ベンジャミン・バトン

年老いて汚くなって死ぬのが幸せだ

 老人の姿で生まれた赤ちゃんが、捨てられ、施設で育てられる。老人の赤ちゃんは、見た目はしわくちゃだが中身は生まれたて。脳の成長とともに、体が若返っていく。

この老人赤ちゃんは、適度に成長し若返った頃、当然のことながら恋をする。結婚する。そして子どもができる。老人赤子は、わが子が自分のような奇妙な存在になるのではないかと不安にさいなまれる。

そこで妻が言ったのが、「目が見えない人は父親になれないの?」。

 自分も父親になる時、すごい不安に襲われた。ろくに稼ぎもなくて育てられるのか。そんな人間に、人の親になる資格があるのか。お風呂に入ってて、涙が出てきた。

この時、老人赤子の妻が言ったことは、目の見えない人、指のない人、学歴のない人、色の違う人・・・、とにかく自分が人より劣っていると思う人なら、誰の胸にも響くことだ。人間誰でも自分のどこかに劣等感を持っているから、あらゆる人の胸に響く。だからこの作品は、設定のおもしろさだけでなく、多くの人に評価されたのだろう。

 欠点があったって父親になれる。その言葉を老人赤子は、素直に信じられず、出奔してしまう。弱気になっている時は、そんな人の思いを踏みにじるようなことをしてしまうものだ。悲しいけど、リアルに感じる。

 老人赤子は、その後も脳が老化し体は若返っていく。体が子どもになり、頭は老齢化した子ども老人は、かすかに記憶が残っていた施設に連れていかれる。そこに訪ねてきた妻が、赤ちゃんの姿になった高齢の夫を世話をし、その腕に抱かれたまま子ども老人は息を引き取る。

 赤ちゃんが死ぬのは、たとえ作り事の映画の中の出来事でも悲しい。子どもの病気や死は、世の中の悲惨の中でも最上位だ。やはり人は、年を取って、見苦しくなり、偏屈になり、人に迷惑をかけ、死ねばいいと人も自分も思えるようになって死ぬのが一番いい。それが自然で、おそらくそう思うように人はできているから、ハリのある肌を美しく、しわくちゃの顔を醜く、感じるのだろう。「絶対死んではいけない教」が世界に広まっているから、長生きしようとか、年をとっても元気で美しくとか思うけど、身も心も適当に汚くなって、みんなが心穏やかに死ねるのがいいのかもしれない。


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