に、すぐ裏にからあげ屋さんがオープンしまして。
調子が悪い時の夫は「肉!」なんです。

で、お昼に彼の分だけ、唐揚げ弁当買いに行くね、と言ってました。
でも行こうとしたら、寝てる義母の呼吸音が、ちょっと変な感じがしたんです。

それで、2階にいる夫に声をかけて、ちょっと買い物行く間だけ、付いててね!とお願いしたの。


そして戻ってきたら、呼吸が止まっていました。
数分前に、最期に呼吸したのを、夫がちゃんとみていてくれました。


そして、その日は訪問看護師さんが来る予定の日で。
しかも30分後が予定時間だったので、電話したら担当の看護師さんが出て、すぐに飛んできてくれました。


まさか、真っ昼間とは予想していなかったので
本当にびっくりでしたが

水飲めなくなって9日もがんばってくれたので
その間に、ディのスタッフさんが写真持って会いに来てくださったりしました。


そして
もうひとつありがたかったことは。


ディのスタッフの皆さんが、おばあちゃんのおかげで
実地訓練ができました、と喜んでくださったこと。(こんな言い方じゃないですけどね!)

なかなか、ここまで寝たきりの方は、ディには少ないらしいんですね。


それで、最初は入浴なども、1人の方しか出来なかったのが、スタッフ皆が出来るようになったり
車椅子からの移動や、色々なお世話など
おかげさまで、とても勉強になりました、と言っていただきました。


しかも、おばあちゃんに癒やされました!って。


おばあちゃん、自分では何も出来ない、言えない、動けないし、何もわからない体になって
生きていて、何の使命があるんだろう?
私の為なのかな~?とは思っていたんだけれど


動けなくなってまでも、「人のお役にたって」くださっていました。
なんだか、それを聞いて
とっても嬉しくなりました。



何歳になっても、体がどうでも、見た目がどうでも
やはり命って、素晴らしいのですね。

生かされている事には、絶対意味があるのだと、気づかせていただきました。



本当に、ありがたい、貴重な経験をさせていただけたなぁと
思わせていただきました。

介護する方も、される方も。
介護しない人も、されずに終わる人も。
すべては、この世でのご縁、それぞれのお役目なのだと思います。

自分の目の前に出てきた事は、自分の人生に「必要な出来事」
そう思って、受け入れて来れたおかげで、何ごとがあっても、最初だけは「え~?」とは思うけれど、すべてが途中経過で、後には「良かったこと」に変わっていきました。

今年も終わろうとしています。
来る年が、すこしでも平和で、少なくとも、明るい楽しい部分を探せば、皆が平和に暮らせますように。



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