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【小説】有明の月(全52話)

第1話
 
高1の東山ひがしやま鈴花すずかは校舎の3階にある教室の窓際の席で学年最後の授業を受けていた。
鈴花の担任で国語教諭の藤田ふじたまりが教壇から
「今年度最後の授業はここまでーと言いたいところだけど、今から春休みの宿題を配ります。」
男子生徒がおもむろに口を開いた。
「は?!宿題?春休みに宿題なんて聞いたことないよぉ!」
まり花は明るくさらっと答えた。
「そう!たいがいの先生は春休みに宿題は出しませんよね。でもこのしょうきん高校で古文を教えているのは私だけ。だから特別なことでもない限り、みんなが2年生になっても古文は私が持ちます。ということで宿題ね。」
教室がざわついた。
「えー何それぇ!そんな理由で宿題出されるの?」
「私たちの大切な青春の時間を奪わないで下さいよー。」
「そうですよ先生!高1の春休みは今しかないんですから。」
まり花は何も聞こえないかのような素振りで最前列の生徒達の机に人数分のプリントを配り終えると教壇に戻った。
「はいはい。みんなの意見は充分に受け止めました。他に何か言いたい人は?」
笑顔でかわされた生徒たちはしぶしぶプリントに目をやった。がっかりして机に突っ伏している生徒もいる。まり花は続けた。
「まずはこの短歌を、、、」
まり花は言いながら教室全体を見渡し、校庭を眺めている鈴花に目を留めた。
「東山さんよんで下さい。」
鈴花は慌てて立ち上がった。
「は、はいっ。えーっと、、、」
 
—いまんと ちぎりしことはゆめながら たる 有明ありあけつき— 「新古今和歌集」恋四
 
歌の意味はわからなかったが、鈴花はよんだ歌の美しい響きに心が吸い寄せられるような感覚に包まれていた。その様子を見ながらまり花が言った。
「はい、東山さんありがとう。この歌がよまれた平安時代って、今と違ってまだ通い婚の時代だったんです。通い婚っていうのは男性が女性のもとに通う当時の婚姻スタイルのことです。男性が通っている女性に『近いうちにまた会いに行くからね。』とよんだ歌を受けて、女性が月を見ながら首を長くして待っている時によまれた歌です。この歌は、『あなたがまた会いに行くからねと約束してくれたことは夢に終わってしまったけれど、夢に終わった夜に似ている有明の月が今日も出ている』っていう意味なんです。月がとても物悲しい雰囲気を感じさせる歌だなぁって私は思います。ところでみんなは有明の月って知ってますか?」
男子が言った。
「有明海から見える月のこと?」
「あぁそうね。ここに住んでいると有明海をイメージするかもしれないね。『有明の月』っていうのは明け方になっても空に残っている月のことなの。名前の由来は『夜が“明”けてもまだ空に“有”る月』の意味からきてると言われています。満月より後の月を指します。」
女子が言った。
「あぁ、昼間でも月が出てる時ってありますよね。」
「そう、その月のことです。では皆さん、春休みにこの和歌をじっくり味わって感想文を書いてきて下さい。来年度の最初の授業で提出してね。」
 
 
第2話
 
放課後、鈴花はクラスメイトで幼なじみの美代子みよこ理絵りえと一緒に校門を出た。
3人で帰る時は学校の隣にある臥竜ヶ岡がりゅうがおか公園や事比羅ことひら神社のベンチで喋るのが定番のコースだった。口火を切るのは決まって美代子だ。
「ねぇねぇさっきの短歌、なんだか切ないよねぇ。私はハッピーエンドがいいなぁ。」
続いて理絵が言った。
「結ばれない恋ってところがいいのよ。自分だったら嫌だけどね。アハハ。すずちゃんどう思う?」
「そりゃハッピーエンドがいいけど、でもあの歌めちゃくちゃ綺麗じゃない?私、よんでる時にスーって心が吸い込まれそうになっちゃった。」
「吸い込まれそうって、歌に?」
「うーん。歌の世界観なのかなぁ。なんとなくね。」
その話を聞いた美代子は幽霊のポーズで理絵の背後に忍びよると、理絵の肩の上から顔だけ出して鈴花を恨めしそうに眺めると
「失恋した女の霊だったりして〜。鈴花は幽霊に吸い込まれましたって感想文書いちゃえば?」
「もう!美代ちゃんじゃあるまいし。」
「美代ちゃん最近ますます霊感強くなってるらしいよ。キャー!!」
「アハハハハ。」
「アハハハハ。」
ひとしきり笑った後、3人はつぼみが膨らみかけた桜の木を横目に坂を下って帰宅した。
 
「お父さん、ただいまー。」
「おかえり鈴花。今日久しぶりにあっちの蔵を開けたんだよ。」
「あっちって茅葺きの?何かあったの?」
「午前中に区長さんから電話があってさ、筒井家に人が来てるんだって。」
「移住体験の人?」
「うん。東京の脚本家らしいよ。町の昔のことを調べてるんだって。」
「へぇ、脚本家なんて珍しいね。しかも東京からわざわざこんな田舎に来るなんてね。」
「その人が、筒井家の隣にあるうちの蔵を見てみたいって言ってるらしい。だから雨戸も全部開けて風通したんだよ。」
「そうなんだ。で、お父さんその人に会ったの?」
「いや、見に来るのは2〜3日後って言われた。」
「ふーん。」
「あ、そうそう、戸を全部開けたらツバメが入って来たんだよ。」
「あぁ、蔵の中に巣があるもんね!」
「ちょうど池田のおばちゃんが通りかかってさ、ツバメが来る家は縁起がいいって言ってたよ。」
「わぁ!マジ?なんかいいことあるかもね。あーお腹すいたぁ。お母さんは?」
「病院に行った。買い物してから帰るって。もう帰る頃じゃないかな?」
 
「ただいまー。」
「あ!お母さん、おかえりー。今日ご飯なぁに?」
「今日はねぇ、すずの大好きなコロッケだよ。」
「やったぁ!私も手伝う。着替えて杏介きょうすけにエサあげてくるね。」
「キョ・ウ・ス・ケ・ただいまー!」
 
 
第3話
 
鈴花がゲージの扉を開けると、待ち構えていたうさぎの杏介が勢いよく飛び出した。鈴花は杏介を抱き上げ体を撫でながら話し始めた。
「今日ねぇ、古文の時間に和歌をよんだの。言葉の響きがとっても綺麗な歌でね、結ばれない恋の歌みたいだけど寂しい感じは全くしなくて、むしろ歌の世界に引き込まれちゃった。」
鈴花はリンクスと呼ばれる杏介の毛の色をとても気に入っている。杏介は鈴花に撫でられると気持ち良さそうに目をつぶった。安心しきった様子の杏介を撫でながら鈴花は続けた。
「筒井家に東京から脚本家の人が来てるらしいよ。その人が隣にあるうちの蔵を見たいんだって。お父さんが久しぶりに蔵の戸を全部開けたらツバメが入って来たんだって。ツバメが来る家は縁起がいいんだって。近いうちにいいことあるかもね。」
鈴花は杏介をゲージに入れ、エサと水を準備して扉を閉めた。
「お母さん、お待たせー。」
「すず、もうすぐコロッケ揚がるからキャベツの千切りお願いね。」
「はーい。」
 
庄金にある酒蔵、又七またしち酒造を経営する東山家は5人家族。又七酒造の三代目で鈴花の祖父・えい。多栄の妻・たん。多栄と牡丹の娘で鈴花の母・ぎく。野菊の夫で鈴花の父・りんろう。それと鈴花。多栄が引退した現在は、婿養子の麟太郎が蔵を継いでいる。
 
鈴花は手際よくキャベツを切り終えると、あっという間に大きなボウルいっぱいになった5人分の千切りキャベツを食卓に運んだ。先に食卓についていた牡丹が言った。
「いつも思うけどすずちゃんの千切りはホント上手よね!」
「ありがとう、おばあちゃん。一応調理科に通ってますからね!この前学校で三者面談があってね、高校卒業したらうちのお酒を出してるレストランで働くってお父さんと約束したの。」
そこへ麟太郎がやってきた。
「おいおい、そういう話じゃなかっただろ。うちの酒を出してる店に就職できなかったら杜氏とうじになって蔵を継ぐって約束したんですよ。」
鈴花が言い返した
「それはお父さんの意見でしょ。そういうことなら私に杜氏っていう選択肢はないからレストランに就職するつもり。調理実習もがんばってるもんねー。」
麟太郎をなだめるかのように牡丹が言った。
「麟太郎さん、すずちゃんは女の子なんだし、無理して蔵で働かせなくてもいいんじゃない?すずと結婚する人があなたと同じようにうちを継いでくれるかもしれないし。」
その話を横で聞いていた野菊は呆れて言った。
「もう!お母さんも麟太郎さんもいい加減にして。なんとかしてすずに継がせたいのはわかるけど、すずの人生なのよ。私たちが決めることじゃないでしょう。」
「いや、これは俺と鈴花の約束だから。な!鈴花。」
 
 
第4話
 
数日後、いつになく機嫌のいい麟太郎を見て鈴花が言った。
「お父さんどうしたの?何かいいことでもあった?」
「東京から来た人に会ったんだよ。この辺をあちこち散歩してるんだって。鈴花も見かけたらすぐにわかるよ。」
「なんで?」
「見た目が全然こっちの人じゃない。」
 
「それで?お父さんはなんで嬉しそうなの?」
「蔵を見せた時にうちのことをちょっと話したんだよ。今はこうが売れてるけど、いつどうなるかわからないって。そしたらその人に言われたんだよ。『自分の蔵のことだけ考えてると不安になりますよね。業界全体を見て下さい。全国の酒蔵を儲けさせるんです!』ってね。いやぁ俺は目が覚めたね。でっかいハンマーで頭をガツンと殴られた気分だよ。あぁ俺は今まで何やってたんだか。全国の酒蔵が儲かる秘策も教わった。イナリだよ。イ・ナ・リ。この町の酒蔵、いや、全国の酒蔵が助かるよ。これでうちの蔵も安泰だ。鈴花、なんか欲しいモンあるか?今なら何でも買ってやるぞ?」
 
