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独学力。 答えがないことに自分なりの答えを見つける。必要なのは手段ではなく目的なのかもしれない。

ここ最近のことだけど、中学生の頃の僕を知っている数人から別々のところで「てっちゃん頑張ってるよね、いろんなところで見るよ、ずっと続けるなんてすごいよね」って言われて、素直に嬉しかったんだよね。

始めた頃なんて「てっちゃん何やってんだろうね、何の意味があるんだろうね」なんてなんて言われてきたし、言われるってことはずっと思われてたかもしれない。冷ややかな目で見られたことなんて数えきれないくらいあった。

でもこうして形になっていくと間違えてなかったと思うし、学びを蓄積してきた分、他の人とは異質や差別化もしていると思う。

学校で教えてくれることは学校の範囲内で『これができたら良し』というルールに乗っ取り、それ以上の幅はないかもしれません。

『学校で頭が良い』と言われる子が「自由に考えてみて」と言われると頭を抱えてしまうってことがあるそうです。
与えたられた問題の正解を答えられるのは、先に答えがあるから。

答えがあるかわからないことに対してどうやって問いを答え解決するか、もしかしたら答えはないかもしれないし、やって無駄になる事もあるかもしれない。それが理由で挫折もしてしまう。

でも大事なのは無駄なことはないことと、無駄にしているのは自分ってこと。

7歳からマンガを描き始めてマンガ家にはなれなかったけれどそこまで勉強してきたことと、人生の経験してきたこと、そして何かを創造したり思考する『考える癖』はかれこれ34年やってきからこそ今の自分があると思える。
7歳のあの時『え?このマンガなら僕でも描ける』と思った勘違い、ここまでくると立派な勘違いだと思う。笑

ぶっちゃけ僕の中で答えはいくつもある。
けれどそれはどれもその自分になる手段になってしまう。
手段になるとやる気は失せるよね、続かなくもなる。
「自分が何をしたいのか」は意外とシンプルよ、続ける理由にもなる。

答えがないことに自分なりの答えを見つける。必要なのは手段ではなく目的なのかもしれない。


で、ですね…ここでプラスで問題を見つけました。それは、『自分が何をしていて何ができるのかをちゃんと説明していない、ちゃんと発信していない』こと。
長くなってしまうから今日はここまで。
また書きますね( ´ ▽ ` )アハー

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