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新興宗教三世に生まれて

何とも香ばしいタイトルだが、
先にお伝えしたいのは、今回の記事は
宗教を持つ家庭に生まれ育ったイチ個人の感情や苦悩を書き記していくだけの話だ。
勧誘目的や、何らかの思想の押し付け要素はないので
ご安心を(笑)。

最近、大きな事件があった。
事件を起こしたのは某宗教団体信者を親に持つ青年。
そしてそれが政治家と宗教団体との関わりを現す事態に発展している。

青年の行ったことについて、一切の肯定しないし
どんな理由にせよ、人が人の命を奪うことは絶対の許されない。

ただ、今回の事件を通して、私自身が自ら離れていた、
“生まれた時から信者になっていた”某新興宗教について改めて考える機会が増えた。

家族が新興宗教の信者であること。

それがどういう感覚なのか。
私は何を悩んでいたのか。

ここでは“生まれながらにして”私自身の意志を持たない内に新興宗教に所属させられ
日本での“宗教=アヤシイ”という雰囲気の中で様々なことを思い、考え、悩んだことを
心の整理の意味も込めて、記していきたいと思う。

※今話題の某教でないことは記しておくが、
何らかの思想家と勘違いされるのは本意ではないので
どの新興宗教かは記しません。ご了承ください。


開拓時代の祖父母、純粋な母、宗教


そもそも自身が宗教に入っていないと、宗教2世、3世という言い方はなじみがないかもしれない。
親が信者で子も信者なら子は2世、
祖父母、親、子と受け継いでいれば3世なんだけども
私はその3世だった。

しかも祖父母は某新興宗教が生まれてからまだ年月の浅い開拓期を生きた人なので
正直なところ、いわゆる活動家というか、強火(笑)信者だった。
宗教を広めていく活動を熱心にしていた世代だ。
特に祖父は極端なほど熱心だったため、おそらく周囲にいた人には強めの勧誘をしたり
信者同士でも活動に消極的な信者を良く思っていなかったようだ。
(祖父の元気な時代をあまり知らないのであくまで聞いた話だが)

そして祖父母の子供は3人いるが、その中で信仰をしっかりと受け継いだのは母だけだった。
母は良くも悪くもとても純粋な人だ。
母は信者同士や、信者以外の友人から金を巻き上げることも何かを売りつけることもしない。

びっくりするくらい純粋に、相手の幸せを祈っていて
その祈りを信仰で叶えている。

近所の人が大きな病気にかかれば、本気でお経をあげて回復を願うし
友人が大変な想いをしていれば、自分の時間を削ってでも話を聞きに行く。
その際、宗教勧誘はしない人だった。
というか、おそらく勧誘は一度もしていなかった気がする。
勧誘したい思いは持っていたようだったが、無理強いすることなく
本当に、本当にびっくりするくらい純粋に、その人の幸せを願っていた。
そのうえで、「信仰したら幸せになれるのにな・・・」と宗教を勧めたい思いを持っていたようだった。


私にとって厄介だったのはその母の純粋さだった。

家族がやっている宗教が犯罪を行っている組織だとか、
金銭的に信者を追い込むような宗教だった場合の方がもちろんもっと悲惨だと思うが
我が家のような本当に純粋な信仰をしていると、自分が信仰に不信感や疑問を持った際に
なかなか言い出せず、親の行っていることを否定することができず
私は私なりに思春期から30代になるまでずっと悩み続けていた。

祖父母や母にとって、某新興宗教は紛れもない素晴らしいもので
そして私自身もそう教えられてきた。
信仰とは生活の一部、人生の一部だった。

純粋な家族に教えられ、私はしばらくは母と同じように純粋な信仰生活を送っていった。


信じていたものを疑うこと

私は今でも信仰をすることそのものは全く否定的ではない。
ぶっちゃけ日本以外の国では何かを信仰している方がポピュラーだったりするし、
国や人種、民族に根付いている宗教も多くある。
元々は一つの宗教だったものがその場や時代によって分裂したり、独自の発展を遂げたものもあり、
宗教というものを掘り下げていくとどんどん深いところまではいっていく。
タイの仏教やバリのバリヒンズー等、信仰が特別な行為ではなく生きていること自体が信仰というくらい
生活に根付いている宗教も多い…というより、それが一般的な国も多い。

それを学んだわけでもない人が、宗教イコール怪しいと位置付けきってしまうのを見聞きするたびに
私はいつも少しずつ傷ついていた。
新興宗教といっても、様々なものがある。

残念ながら、確かに明らかに怪しいものもたくさんある。
そもそもの信仰対象がよくわからんイチおっさんおばさんのものもあれば
昔からある宗派の分裂した一部として生まれた新興宗教もある。
前者と後者は全く異なる性質だが、総称は同じ“新興宗教”だ。

よくわからんイチ人間を信仰して犯罪をおかしたり、金銭的に人を追い込むようなものと宗派として歴史のあるものを一緒にされるのはつらいものがあった。
だから宗教の知識のありそうな人にはカミングアウトしていたが、怖い、怪しいと言われそうだな~という人には
宗教家庭(特に新興宗教なので余計に)で生まれ育ったことを告げることはできなかった。