「は?お父さん何言ってんの?そんな都合のいい話あるわけないでしょ!」
「その先生が小説塾やるって言うから茅葺きの蔵を貸すことにした。」
「ええっ?!今日会ったばっかりの知らない人に貸して大丈夫なの?!しかも小説塾なんて。知ってるでしょ?浜には本屋もないんだよ!小説書きたい人なんか集まるわけないじゃん!お父さんはすぐうまい話に飛びつくんだから。」
そう言いつつも、鈴花は麟太郎の明るい声とやる気に満ちた様子が嬉しかった。
 
又七酒造は創業120年。
その昔、地域の名士と呼ばれた鈴花の曾祖父、初代・東山又七は、丁稚奉公から始めて蔵を大きくした。三代目の多栄に息子がいなかった為、娘の野菊と結婚した麟太郎が蔵を継いでいる。又七酒造にはヒット商品、銘酒『降魔』がある。麟太郎は降魔の売り上げと蔵人たちに支えられて今日までやってきたが、もともと社長の器などない父親が、常に重いプレッシャーを背負っていることを鈴花は感じていたからだ。
 
「だけどまさか東京の人が来るなんてね。移住ってことはずっと暮らすわけでしょ?住むとなったら何にもないのにね。都会と違って不便だろうし。」
「それが、ずっと住むけどずっと居るんじゃないらしい。こっちに家を持っておいて、1年に1回来るんだって。」
「あーなるほどね。普段は東京にいて、1年に1回来るってことか。都会の人が佐賀の田舎暮らしに憧れるって、この前テレビでやってた。」
「いや、それが違うんだよ。全国に家を持ちたいんだって。『多拠点移住』とか言ってたな。」 
 
 
第5話
 
鈴花の通う庄金高校は臥竜ヶ岡のてっぺんにある。
校舎からは肥前浜のまちなみや浜川、有明海までが一望できる。校舎の東側に隣接する城の上からの見晴らしも美しい。ここは鎌倉時代に築かれた臥竜城の城跡で、浜橋のたもとから100段はあろうかという石段を登ると「城の上の金毘羅さん」と呼ばれる境内があり、その中心に事比羅神社がある。校舎の南側には150本もの桜が植えられ、鹿島の桜の名所として知られている。
天気のいい日にうさぎの杏介をこの辺りで遊ばせながら、景色を眺めるのが鈴花のお気に入り。
咲き始めた桜の下を通って事比羅神社の方へ登って行くと、ちょうど学校の東門から出てきた担任の藤田まり花とばったり会った。
 
「あ!まり花先生、こんにちは!」
「あら東山さん、こんにちは。ひとり?」
「うさぎの散歩です。学校の周りは原っぱがたくさんあるから、いい散歩コースなんです。あそこにいますよ。」
「うわぁ!かわいい。」
「先生はどうしたんですか?」
「事比羅神社の東屋あずまやで待ち合わせなの。知ってる?東京からいらしてる脚本家の先生。」
「はい、父から聞きました。筒井家で移住体験してるんですよね?」
「そうそう、その先生がね、町の人たちに昔の話を聞いてるそうなんだけど、言葉がわからなくて聞き取れないんですって。それで私から話してもらえないかって、庄金の区長さんからお電話があったの。」
「そうなんですか。」
「私は生まれも育ちもここじゃないから庄金のことはよく知らないんだけれど、通訳してほしいんですって。それで、まずはその先生とお会いすることになったの。」
「その脚本家の人、筒井家の隣のうちの蔵で小説塾を開くみたいですよ。」
「え?小説塾?楽しそう!私も入れるのか聞いてみよっ。」
「先生、小説書くんですか?」
「ちょっとした趣味なの。国語教師っていう仕事柄、文章を読んだり書いたりする機会は多いからね。ところで東山さん、春のダンスコンテストは出るの?」
「はい!出ます。浜の高校生以下のグループです。春休みだから毎日練習やってますよ。」
「実は私も女性の先生方で踊ることになってね。チーム名は庄金エンジェル。」
「エンジェルって、マジですか!フフフ。じゃあライバルですね!アハハハ」
 
タン タン タン タン タン タン…
そこへひとりの男が颯爽と現れた。長くて急な階段を登って来たとは思えないほど軽やかな足取りの男は、正面に神社を見つけると歩み寄った。
鈴花はこの男を見た瞬間、東京から来た脚本家であることがすぐにわかった。
男は事比羅神社に参拝すると、周囲を見渡し鈴花とまり花を見つけて近づいてきた。
「フジタマリカさんですか?」
「はい!そうです。」
 
 
第6話
 
男はジャンポールゴルチェのランダムチェックのジャケット、アントニオミロのブラウンのパンツ、ポルシェデザインのスニーカーを軽やかに着こなしている。
鈴花が今までに見たこともない都会風ないでたち。端正でありながら優しい顔立ち。男が近づいて来るにつれ、鈴花は緊張と興奮で体がこわばり顔が熱くなっていくのを感じていた。
 
「こんにちは!初めまして。」
男はまり花と鈴花に爽やかな笑顔で話しかけた。
「初めまして。藤田と申します。ようこそ鹿島へお越し下さいました。先生にお会いできるのを楽しみにしておりました。」
まり花も嬉しそうに話している。
「こ、こんにちは、、、。東山です、、、。」
鈴花はドキドキする気持ちを抑えながら、か細い声でようやく挨拶した。
「この辺りはもうご覧になられたんですか?」
「はい。鹿島に着いた翌日に、観光協会の会長さんがご案内下さったんです。」
「そうですか。鹿島はいかがですか?」
「とてもいいところですね。町並みの雰囲気がいいですね。それにあたたかい方が多いですね。僕たちが鹿島に来てすぐに町の方々が歓迎会を開いて下さったんです。」
「それは良かったです。茅葺き屋根の家はいかがですか?」
「とても気に入っています。僕はもともと古い建物が好きなんですけど、茅葺き屋根の家は創作意欲が湧いてきますね。感性が刺激されるのかもしれませんね。」
楽しそうな2人の会話を聞きながら、鈴花はさりげなくまり花の後ろに隠れた。東屋のベンチに移動してからも、鈴花はただその場にいるのが精一杯だった。
 
「この町の歴史を調べてらっしゃるんですよね?」
「そうなんです。実は「有明の月」というタイトルでこの町を舞台とした小説を書きたいと思いまして、近隣住民の方々にいろいろとお話をお聞きしてるんです。皆さん親切に教えて下さって嬉しいんですけど、言葉がなかなか聞き取れないんですよね。それを区長さんにお話ししたら、藤田先生をご紹介下さったんです。」
「わぁ!小説を書かれるのですね!私はこの町の人間ではないので町のことはよく知らないんですけれど、佐賀弁の通訳でしたら何とかなるかなと思ってお引き受けしました。」
何か話したい。でも何を話したらいいかわからない。そんな鈴花の様子を見たまり花は、鈴花に微笑みかけながら鈴花の言葉を代弁するように言った。
「小説塾もなさるとお聞きしました。」
「はい。お借りしている移住体験施設のお隣に東山さんという方の蔵があって、ご厚意でその蔵を使わせていただけることになったんです。」
鈴花の体がピクッと動いた。そのはずみで鈴花の膝に乗っていたうさぎの杏介が飛び降りて男に駆け寄った。
「あ!キョースケッ!」
男は足元にいる杏介を撫でながら
「キョウスケ君っていうの。かわいいね。キョウスケ君。あれ?うさぎのキョウスケ君?あ、もしかして東山さんの娘さんですか?」
「は、はい!」
 

第7話
 
「先生〜!」
「あ、きょうかさん!こっちだよ。」
また1人、浜では見かけない女性が現れた。鈴花は、脚本家と一緒に東京から来た女性がいると父が話していたのを思い出した。女性に手を振りつつ脚本家が言った。
「一緒に来ている岩桔梗花いわぎきょうかさんです。」
「初めまして。いわぎきょうかと申します。庄金高校の藤田まり花先生ですね。お世話になります。えーっと、こちらは、、、。」
「東山鈴花ですっ。庄金に住んでますっ。まり花先生のクラスの生徒ですっ。私はたまたまうさぎの散歩をしていましたっ。」
今度は鈴花の口から早口言葉のように次々と言葉が飛び出した。まり花はまぁまぁと言わんばかりに鈴花のことをきょうかに話した。
「鈴花さんは、先生が小説塾を開かれる蔵の、東山さんの娘さんなんですよ。」
「そうですか。鈴花さん、よろしくお願いします。」
「はいっ!お二人のことは父から聞いていましたっ。よろしくお願いしますっ!」
全国を旅して鹿島に来たこと。鹿島をとても気に入っていること。旅をしながら小説を書いていること。茅葺き屋根の家は雨でも音がしなくて仕事がはかどること。矢答やごたえ展望所で有明海を眺めていたら、月が海に反射して映る情景が頭に浮かんだこと。「有明の月」というタイトルで、この町を舞台に小説を書くこと。小説のあらすじが既に完成していること。
あっという間に意気投合して盛り上がる大人達とは対照的に、鈴花だけがほとんど話せないまま解散となった。
 
鈴花が帰宅すると、牡丹が大騒ぎしていた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「すず、おかえり。東京から来た作家の先生達が、、、」
「ああ、さっき事比羅神社で会ったよ。うちの茅葺きの蔵で小説塾するんでしょ?」
「先生に会ったの?あのお方、スパダリよねぇ〜!」
「スパダリ?何それ。」
「見た目が良くてオシャレでしょ、それでいて話したら面白いでしょ、頭はキレるし優しくて頼もしいでしょ、おばあちゃん達の世代はね、ああいう人をスーパーダーリンって言うのよ〜!おじいちゃんも『あの作家先生は目が違う!』って言ってたのよ。それであの人達がね、塾だけじゃなくてあそこに住むって言うのよ。あのホコリだらけの物置に。もう、かわいそう!麟太郎さん、せめて家具を揃えてあげてちょうだい。塾の看板は?そうだ、うちの看板書いてくれた書道家の人、あの人に頼んでみて。生徒さんはどうするのかしら。あ!そうそう、みどりおばさん。いつかきちんとした自叙伝を書きたいって言ってたのよ。今は壁新聞にして家に貼ってるんですって。野菊、今すぐ翠おばさんに電話して誘ってあげて。自叙伝かぁ。本当は私も書きたいんだけど。まずは蔵を掃除しなくちゃ!ほら、鈴花も手伝って。もたもたしてる暇ないわよ!」
 
鈴花があっけにとられていると、麟太郎が言った。
「鈴花、先生の小説塾を手伝ってあげて欲しいんだよ。」
「えっ?ああ、いいけど、、、。でもこの町に小説書きたい人なんかいるのかな?」
思いがけない麟太郎の言葉に、鈴花は内心嬉しかった。
鈴花の心配をよそに、小説塾は牡丹の迫力で2週間後に開催されることとなった。
 
 
第8話
 
茅葺きの蔵では小説塾の準備が進んでいた。
「きょうかさん、こんにちはー!お掃除に来ましたぁ。」
「すずちゃん、こんにちは!昨日はありがとう。今日もよろしくね。」
「これ、おばあちゃんから差し入れです。親戚からもらったみかんと奈良漬けです。」
「東山さん、こんにちは!」
「あ、まり花先生もいらしてたんですか。」
「昨日、先生ときょうかさんと夕食をご一緒させていただいてね。話が弾んですっかり遅くなっちゃって、こちらに泊めていただいたの。」
「そうだったんですか。あれから盛り上がったんですね!」
「先生ときょうかさん、全国を旅してらっしゃるからお話が本当におもしろくて。」
「先生がお休みになった後も女同士でしばらく話しましたよね。まり花さんと私、共通点がいっぱいあったの。」
「わぁ!いいなぁ。女子トーク!楽しそう。アハハ。」
「きょうかさんのお話で一番びっくりしたのはね、先生って全国各地に奥様がいらっしゃるそうよ。その女性たちがみんな仲良しなんですって!写真をたくさん見せていただいたんだけど、皆さん笑顔がとっても素敵なの。私もお仲間に入れてくださいってお願いしちゃったわ。」
「え?」
ポカンとする鈴花に、きょうかはスマホを取り出しながら優しく言った。
「先生は愛妻家でね。女性たちひとりひとりをとても大切にされているのよ。」
まり花が続けた。
「先生は愛妻家であることは間違いないけれど、あえて言うなら多妻家ね。」
きょうかのスマホに保存された写真には、全国の美しい風景をバックに脚本家と女性たちが写っていた。その笑顔に鈴花は一瞬にして心を奪われた。
「わぁ。きれい、、、。なんか先生って別世界の人みたい。なんでこんな田舎に来たんだろうって思います。」
「すずちゃん、鹿島はとても素敵なところよ。湧き水が美味しいし、農作物も海の幸も美味しいし、何より親切な人が多いよね。あれ見て。ご近所の方からのおすそ分け。すずちゃんのおばあちゃんが看板をかけてくださってから、ご近所の方々が毎日いらしてるの。」
きょうかが指をさした先に、玉ねぎが山積みになっていた。
 
「ただいま。戻ったよ。」
「あ、先生お帰りなさい。すずちゃんが手伝いに来てくれました。」
「鈴花さん、こんにちは。」
「こんにちは。」
脚本家はかばんから名刺を取り出すと、優しく微笑みながら丁寧に会釈した。
「自己紹介がまだでしたね。改めまして、岩清水緑風いわしみずりょくふうと申します。」
「あっ、はいっ、知ってますっ。えっと、あの、、、東山鈴花ですっ。」
家族のこと、学校のこと、将来のこと。鈴花はいつのまにか時間を忘れて脚本家に話していた。
「あっ、すみません。自分のことばかり話してしまって。先生の小説塾を手伝ってって父に言われたんですけど、私、何をすればいいですか?」
「手伝ってくれるの?ありがとう。せっかくだから鈴花さんも小説書いてみたら?」
「え、小説なんて書いたことないし、、、。何書けばいいのかわからないです。」
「ちなみに翠おばさんという方は、自叙伝を書かれるみたいだよ。」
「あ、そう言えばうちのおばあちゃんが『私も本当は自叙伝書きたい』って言ってました。」
「じゃあ、牡丹さんの伝記を鈴花さんが書いてあげるっていうのはどう?」
「それでいいんですか?それならおばあちゃんに思い出を聞きながら書けるかも、、、。」
 
その夜、帰宅して夕食を終えた鈴花は、うさぎの杏介に今日の出来事を話していた。
「前にお父さんが岩清水先生に仕事の話を聞いてもらったって言ってたけど、お父さんが話せた理由がわかった気がする。私もいつの間にか先生にいろんなこと話してたの。ねぇ杏介、先生って多妻家なんだって。あの写真の多妻さんたち、本当に楽しそうだったの。まり花先生も仲間になるんだって。いいなぁ。」
その時、区長がやって来た。
「こんばんはー!夜分にすみませーん。鈴花ちゃんはいらっしゃいますか?」
 
 
第9話
 
「鈴花ちゃん、明日は時間あるかな?」
「区長さん、こんばんは!明日ですか?はい、空いてます。」
「実は明日の午前中、移住体験中のお二人を案内することになったの。いわぎさんから鈴花ちゃんとすっかり仲良しになったと聞いたもんで、4人で周れたらと思ってね。」
「行きます!行きます!昨日も今日もきょうかさんとずっと喋ってたんですけど、すっごく楽しかったんです。きょうかさんと先生、春の間しか鹿島にいないみたいだから、いる間にたくさんお話聞きたいです。明日はどこに連れて行くんですか?」
七浦ななうら與右衛門よえもん邸って知ってるかな?茅葺き屋根の茶室とか広いお屋敷のあるところ。じゃ、10時にうちに集合ね。よろしくね。」
 
翌日、4人は区長の運転で中村なかむら與右衛門よえもん屋敷を訪れた。L字型の堀のある邸宅には公道から橋がかかっている。門をくぐると当主が出迎え、茶室、庭園、和室、洋室と案内された。屋敷を出た4人は区長の車に乗り込み、車が走り出すと脚本家が言った。
「区長さん、ありがとうございました。茶室はいいですね。最近倉庫から出てきたという古い物もいろいろ見せていただきましたよ。」
「中も見せてもらえて良かったですね。まだ時間があれば他にもご案内できますけど、鹿島高校の赤門はご覧になりましたか?」
「いえ、まだ見てないです。」
「あの辺りも桜の名所なんですよ。行ってみましょうか。」
「はい。お願いします。」
鈴花が言った。
「七浦にあんなところがあるなんて知りませんでした。先生ときょうかさんが鹿島に来なかったら、私があそこに行くことはなかったかもしれません。」
きょうかが言った。
「地元ってそんなものですよね。私は父の仕事の都合でパリ生まれのパリ育ちなんですけど、私よりも観光客の方が名所に詳しい時があります。」
「わぁ、きょうかさん、パリ生まれなんですかぁ。きょうかさんのことも先生のことも、聞けば聞くほど不思議です。なんで都会の人がこんな田舎を気に入ってもらえたのか。ねぇ区長さん。鹿島って何にもないし、ホント田舎ですよね。」
鈴花の言葉にきょうかが噛み付いた。
「すずちゃん!この前から気になってるんだけど、田舎田舎っていい加減にしなさいよ!少なくとも私たちは日本全国を見て来てる。その上で鹿島がいいと言ってるの。あなたは他のところを知りもしないで自分の生まれ育った町を悪く言ってる。すずちゃんと知り合ってまだ間もないけれど、『鹿島には何にもない』『どこがいいんですか?』って何度聞いたかしら。鹿島はとってもいいところよ!それに、」
きょうかの話を区長がさえぎった。
「いわぎさん、鈴花ちゃんを責めんでもらえますか。これは私たち大人の責任かもしれん。お二人が鹿島を気に入ってもらえたのは本当に嬉しいんですよ。ただ、私もここから出たことがないもんですから、正直なところその良さがわからないんですよ。小さい頃からこれが当たり前の環境で、、、」
少しの沈黙の後、区長は再び口を開いた。
「鈴花ちゃん、いわぎさんの言う通りだよね。私も含めて鹿島の人たちは、口癖のように『何もなかもんね。』と言ってる。いわぎさん、まず私から言葉を直しますよ。鹿島にはいいところがたくさんある。午後から鹿島の区長会長さん達の会議があるんです。そこで話してみますよ。」
鈴花は隣で運転する区長の話を聞きながら、私も言葉を直そうと決意した。
 
 
第10話
 
2022年3月26日。小説塾「有明の月」が開講した。
参加者は鈴花とまり花、鈴花の幼馴染の美代子と理絵、東山家親戚の翠、小説サークルに所属する90歳の健太郎けんたろうの6名。参加者が揃うときょうかが話し始めた。
「皆さん、本日はお集まり下さりありがとうございます。塾の運営と進行を担当します岩桔梗花と申します。又七酒造さんのご厚意でこちらの酒蔵をお借りして、小説塾を開かせていただくことになりました。ここから新たな物語が誕生するのをとても楽しみにしています。それでは先生、よろしくお願いします。」
「こんにちは。皆さん、もう書きたい内容は決まっているんですか?」
脚本家は事前に全員の書きたいものを把握していたが、そう言って部屋全体を見渡した。緊張で硬くなる参加者たちの様子を見ると話題を変えた。
「ちなみに、今日は何の日かご存知ですか?」
脚本家の明るい声を聞いてリラックスした健太郎が答えた。
「花と酒まつり!残念ながら酒蔵ツーリズムは今年もコロナで中止なんですよね。先生に見ていただきたかったなぁ。でも各酒蔵の蔵開きがありますから。これが終わったら行きますよ。」
「そうですね。私も午後から桜を見ながら鹿島のお酒を楽しみたいと思います。実はそれだけじゃないんですよ。」
美代子がすかさずハイ!と手を上げた。
「今日は今年最強の開運日です!」
「正解です!僕は今まで開運日というのをあまり意識したことはなかったんですけど、又七酒造の牡丹さんから小説塾は26日にスタートしましょう!と言われたんですよ。開運日について説明を受けたんですけど、今日は一粒万倍日いちりゅうまんばいびだそうです。それから天赦日てんしゃび、さらにとらの日というのが重なるトリプルラッキーデーだそうですよ。」
美代子はさらに付け加えるように
「ちなみに2023年の最強開運日は3月21日、春分の日でーす。」
「美代ちゃん、来年のことまでチェックしてんの?!」
驚く鈴花に、美代子はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの表情を浮かべ、正座した座布団の上で姿勢を整えると
「いえいえワタクシ、2030年までチェックしております。最強開運日と呼ばれる日って年に2日から4日あるんですけれど、2024年の1月1日は一粒万倍日と天赦日、プラス大黒様の縁日と言われる甲子きのえねの日が重なるので、元日からとても縁起がいいんです。そして2026年の3月5日はマジですごいんです!10年に1度あるかないかと言われています。まず一粒万倍日!次に天赦日!そして寅の日!ここまでは本日と同じですが、これになんと!大安まで重なっているんです!!」
理絵はなかば呆れたように
「たぶん美代ちゃんは将来占い師になると思います。」
「ハハハハハ。」
「アハハハハ。」
小説塾は和やかな雰囲気の中で始まった。
 