実際にお付き合いしていた方にカミングアウトした途端、別れ話を持ちかけられたこともあったし
あからさまにウワァ…という顔をされたこともあった。
私は勧誘する気など一切ないのに、ヤバイ勧誘しないで!と拒絶されたこともあった。

そのたびに私は言わなきゃよかったと何度も思ったし、何故他の人が体験しなくて済むつらい思いを私は体験しなければならないのかと恨めしく思ったこともあった。

思春期から社会人にかけて、私は自分の家族が純粋に行っていた信仰が
世間では怪しいと呼ばれることを知り、悩みや疑念を感じるようになってくる。

一応宗派について勉強させられたので
仏教の教え、文化についてを知れたことは学びになったが
私が疑念を覚えるようになったのは「組織」だった。

そもそも信仰が即人生の一部として成り立っている国がたくさんあるにもかかわらず
組織に属し、組織の中の幹部と呼ばれる人たちの言うことを聞いたり
時には何らかのノルマ的なもの(細かいことを言うと色々バレそうなので濁します)を与えられたり
信仰度合いを量られたりすることが宗教を信仰することに必要なのか?と考えるようになった。

強火幹部によっては信者が恋愛することを罵る人も見た(自由恋愛禁止の宗教ではない)。
要は恋愛することで信仰がおろそかになるから別れろと言っていたのだ。
信仰対象が仏神ではなく、幹部の一番偉い人だと勘違いしているような人も見かけた。
「あの大幹部さんのために信仰しろ」という空気が漂っているのも何度も感じた。
大幹部さんの前ではこういう服を着ろ、こういうメイクをしろと指示もあった。

そういったことを何度も体験し、私は、信仰すること=組織に縛られることではないと考え始めるようになった。
そして、組織から距離を置くことを決めた。
その頃私は20代後半だったが、完全に距離が置けたな、と思えるまで10年もの年月を要した。
私は親と縁を切るつもりはなかったし、親の信仰を否定する気はなかった。

ただ、私がそう決めた、それだけだった。


家族の信仰に悩んでいる方へ

そもそも私がこの記事を書こうと決めたのは、最近のニュースで話題の某宗教の2世の方が
強制的に組織のルールを守らされることから逃げたというインタビューを見たからだった。
(遠回しに書いているが要は○○結婚から逃げたって話です)

その2世の方は組織の呪縛から逃れることのできた現在に安堵していたが
同時に今自分が感じている幸せな生活を家族が認めてくれていないという苦悩を明かしていた。

私はその方とは別の宗教だが、どこか通ずるものがあり
ああ、自分がこれまで感じてきたことを書いてみようと思ったのだ。

信仰の自由というのは、信仰を「する」自由でもあり「しない」自由でもある。
家族は大事だ。
けれど、信仰や組織に苦しい想いを感じている2世3世(4世も5世も6世も…)の方がいれば
一度、外側からその組織を見てみてほしい。
単純に怪しいと言われてるかどうかなんて話ではなく、
どういった性質を持っているかを冷静に見て、そして「自分で決め」ていいと思う。
信仰してもいい。
しなくてもいい。
ただ、家族がしているからしなければいけない、という考えから抜け出すことは決して悪ではない。

無宗教の人の生き方、他宗教の人の生き方を眺めてみるのも良い。
私は組織に縛られ苦しかった時、無宗教や他宗教の友人がどのように幸せを感じているかを眺めていた。
その中でだんだん自分の信仰に対する考えが定まっていったように思う。

我が家よりももっと悲惨な組織(言い方…)の家族を持つ方は、よりしんどい想いをしているかもしれないし
逃げたくても逃げられない方もいるだろう。
でも信じることも信じないことも、皆に与えられた自由なのであり
それは家族であってもその自由を邪魔することは本来すべきではないはずだ。

いま宗教組織に苦しい想いをさせられている方が
いつか、自分の選択をきちんとできる環境に行きつけることを願ってやまない。

これからの「私と宗教」

いま、私は”宗教というもの”と決別したかというと自分でもよくわからない。
まずは組織から離れるという第一段階クリア、程度のところにいるだけだ。
他の宗教のことも知らないことだらけだ。
そして無宗教で生きるという生き方もしたことがない。
ちょっと臭い言い方をするなら、旅に出ている途中というところだろうか。
(うーん臭い。獣系とんこつくらい臭い)

でも少なからず「自分で選択する」ということだけは決めている。

生まれながらに一つの宗教に所属することとなった私は逆に知らない世間のこともたくさんあるから、まずは知識を深めていきたいと思っている。


そして縁あってこの記事に辿りついて下さった方々
宗教のことなど一切関わりがなかった方も多いと思う。
もしこの先、友人などから勧誘目的や思想強要ではなく
自分はこういう家庭で育ったという信仰についてのカミングアウト、勇気を持った告白を受けた際は
怪しいという感情だけで終わらせないであげてほしい。
べつに理解しなくていい、共感しなくていい。寄り添わなくていい。

その人の家庭と信仰についてはその人自身が向き合うものだから。

ただ、その人が素敵かどうか、いい奴かどうか、オモロイ奴かどうか…
そんな風にそれまでと変わらずその人自身を見てあげてほしい。
それだけで救われる人がたくさんいると思うのだ。


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いつもとテイスト変わっちゃった~!
次回はまたアイドルについて書きます~

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