その頃、又七酒造では蔵開きが行われていた。
「今日ね、うちの茅葺きの蔵で小説塾やってるんですよ。東京から脚本家の先生がいらしてましてね。うちの孫が参加してるんですけど、私の物語を書いてくれるって言うんですよ。私って幸せ者だわぁ。」
牡丹は客が来るたびに酒を振舞いながら同じセリフを繰り返した。
 
 
第11話
 
一人っ子の鈴花にとって、きょうかは頼れる姉のような存在だった。
東山家の隣の隣にある移住体験施設に通うのが鈴花の日課となっていた。
 
「きょうかさんと先生、もうすぐ出発ですよね。寂しくなるなー。私は明日から学校だし。」
「すずちゃん、よかったらLINEライン交換しない?あとZOOMズームできる?私たちがいない間、遠隔で小説塾をできたらと思ってね。」
「わぁ!やります!やります!ZOOMできます!翠おばさんや健太郎さんは、パソコンで顔を見ながら話せるなんてびっくりするでしょうね!」
「ありがとう。じゃあ、次の小説塾で皆さんにお話しするね。あ、そうそう!すずちゃん、来週お誕生日でしょ。15日はご家族でお祝いするの?」
「家族でお祝いは16・17の土日です。うちは母も4月生まれなので、毎年4月に家族で嬉野温泉の大正屋さんに一泊するんです。」
「それは楽しみだね!じゃあ、15日は空いてる?すずちゃんの誕生会したいねって先生とお話ししてたの。」
「ほんとですか?嬉しいです!学校が終わったら来ます!」
 
「ただいまー。あぁ鈴花さん、いらっしゃい。」
「先生お帰りなさい。今日もウォーキングですか?」
「うん!今そこで聞いたんだけど、浜小学校の4年生はまちなみガイドするんだってね。」
「東部中も庄金高校もやってますよ。酒蔵通りを案内するコースと、庄金・南舟津みなみふなつの茅葺きコースがあります。」
「そうなんだ。鈴花さんもやったことあるの?」
「はい、私は茅葺きガイドやってます。能古見葺のごみぶきの話とか、クド造りの話とか、佐賀県は茅葺き屋根の民家が日本一多いこととか、、、茅葺き職人さんが教えてくれた内容を話すんです。」
「生徒さんたちが茅葺き文化に触れる機会にもなっていいね。鈴花さん、僕たちにも茅葺きガイドしてくれる?」
「はい!もちろんです。」
 
春休みが終わり、高2になった鈴花はまもなく旅立つ2人との残りわずかな時間を大切に過ごしていた。
誕生日は鈴花がこれまで味わったことのないほど幸せなものとなった。明るく楽しい会話。美味しい手料理。鈴花はこの時間がいつまでも続いて欲しいと思っていた。
(自分も多妻さんたちの仲間に入りたいです。)
誕生会が終わる頃、鈴花はその気持ちを伝えようと思い切って口を開いた。
 
「あの、、、お願いしたいことがあるんです、、、けど、、、。」
「いいよ。なあに?」
脚本家は優しく微笑んだ。きょうかもウンウンとうなずいている。
「あの、、、えっと、、、あっ、そうだ、来週、古文の授業があるんです。春休みの宿題だった和歌の感想文を提出するんですけど、先生の感想も聞いてみたいな、なんて思って、、、。」
鈴花は慌ててスマホを取り出し課題の和歌を見せた。脚本家は歌会でよまれるような節をつけてその和歌を何度もよむと、胸のあたりに手をあてて、その手を激しく揺さぶりながら言った。
「僕はここが、こう、心が揺さぶられるような感じ。悲しいとも言うし、感動とも言うけど。意味を理解して感じるものではなくて、メロディを聞いて感じるかな。物悲しい感じ。例えばMr.Children(ミスターチルドレン)の歌を聴いていても、僕は詞ってあまり気にならないんだけど、メロディは気になるの。それと同じ感覚かな。」
鈴花は精一杯の笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。参考になりました。今日はとっても楽しかったです。えっと、明日、明後日は家族旅行なんです。先生ときょうかさんは月曜日に出発ですよね。朝、学校に行く前にお見送りに来ます。」
「ありがとう。鹿島の春は遅いことがわかったから、来年は3月下旬から4月下旬頃に鹿島に滞在しようと考えています。桜が咲く頃にまた戻ってきますね。」
 
 
第12話
 
翌年も、脚本家は春告げ鳥のごとく鹿島にやって来た。
きょうかが運転する真っ赤なアルファードの2列目のドアが開くと、脚本家が颯爽と現れた。
「鈴花さん、こんにちは。お久しぶりです。お元気ですか?」
「先生、こんにちは!きょうかさん、長旅お疲れ様でした。さっそくなんですけど、お二人にお見せしたいものがあるんです!!」
跳ね上げと擦り上げの扉が開けられた茅葺きの蔵に、昨年はなかった様々なものが増えていた。この地域では旧暦のひな祭り、4月3日まで飾られるという雛人形、鹿島の伝統芸能「面浮立めんぶりゅう」の鬼面、趣のある江戸時代の箪笥。他にもハッピや酒瓶、庄金にゆかりのある品々が所狭しと並べられていた。
「おばあちゃんがそっちこっちで小説塾の話をするので、蔵を見に来る人が増えたんです。どれも見に来た人たちが『ここに合いそうだから』って持って来てくださったものばかりなんですよ。」
「わぁ!どれも素晴らしいね!貴重なものがたくさん!」
「まだあるんですよ。この蔵は又七酒造が酒蔵として使う前はお菓子屋さんだったみたいで、蔵の物置から戦前のお菓子コンクールの入賞メダルが見つかったんです。あと、これ見てください!うちのお酒を卸している酒屋さんに「有明の月」っていう焼酎があったんです!」
「わぁ〜!すごい!瓶もラベルもなんてきれいなのかしら。先生、これは嬉しいですね!」
「喜んでいただけて嬉しいです!」
 
2人が感激しているところへ麟太郎がやって来た。
「先生!お久しぶりです。お元気でしたか?今年もよろしくお願いします。」
「麟太郎さん、こんにちは。今年もお世話になります。」
「あ、鈴花、母さんが呼んでたよ。」
「はーい。じゃ、ちょっと家に行って来ます。」
鈴花は自宅へ、きょうかは荷物を下ろすために車へと向かい、脚本家と麟太郎が2人になった。
 
「麟太郎さん、あれから1年経ちましたけどお揚げどうなりました?お揚げ。今年は酒蔵ツーリズムもあるみたいだし、お揚げをつまみに日本酒を飲むのを楽しみにやってきましたよ。」
「え?お揚げ??」
「うん!お揚げ。」
「え?お?あ?あああ〜〜〜!!!!!!」
両手で頭をかかえる麟太郎に脚本家が言った。
「もしかして、忘れてました?」
「す、すっかり忘れてましたぁ。日々の忙しさに追われてしまって、、、。」
「そうですか。あの時あんなに嬉しそうだったのにな。『やったー!これで又七酒造は安泰!俺は億万長者だー!』って言ってましたよ。」
 
1年前のこと。東京から来た脚本家がもともとは起業家で、同時にいくつもの会社を経営し、30歳で既に引退していたという噂を耳にした麟太郎が又七酒造の経営について相談すると、脚本家は酒に合うつまみを名物にするプランを提案していたのだ。
「まずねぇ、自分の酒蔵のことだけ考えてたら儲かるわけないんですよ。日本中の酒蔵をどうやって儲けさせるか考えるんです!酒はあるから酒に合うつまみ。しかもここには祐徳稲荷ゆうとくいなりっていう佐賀県最大の観光地があるんだから、これを使わないともったいないですよ。いなりにかけてお揚げ。熱々のできたて油揚げ。『有明の月』って焼印でもジュワーって押してさぁ。揚げたての油揚げに醤油をかけて、熱々で食べるとうまいよ〜。燗にも合うよ!それでね、専門用語でブレインストーミングって言うんですけど、社員の人たちに集まってもらって、、、」
うなだれ、青ざめる麟太郎の脳裏に、忘れていた記憶が次々とよみがえった。
「先生すみません。私にもう一度チャンスをください。祐徳稲荷の宮司さんや地元の豆腐屋さんに話してみます。みんなで協力して、来年先生が来る頃には美味しいお揚げを町の名物にします!」
 
 
第13話
 
「それじゃ先生、私は蔵に戻ります。今みんなで祭りの準備やってますんで。」
麟太郎の言葉を聞いて、荷物を運び入れていたきょうかが脚本家に言った。
「皆さんがいらっしゃるんでしたら、先生、東山さんちにご挨拶だけ行きませんか?お忙しいと思うのでちょっとだけ。今お土産持ってきます。」
 
酒蔵ツーリズムは酒どころ鹿島が1年で最も賑わう2日間。鹿島と嬉野の各酒蔵が一斉に蔵開きを行うほか、酒蔵通りや祐徳稲荷の門前商店街、肥前浜宿の界隈はコロナ以降4年ぶりの開催となる祭りの準備に沸いていた。
又七酒造の蔵の前では牡丹が走り回っていた。
「牡丹さん、こんにちは。今年もよろしくお願いします。」
「あら先生、お帰りなさい。1年間楽しみにお待ちしてました。お祭りの準備でバタバタしてますけど、よろしかったらどうぞ。あ、そうそう、先生がいらしたらお話ししようと思ってたんですけど、小説塾にも垂れ幕つけません?緑風先生だから、やっぱり緑色かしら。」
牡丹の提案に、脚本家は又七酒造の店頭に吊るされた降魔と書かれた垂れ幕を見ながら言った。
「垂れ幕かぁ。それはいいアイデアですね。酒蔵の景観に合わせて紺地に白の文字がいいんじゃないでしょうか。鍋島や光武の垂れ幕も同じ色合いですよね。せっかくだからお祭りに間に合わせたいですね。」
きょうかも賛成して、
「わぁ、ステキですね!小説塾がまた楽しくなりそうですね。牡丹さん、今年もお世話になります。これお土産です。よかったら皆さんでどうぞ。」
「きょうかさん、ありがとうございます。お父さーん、先生ときょうかさんがいらしたわよー。」
多栄は蔵の奥から手を振っている。野菊と鈴花が蔵から出てくると脚本家が言った。
「鈴花さん、お祭りに合わせて小説塾に垂れ幕をかけることになりました。地域の皆さんからいただいた酒瓶やハッピもおしゃれに飾りたいので手伝ってもらえますか?」
「はい!もちろんです!」
鈴花はまた脚本家やきょうかと過ごす日々にワクワクしていた。
 
横で話を聞いていた麟太郎が冗談まじりに言った。
「正直言って酒蔵同士は仲悪いですからね。ツーリズムやったり景観合わせたりして、表向きだけでも仲良くしなきゃ。」
「そういえば麟太郎さん、去年のお祭りの後、観光協会の会長さんの誕生日だからみんなでお祝いしようってことになった時、1人だけ先に帰ったよね。」
脚本家の言葉を聞いた鈴花は
「そうなの?!もうお父さん!会長さんにあれだけお世話になってるのに。ホント信じらんない。そういう人がいるから仲悪くなるんでしょ!」
 
 
第14話
 
酒蔵同士は仲が悪いという麟太郎の話を聞いた脚本家が言った。
「そう言えば去年僕が初めて鹿島に来た頃、駅前のカフェでも同じようなことを聞きましたよ。その時お客さんは僕しかいなくて、カウンターに座ってコーヒーを飲みながらオーナーと喋っていたんですよ。鹿島の酒蔵の話をしだしたオーナーが『酒蔵の社長さん達がうちに相談に来るんですけど、みんな考えがバラバラで仲悪いんですよ。』って言ってましたね。」
カフェのオーナーと麟太郎は町の嫌われ者だった。
オーナーは移住者、麟太郎は東山家の婿養子。住民のほとんどが親戚や同級生というこの町で、自分たちは県外から来たよそ者というコンプレックスがあるせいで、2人は肩身の狭い思いをしながら生きていた。少数派のよそ者の中で少しでも優位に立ちたい2人にとって、お互いはライバルだ。自分の言う陰口が自らの評判を落としていることにも気づけず、2人の口からは事あるごとに陰口が飛び出すのだった。
そんな2人であろうと過疎が進むこの町にとって移住者は貴重な存在だ。いなくなったら困ると思う住民たちはみんな腫れ物に触るように接している。そのせいで天狗になってしまうのだ。
麟太郎が言った。
「あぁ、その話は聞き流しといて下さい。あの人はこの町は自分がいないとダメなんだって見栄を張りたいだけなんですよ。それにしても鹿島に来たばっかりの先生にそんな話するなんてねぇ。」
 
バタッ。
その時だった。野菊が倒れたのだ。
「お母さんっ!?」
「おい!どうしたっ!!」
「野菊さん!大丈夫ですか!」
「野菊!野菊っ!」
反応のない野菊を見て牡丹が叫んだ。
「麟太郎さん!救急車!救急車呼んでちょうだい!」
野菊はすぐに到着した救急車の担架に乗せられ、かかりつけの病院に搬送されることとなった。救急車には鈴花が同乗し、牡丹と麟太郎も病院へ向かった。
 
病院に到着して1時間後、野菊の診察を終えた主治医が待合室に現れた。
「野菊さんは意識が戻りました。中に入っていただいて大丈夫ですよ。」
「先生、野菊は、、、野菊は大丈夫なんでしょうか?元々体は弱いほうですけど、最近は特に貧血がひどいって言ってたんです。」
「ええ。私も診察のたびに野菊さんから聞いていました。ここのところ東京や福岡の出張が続いていたようですね。しばらくは安静にできるよう、ご家族で気をつけてあげて下さい。」
牡丹と麟太郎が主治医と話している間に、鈴花は母のいる病室に入った。
「お母さん?大丈夫?」
野菊はベットに横たわったまま静かに目を開けた。
「ごめんね、すず。心配かけちゃって。」
「しばらく安静だって。最近イベント続きで忙しかったもんね。疲れたんだね。」
「そうね。少し無理しちゃったかもね。」
 
 
第15話
 
その頃、蔵に残った多栄は杜氏の六郎ろくろう辰徳たつのりの話を聞いていた。六郎は又七酒造の杜氏の主任。「又七の降魔は六郎が造り上げた」と言われ、県内有数の酒蔵からたびたび引き抜きの話がくるほどだった。中でも数年前から熱望されていた有田ありた町の酒蔵にいよいよ移ろうかという六郎を、副主任の辰徳が引き止めていた。自分一人ではらちがあかないと思った辰徳は、多栄に説得してもらおうと話し合いに持ち込んだのだ。
 
「六さん、何とか考え直してもらえんだろうか。六さんに辞められたら、うちは終わりだよ。」
「たっちゃん、今の又七酒造に私は必要ないよ。麟太郎さんは酒を売ることばかり一生懸命で、酒造りのことなんか考えちゃいない。私は酒造りが好きなんだ。いい酒を造りたいんだよ。だけど今はもう、、、昔とは何もかも変わっちまった。」
「六さんの気持ちはわかってるつもりだよ。先代からも六さんに頼んで下さい。それより麟太郎さんにガツンと言って下さいよ。」
「たっちゃん、先代が言ったところで麟太郎さんには無理だろう。あの人の問題は酒造り以前の話だ。私ら古株やお偉いさんにはいい顔して、若いモンの話なんかまともに聞きやしないんだから。あれじゃ誰もついていかないよ。」
「だからこそ頼むよ六さん。六さんがいなくなったら、若い子らは誰についてったらいいんだよ。聞いてるかもしれないけど、さっき野菊ちゃんが倒れたんだ。」
 
六郎は驚いた様子でじっと多栄を見つめ、覚悟を決めたように話し始めた。
「私やうちの親父は先代のアンタや先先代には本当に世話になった。それと、、、麟太郎さんに代替わりしてもここまでやってきたのは野菊ちゃんがいたからだよ。今この蔵は野菊ちゃんの人柄で持ってるようなもんだ。若い連中も、野菊ちゃんが自分たちを大切にしてくれるから、いろんな思いがありながらもここで働いてると思うよ。野菊ちゃんはあの細い体でよくやってるよ。でも無理したんだなぁ。ちっちゃい頃から丈夫な方じゃなかったもんなぁ。」
六郎と辰徳の話を黙って聞いていた多栄が口を開いた。
「六さん、わかったよ。有田でもうまい酒を造ってくれよ。なぁ、たっちゃん、六さんの活躍を応援しようじゃないか。うちだっていつまでも六さんに頼りっぱなしじゃしょうがないよ。六さんに納得してもらえる酒を造って、またみんなで一緒に飲もうや。」
 
 
第16話
 
4年ぶりの酒蔵ツーリズムが開催された。鈴花は脚本家やきょうかを案内しようと張り切っていたが、祭りの準備中に倒れた母の代わりに、又七酒造の蔵開きで樽酒を振る舞っていた。
各酒蔵は日本酒の試飲や販売、酒粕の詰め放題、酒蔵案内や瓶詰めの実演などで客をもてなした。牡蠣焼きや厚揚げ、漬物やだご汁を出す店が所狭しと並び、特設ステージでは面浮立や獅子舞が、呉竹酒造の東蔵では地元ミュージシャン達のライブが開かれた。脚本家はきょうかとまり花と共に祭りを楽しんでいた。酒蔵通りは3人がかつて見たことのないほど賑わっていた。
 
「コロナ前は10万人の来場者って聞いてましたけど、今日もいっぱいですね!」
「皆さん楽しみにしていたんですね!」
きょうかとまり花の会話を聞きながら、通りに貼られたポスターを見ていた脚本家が言った。
「酒蔵ツーリズムって、バラバラにやっていたお祭りをひとつにしたものなんだね。」
まり花が答えた。
「そうみたいですよ。鹿島と嬉野の酒蔵が同時に蔵開きしたりとか、祐徳稲荷の門前商店街や肥前浜宿でそれぞれやっていたお祭りを同じ日に開催することにしたそうです。」
脚本家が言った。
「閃いたよ!小説もみんなが同じタイトルとあらすじで書くの。」
「わぁ!おもしろいですね!!」
「ひとつめは『有明の月』がいいんじゃない?タイトルもあらすじも既にあるから。」
「先生!それは名案ですね!!」
脚本家のアイデアに、きょうかとまり花はすぐに賛成した。
 
「あとね、塾の皆さんの書く気持ちが高まるようにしてあげたいの。例えば 『5万字程度の小説が書けたら5万円で買い取ります!』 とかね。」
「いいですね!そう言われたら5万字目指して書きたくなりますね。」
「あるいは 『皆さんが書いた作品を短編小説集にして出版します!』 これはどう?」
「わぁ!それもいいですね!自分の作品が本になるなんて、皆さんびっくりされるでしょうね!ウフフ。」
「文學界とかすばると同じサイズの雑誌にして、出版は年に2回ぐらいかな。6月と12月にしよう。校正や印刷の期間を3ヶ月くらいとるとして、締め切りは2月と8月でどう?」
「いいですね。年齢の高い方でも子どもさんが入ってきても覚えられるように、提出のルールはなるべくわかりやすくしたいですね。」
「そうだね。」
「ここまでのところをメモしておきますね。」
きょうかはカバンから取り出した手帳に塾生へ伝える内容を書き留めると、4月のスケジュールを確認して言った。
「では次回の小説塾で皆さんにお話ししますね。それから15日はすずちゃんの誕生日ですね。誕生会しませんか?今年はまり花さんもご一緒に。」
 
 
第17話
 
小説塾は、脚本家が鹿島にいない時期も脚本家の居住先とつながれたオンラインで開催された。その間に親子が1組、家族参加が2組増え、塾生は総勢16名となっていた。4月の小説塾。実物の脚本家に会えると心待ちにしていた塾生達が時間より早く集まった。
「わぁ!この垂れ幕いいですね!酒蔵みたーい。」
塾の正面にかけられた垂れ幕を見た塾生達は大喜び、入り口をくぐると再び歓声を上げた。雛人形や酒瓶が脚本家のセンスでおしゃれに飾られていたからだ。
「うわぁ、しゃれてる〜。あ!先生、初めまして。年末から家族で参加させてもらってます中島です。家族で小説を書くようになって家庭で共通の会話が増えてきました。ありがとうございます。子ども達も先生にお会いできるのを楽しみにしてたんですよ。ほら、先生にご挨拶して。」
「中島さんご一家ですね。こんにちは。ようこそお越しくださいました。」
 
「先生ごぶさたしてます。外も中も見違えましたねぇ!」
「ありがとうございます。健太郎さんお元気でらっしゃいますか?どれも地域の方からいただいたものだそうですよ。とってもいいですよね。2階にも飾ってありますのでどうぞご覧ください。」
脚本家との再会や生まれ変わった塾のインテリアを楽しんだ塾生達を席に誘導したきょうかは、全員が着席すると話し始めた。
「皆さまこんにちは。お久しぶりです。初めてお目にかかる方もいらっしゃいますね。ZOOMでお会いしているので初めてという感じはしませんが、改めましてよろしくお願いいたします。嬉しいことに参加者の方が増えまして、今回は1階で開催することになりました。皆さん、今年も楽しく書いていきましょう。ところで、これまでは壁新聞でもブログでも自由に書いていただいてましたが、先生がとっても面白いことを思いつかれたんですよ。さっそくお話ししていただきますね。それでは先生、お願いします。」
 
参加者達はワクワクしながら脚本家を見た。
「こんにちは。先週の酒蔵ツーリズムは皆さん行かれたんですか?僕は日本酒の試飲や飲み比べをしたり、牡蠣焼きを食べました。肥前屋さんの蔵の奥も見せてもらいました。これ、その時に撮った写真です。あそこは昔の道具やおもちゃがいっぱいで楽しいですね。ちなみに、酒蔵ツーリズムってどんなイベントかご存知ですか?」
脚本家の質問に健太郎が答えた。
「鹿島のいろんな酒を一度に楽しめます。」
「正解です!各酒蔵の蔵開きとか、各部落でやっていたお祭りを同時に開催することにしたんですよね。実はそこからヒントを得まして、皆さんが同じタイトルとあらすじで小説を書いてみるっていうのはどうかな?と思ったんです。一応僕が思いついたのは、『有明の月』というタイトルで、僕が考えたあらすじに沿って皆さんが小説を書かれるというものです。」
「わぁ!おもしろそうですね!1年前に先生がお話しされていた、鹿島が舞台の物語ですか?」
思いもよらない提案に塾生達が沸いた。脚本家は続けた。
「はい、そうです。それでね、5万字以上で書いてみて欲しいんですよ。書けたら5万円で買い取ります。それを短編小説集にして出版したいと思ってるんですけど、いかがですか?」
「えっ?すごーい!!やってみたいですけど、、、5万字ってけっこう大変ですよね?」
「半年とか1年かけてじっくり書いてみるというのはいかがですか?タイトルもあらすじも一緒、文字数もだいたい一緒の小説を、皆さんそれぞれの個性で書かれるとどんな風になるのか楽しみです。開始時期はそれぞれお任せしますので、今書いているものが終わってからで大丈夫ですよ。」
 

第18話
 
「では皆さん、次回の小説塾でまたお会いしましょう。」
塾生たちを見送ると、脚本家はいつものようにウォーキングに出かけた。
きょうかは鈴花とまり花と共に小説塾の片付けを終え、3人分のハーブティーをカップに注いだ。
「お疲れ様でした。ハーブティーいかがですか?」
テーブルを囲んでお茶を飲みながら、鈴花とまり花は塾生たちがいつにも増して楽しそうに過ごしていたことをきょうかに話した。きょうかは全国の拠点で過ごしてきた1年間の思い出を、スマホで写真を見せながら2人に語った。鈴花は、姉のように慕う2人とくつろぐこの時間が何よりも好きだった。
きょうかが言った。
「ところで、おふたりはこの後ご予定おありですか?実はこの写真に写ってる女性たちとZOOMでお話しするんですけど、ご一緒にいかがですか?」
まり花がすかさず答えた。
「わぁ、いいんですか?私はぜひお話したいです。」
「すずちゃんは空いてる?よかったらすずちゃんも一緒にどうかな?」
「私もいいんですか?嬉しいです、、、けど、何を話すんですか?」
 
きょうかはカバンから女性向けのファッション誌を取り出すと、付箋の貼られたページを開いて2人に見せた。その雑誌には数ページにわたって脚本家の特集が掲載されていた。ページをめくると、きょうかのスマホで見た女性たちが脚本家について語っていた。鈴花が知っている女優やモデルも載っている。
「この人たちはね、出産という女性の幸せと仕事の成功を先生と出会って両立した人たちなの。今日はね、今度フランスのビジネス誌で取り上げられる先生の記事の内容を、出版社さんの意向をベースにみんなで話し合うことになってるの。」
「そーなんですか!皆さんとはお会いしてみたいですけど、、、私、話についていけるのかな。ってゆーか、、、先生って、、、なんかすごい人なんですね。」
「心配しなくて大丈夫!皆さん、あったかい方ばかりだから。そろそろ時間だからパソコン開くね。」
きょうかがZOOMを立ち上げると、雑誌に載っていた女性たちが次々に画面に映し出された。
「こんにちは!いわぎです。皆さんお元気ですか?先生と私は今、佐賀県の鹿島市にいます。今日はミーティングの前に、皆さんにご紹介したい方がいらっしゃいます。藤田まり花さんと東山鈴花さんです。おふたりから、一言ずつお願いできますか?」
 
画面の女性たちが微笑む中、まり花は女性たちに向けて話し始めた。
「初めまして。藤田まり花と申します。皆さんのお話はきょうかさんや先生からお聞きしています。去年お写真を見せていただいた時、皆さんの笑顔がとても素敵で思わずお仲間に入れてくださいと言ってしまいました。ウフフ。お会いできるのを楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いします。」
まり花が丁寧に頭を下げると、女性たちは「こんにちは。」と言いながら会釈や拍手をしている。笑顔で手を振る女性もいる。まり花は鈴花に席をゆずると(さあどうぞ!)という仕草で鈴花に挨拶を促した。
 
「こんにちは。東山鈴花です。ええっと、、、よろしくお願いします。」
鈴花の緊張を察した画面上の1人の女性が鈴花に話しかけた。
「すずちゃん、こんにちは。先生が小説塾をなさっている酒蔵の娘さんだそうですね。私は安藤ゆきと申します。北海道のナナエという所に住んでいます。地図で言うと函館のちょっと上です。」
別の女性が手をあげた。
「はーい!私も聞いてますよー。すずちゃん、初めまして。ショーキン高校の生徒さんですよね。私は愛媛県の新居浜市でブライダルの仕事をしている遠藤早智子と申します。よろしくね!」
驚きと嬉しさで戸惑う鈴花に、きょうかは小声で(ココ押してみて)とチャット欄を指差した。
チャットを開いた鈴花の目に飛び込んできたものは、「マリカさん、スズちゃんようこそ!」「私も知ってます!」「お会いできて嬉しい🖤」続々と届く歓迎のメッセージだった。
 
 
第19話
 
4月2回目の小説塾が開かれた。この日は鈴花18歳の誕生日。脚本家は鈴花に内緒でサプライズの誕生会を用意していた。塾の終盤、
「皆さんそれぞれの『有明の月』、楽しみですね。来月からはまたオンラインでお会いしましょう。それでは今日はこの辺で。来年までどうぞお元気でお過ごしください。」
パンッ!パンッ!パンッ!
脚本家の話が終わった瞬間、塾生たちが部屋のあちこちでクラッカーを鳴らした。驚く鈴花を囲んでハッピーバースデーの歌が始まったかと思うと、鈴花の家族がケーキや料理を運んできた。
 
鈴花がケーキのローソクを吹き消すと、おめでとうの声が飛び交った。
「すずちゃん、お誕生日おめでとう。一言どうぞ!」
きょうかに促され、鈴花は深呼吸を繰り返してから
「もう、、、もう、、、ヒック、、、びっくりしましたぁぁぁ。」
鈴花の目から大粒の涙がこぼれた。
「ヨッ!成人!ガンバレ!」
「もう、お父さん!こんな時までふざけないでよぅ。」
「アハハハハ。」
麟太郎と鈴花のやりとりに笑いが起こり、鈴花にも笑みがこぼれた。
脚本家が言った。
「鈴花さん、お誕生日おめでとう。」
「せんせぇぇ、ありがとうございます。今年も誕生日を先生やきょうかさんと過ごせて嬉しいです。しかも大好きな小説塾の皆さんからもお祝いしていただけるなんて、、、。忘れられない誕生日になりました。皆さん、本当にありがとうございます。あーダメだ。また泣きそう。」
鈴花はペコリと頭を下げ、あたたかい拍手で祝福された。
「さあ乾杯しましょ!たくさん食べてくださいね。お酒もジュースもありますよ。」
牡丹の声で料理や酒がふるまわれ、歓談がはじまった。
縁側で庭を眺めながら談笑するグループ、2階の窓を開けて風を感じているグループ、外の垂れ幕の前で写真を撮るグループ。思い思いに会話が弾んだ。跳ね上げとすり上げの扉が開けられた小説塾は、明るい陽気と和やかな雰囲気に包まれた。
家族で参加している塾生が鈴花のそばにやってきて、子どもたちが声をそろえて言った。
「すずちゃん・おたんじょうび・おめでとう・いつも・ありがとう・はいプレゼント。」
 
町の人たちがいつのまにか緑風茶寮りょくふうさりょうと呼ぶようになった塾の入口にあるスペースで話していたまり花が、和室にいる脚本家ときょうかを呼んだ。
「先生、きょうかさーん、こっちでこの前のZOOM会議のことお話ししてるんですけど、全国各地にいらっしゃる先生の奥様のこと、皆さんも聞いてみたいそうです。少しお話していただいてもよろしいですか?」
まり花と話していた塾生たちがうなづいている。健太郎も脚本家に言った。
「まり花さんの話を聞いて、私の同級生のことを思い出しましたよ。その人、船乗りをしていたんです。大型のタンカー船でね。航海に出たら半年は帰ってこれないの。世界中の港町に恋人がいるんだけれど、みんなやきもち焼きだからバレないようにするのが大変だって言ってたんです。それが先生の場合は女性陣がみんな仲良しだって言うじゃないですか!いやぁビックリしたねぇ。だけど先生だったらなんとなくわかるよね。私も先生のこと好きだもの。鹿島で私らを大切にしてくださってるように、全国どこへ行ってもその土地の人たちを大切にしてるのがわかるもの。先生はニッポンの宝だねぇ!」
まり花は、鈴花が知りたがっている話を自然と聞ける機会をつくりたいと思っていた。
 
 
第20話
 
脚本家やきょうか、塾のあちらこちらに散らばっていた塾生たちが、まり花と健太郎の声を聞きつけて緑風茶寮の方へと集まった。きょうかが話しはじめた。
「前にまり花さんが先生のことを『愛妻家で多妻家』と表現されたことがあるんです。私はそれを聞いた時『まさに!』と思いました。先生って仕事をすれば第一線で活躍される人気脚本家です。頭はキレるし、決断力があって頼もしいですし、魅力的で、おもしろくて、アクティブです。家庭ではとっても優しくて、私が作った料理を毎回『美味しい、美味しい』って食べてくださるんですよね。ホント、理想の旦那さんだなって思います。そのような、私にしてくださるのと同じことをたくさんの女性に対してされてらっしゃいますから、多妻家という言葉がぴったりですね!」
まり花が言った。
「世の中で活躍されている男性って多妻家の方が多いと思うんですけれど、先生は女性だけでなく老若男女、分け隔てなく大切にされる方ですよね。先生がいらっしゃると塾の皆さんがとても楽しそうですし、子どもたちは先生を見つけると駆け寄って来ますものね。ウフフ。」
子どもたちは脚本家の周りを嬉しそうに駆け回ったり、手を引っ張ったりして遊んでいる。大人たちはその様子に微笑みながら、まり花の話にうなずいた。きょうかが続けた。
「ちなみにひとつ補足しますと、全国の女性たちは今でこそ『なでしこ』っていう企業の一員として先生を世界中にPRする仕事をしていますけど、先生を愛する女性たちと一緒に仕事したり生活するのって、実はもともと私の夢だったんです。数年前のある日、私、思い切って先生に言ってみたんです。
『私は先生を異性として愛していますし、人として尊敬しています。先生と出会えたことを心から幸せに思います。先生とずっと一緒にいられて、今でもじゅうぶん幸せなんですけれど、私、夢があるんです。先生と相思相愛の女性たちと一緒に生きていきたいです。先生のことが好きで、先生からも愛される女性って、私、価値観が合うから一緒にいて心地いいんですよね。』
って。だから今のこのスタイルって、先生が私の夢を叶えてくださったひとつの形なんです。」
 
健太郎が言った。
「いい話だねぇ。いやぁおふたりとも、本当によく鹿島に来てくださいました。そんな方が鹿島を気に入ってくれて嬉しいな。先生、これからもよろしくお願いします!」
脚本家は子どもたちと遊びながら
「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。僕が日本全国いろいろなところを事細かく見てこられたのは、ひとえに奥さんたちのおかげなんです。今の日本のルールでは複数の人と結婚できないことは承知しているんですけれど、気持ちとしては全員を奥さんだと思っているので、今日はあえてそう呼ばせてもらいますね。その奥さんたちがいつも作業の類を僕の代わりにやってくれているおかげで僕は自由に行きたいところに行くことができます。でもそのせいで彼女たちは僕が見てきたように日本全国を見ることはできていません。その彼女たちの恩に報いるために、僕はもっともっと自由に行きたいところへ行こうと決めました。そして、その体験を僕だけのものにせず、彼女たちと共有すると決めたんです。」
 
少しの静寂の後、一番離れた場所で話を聞いていた多栄がゆっくりと手を叩くと、周りの塾生たちから拍手が起こった。小説塾の天窓からあたたかい陽の光が差し込んだ。
 
 
第21話
 
誕生会が終わり、脚本家と鈴花は塾の2階の窓辺に座って庄金のまちなみを眺めていた。
「先生、今日は本当にありがとうございました。びっくりしたけどとっても嬉しかったです。」
「よかったね。」
「先生の周り、、、っていうか、きょうかさんの周りって、あったかい女性ばかりですね。価値観の合う人だけに囲まれて生きるなんて、ホント理想です。」
「鈴花さんはどんな人たちに囲まれていたいの?ちなみにきょうかさんは、僕と相思相愛の女性達と生きていきたいって口にしたから今の現実を手にしたんだよ。」
「夢が現実になったら楽しいだろうなぁ。私は、、、理想と現実にギャップがあるかも。」
(私もなでしこに入りたい。)鈴花は気持ちを口に出すことができなかった。脚本家が言った。
「ちなみに夢が叶ったから楽しいんじゃないんだよ。」
「そうなんですか?」
「きょうかさんが僕に夢を喋った時から既に楽しいの。実現に向かってるから楽しいんじゃなく、達成を夢見てるからでもなく、実現に向かってるプロセスそのものが楽しいんだよ。」
「わぁ、それってますます理想的です!」
 
後片付けを終えたきょうかとまり花が2階に上がってきて、きょうかが言った。
「すずちゃんが言ってる理想って、すずちゃんにとって望ましいし必要なことじゃない?すずちゃんは自分にとって『必要』なことを『理想』って言ってるみたいよ。言葉を変えてみて欲しいの。理想っていう言葉は『こうだったらいいな。私には無理だけど。』って決めつけちゃってる感じがしない?でも必要って言うと『必ず要るもの』をイメージしない?」
「あ、、、そう言われればそう、、、ですね。」
「私は、もともと夢だったって言ったけど、今の環境って私の人生に必要なものだと思ったの。だから口に出したことが目標になったの。その目標を目指してる時から楽しいし、クリアしたことの達成感も楽しいし、クリアして次の目標ができたらそれもまた楽しいの。」
鈴花は楽しそうに話すきょうかの雰囲気にすっかり魅了されていた。
「私もきょうかさんみたいに、夢を現実のものにしたいです。きょうかさんみたいにってゆうか、、、私も好きな人たちに囲まれて、、、でも私の理想と現実にはギャップがあるってゆうか、、、。本当は私も、好きな人たちとずっと一緒にいたい、、、です。でも現実はなかなか、、、。」
 
たどたどしい鈴花に、きょうかは鋭い言葉を投げかけた。
「口に出した言葉がそのまますずちゃんの現実をつくると思うよ!今じゃなく未来を見て。」
まり花は鈴花の肩にそっと両手をかけ腕をさすった。そして優しく励ますように言った。
「自分にとって必要なことを言葉で示すしかないわね。大丈夫!私たちがついてる。」
鈴花は大きく深呼吸をした。一度では足りないとばかりに何度か深呼吸を繰り返した。
「私も、、、なでしこに入れてください。」
「嬉しい!すずちゃん、私ね、事比羅神社で初めてすずちゃんに会った時、先生を見つめるすずちゃんのまっすぐな目に感動したのよ。私もこんな素直な気持ちでずっと先生を見ていたいなって思ったの。なでしこの仕事、ぜひ手伝ってね。」
きょうかはそう言って鈴花を抱きしめた。
「はぁ〜、緊張したぁ。」
安堵につつまれた鈴花の瞳が潤んでいた。
 
 
第22話
 
鈴花の生活はこれまでにないほどめまぐるしいものになっていた。
3月に倒れてから入退院を繰り返している母親の野菊に代わり、鈴花は学校から帰宅すると蔵の仕事を手伝った。野菊の仕事は主に経理や取引先の対応で、休みには遠方のイベントに出向いて一般客に酒を振る舞った。
鈴花はオンラインで行われる小説塾に加え、脚本家をPRするなでしこの仕事にも積極的に取り組んだ。高3のクラスメイトたちが受験勉強や就職活動にいそしむ中、鈴花は時間を見つけては小説を書いた。慣れない蔵の仕事にプレッシャーを感じていた鈴花にとって、離れていても脚本家やなでしこの仲間たちと過ごす時間が心の拠り所となっていたのだ。執筆に集中し、気がつくと深夜まで、時には朝方になることもあった。
「鈴花〜、そろそろ起きなさーい。遅刻するよ!」
鈴花は牡丹に起こされ、パンを食べながら家を飛び出し、近道である光厳寺の脇の里道(りどう)を通って登校するようになった。野菊が入院すると、学校が終われば自転車に乗って病院へ通った。
 
そんな日が半年ほど続いた秋のこと。
「すず、来てくれてありがとう。忙しいだろうから、毎日来なくてもいいからね。」
「いいのー!お母さんに会いたくて来てるんだから。今日は顔色いいね!」
「今日はね、朝から気分が良くて外にお散歩に行って来たの。」
「そう!良かった。じゃあ、近々退院できるかもね。小説、もうすぐ完成するから楽しみにしててね。完成したら一番にお母さんに見せるから。」
「わぁ、もうできるの?楽しみにしてる!」
「5万字書けたら先生に送ることになってるの。それを先生が5万円で買い取ってくださるんだって。そしたら家族でお母さんの好きな鶴亀のお寿司食べに行こうね!お母さんが元気になって退院するのと、私の小説が完成するの、どっちが先か競争だね!」
 
野菊の病状が悪化していることを、野菊自身も鈴花も感じていた。
そんな中でもひと時の明るい会話が親子の心を和ませた。
「すず、お母さんね、すずが小説を書いたり、先生やきょうかさんの仕事を楽しそうに手伝ってるのを見るのが嬉しいの。うちの酒蔵は120年続いてる。降魔は全国にファンがいるほど人気があるお酒よ。でもね、だからと言って必ずしもすずが継がなくてもいいんだからね。すずは自分の好きな道に進みなさいね。」
「お母さん、ありがと!そういえば来週から三者面談が始まるの。うちのお酒を出してるレストランに就職するっていうお父さんとの約束は守るつもりだから。あ、そろそろ帰らなきゃ。お母さん、明日また来るね。」
 
その夜、夕食を終えた東山家の電話が鳴った。
野菊の容態が急変し、佐賀市の大学病院に搬送するから大学病院へ向かって欲しいという入院先からの連絡だった。鈴花たち家族は急いで駆けつけたが、意識不明で集中治療室に運ばれた野菊はそのまま帰らぬ人となった。
 
 
第23話
 
生前の野菊の希望で、葬儀はしめやかに執り行われた。
それでも、あったかい人柄で120年続く又七酒造を切り盛りしていた野菊の死を惜しむ者は多く、葬儀の後も弔問客は後を絶たなかった。
 
まり花は野菊の死を北海道に滞在中のきょうかと脚本家に伝えた。脚本家が鈴花に電話かけると、鈴花は寂しくとも落ち着いた声で母を思う言葉を口にした。
「お母さんがよく聴いていた、ユーミンのひこうき雲っていう歌があるんです。お母さんが亡くなってからずっとその歌が頭の中を流れてるんです。お母さんはなんでこの歌好きだったんだろうって思って、歌のこと調べてみたんですけど、ユーミンの同級生で筋ジストロフィーの男の子がいたそうなんです。その人、病気が進行して高校生の時に亡くなったらしくて、この歌はその時に作られた歌だったんです。お母さんも小さい頃から体が弱かったって言ってたから、その男の子に自分を重ね合わせてこの歌に癒されてたのかなぁ。それとも『空に憧れて、空をかけてゆく。』って歌詞を聴いて、自由とか元気な体に憧れてたのかなぁって思ったりもします。今となっては聞くこともできないんですけどね。あぁ私はお母さんの気持ち、何にも聞いてあげてなかったなって思います。」
「そうかぁ。自分ではそう感じてしまうのかもしれないね。でも僕は、野菊さんは鈴花さんに癒されていたと思うよ。」
脚本家は続けて言った。
「鈴花はそのままで100点満点だから。」
「先生、ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。お母さん、私の小説ができるのを楽しみにしてたんですけど、それも間に合いませんでしたぁ。」
「うん。大丈夫。落ち着いたらまたいいものがたりを書こう。きっとお母さんに届くと思うよ。」
 
初七日が過ぎた。又七酒造は徐々に日常を取り戻していた。鈴花は溜まっていた10日分の帳簿をつける為、日曜日の朝から事務所で作業をしていた。そこへ麟太郎がやってきてポツリと言った。
「降魔の売り上げが落ちてる気がするんだ。時代にあった酒を作らなきゃいけないかもな。」
「お父さん!帳簿も見ないで何言ってるの?売り上げなんか落ちてないよ?」
売り上げは落ちていなかった。麟太郎は恐怖心から錯覚に陥っていたのだ。
そんな麟太郎を見て鈴花は心を決めたように言った。
「お父さん、私、蔵の仕事手伝うよ。」
「今も手伝ってるじゃないか。」
「そうじゃなくて。レストランの就職あきらめる。おじいちゃんに杜氏の仕事も教えてもらうから。」
夕方、帳簿の整理を終えた鈴花は野菊の遺影に向かって杜氏の仕事を始めることを報告した。
その様子を見ていた多栄は鈴花の隣に座り、少しの間、野菊の遺影を見つめていた。そして鈴花に語りかけた。
「鈴花が酒造りを手伝うと言ってるって、さっき麟太郎君から聞いたよ。その話を聞いた時は、うちのことを心配して言ってるだけだろうと思ったよ。だけど今、鈴花がお母さんに話してるのを聞いてたら腹から声が出ていたね。明日、学校に行く前に蔵に寄りなさい。鈴花に杜氏の心構えを教えてやってくれって、たっちゃんとみんなに頼むから。」
 
それから2ヶ月が過ぎた。学校と蔵の仕事に追われながらも、鈴花は時間を見つけては小説を書いた。塾生たちが書き上げる小説をきょうかに送り、脚本家をPRするなでしこの仕事もこなした。
「昨日は祐徳稲荷でお火たきがあったんです。毎年12月8日は家族でお火たきに行くんですよ。シンセサイザーの生演奏が流れてて、火と音楽できれいな動画が撮れたんです。先生ときょうかさんに送りますね。」
「鈴花さん、いつもありがとう。僕たちは今大阪にいるよ。ここから南下して、年越しは四国になると思う。春になったら鹿島に行くからね。」
「はい!楽しみにお待ちしてます。あの、、、」
「ん?どうしたの?」
「先生、実は冬に入ってうちの蔵の降魔の売り上げが落ちてるんです。お父さんは時代にあったお酒を作らなきゃいけないなって言ってるんですけど、杜氏の六さんは半年前に有田の酒蔵に行っちゃったし、どうしたらいいか家族全員で頭抱えてます。」
 
 
第24話
 
春の訪れと共に、今年も脚本家ときょうかが鹿島にやって来た。
2人は小説塾に到着するとすぐに三軒先の東山家へ向かった。腕にはいっぱいの白いカラーの花を抱えている。
「こんにちは。」
2人が東山家を訪れると、待ちわびていた牡丹が出迎えた。
「先生、お待ちしてました。まぁ!野菊の好きな花をご存知だったんですね!」
「えぇ、前に野菊さんがおっしゃってたんですよ。名前は野菊だけど白いカラーがお好きだって。」
牡丹から脚本家到着の知らせを受け、蔵に出ていた鈴花、多栄、麟太郎が戻って来た。
脚本家ときょうかは持って来た花の半分を仏壇に供えると牡丹たちの話を聞いた。昨年、脚本家が鹿島を発ってから野菊の体調が悪化したこと、亡くなった日のこと、亡くなってからの蔵のこと、生前の野菊との思い出。
ひとしきり話を聞き終えてから脚本家が言った。
「鈴花さん、お母さんのお墓に連れて行ってくれる?学校の手前にあるんでしょ?」
 
鈴花はいつものようにうさぎの杏介を抱きかかえ、2人を連れて野菊の墓へと向かった。昔は参道だった小説塾の脇の道を通って国道を渡り、光厳寺の階段を半分登ったところで鈴花が言った。
「ここから左に入ります。ちょっと狭いので気をつけてくださいね。ここからは里道で、学校への近道でもあるんです。高3の1年間はほとんどこの道を通って学校に行ってました。最初は近道だから通ってたんですけど、お母さんの納骨が済んでからは、この道を抜ける手前にお墓があるので、学校の行き帰りにお母さんに会いに来ていたんです。」
3人は野菊が眠る東山家の墓の前に着いた。
「お母さん、先生ときょうかさんが来てくださったよ。」
脚本家ときょうかは持って来た残り半分の花を墓に供え、手を合わせて目を閉じた。
 
鈴花が言った。
「亡くなる直前、お母さんから『すずが小説を書いたり、先生やきょうかさんの仕事を楽しそうに手伝ってるのを見るのが嬉しい。』って言われたんです。『うちの蔵は120年も続いてるし、降魔のファンは全国にいるけど、必ずしもうちを継がなくていいから、すずは自分の好きな道に進みなさい。』って。それがお母さんとの最後の会話になりました。」
「お母さんは本当にすずちゃんの幸せを願っていたのね。」
「僕たちと鈴花さんとの間には、目に見えない赤い糸があると思うの。お母さんはそれを感じていて、僕らに気づかせてくれたんじゃないかな。」
その時、ヒュウッと風が吹いて来て満開の桜の花びらがひらひらと舞い降りた。それまでおとなしくしていた杏介が飛び跳ねて駆け出した。
 
「今年は桜が早くて、すっかり見頃なんですよ!」
3人は杏介の後を追い、桜並木を愛でながら事比羅神社の方へと歩いた。東屋に着くとまり花がやって来た。
「先生こんにちは!もういらしてたんですね!学校から皆さんの姿が見えたので出てきました。」
「まり花さん、お元気でしたか。僕たちはさっき着いて野菊さんのお墓参りをしてきたの。一昨年、4人で初めてお会いしたのもこの場所でしたね。そうそうあの時もキョースケ君がいたね。」
鈴花は少し恥ずかしそうに
「懐かしいですね!私、あの時先生たちの話に全く入れなかったのを思い出しました。アハハ。」
きょうかが言った。
「すずちゃんは、もうあの頃とはすっかり別人ね。今のすずちゃんは誰が見ても頼もしいもの。でも私ね、前にも言ったかもしれないけど、ここで初めてすずちゃんに会った時、先生を見つめるすずちゃんに感動したのよ。私もこんな素直な瞳でずっと先生を見つめていたいなって。」
脚本家が言った。
「野菊さんのお墓の前で感じたのは人との縁だったんだけれど、土地との縁っていうのもあるかもしれないね。僕らは庄金のこの土地に呼ばれてここに来た。そしてここで出会った僕らは既に幸福を手にしていると思うの。これが僕らから鈴花さんへのお祝いのメッセージ。卒業おめでとう。」
 
 
第25話
 
事比羅神社から戻ると、鈴花は脚本家ときょうかを手伝い、満載の荷物を車から下ろし小説塾に運び入れた。一段落ついたところで鈴花が言った。
「母が亡くなった時、高校を卒業したら蔵の仕事を手伝うと決めたので、卒業に合わせて車の免許をとったんです。まだ初心者マークですけど、今年は私がお二人をご案内しますね。」
「ありがとう。じゃあ近場の走りやすいところから慣れていこうか。鹿島といえばやっぱり祐徳稲荷かな。鈴花さんが使える車はあるの?」
「はい!母の車に私が乗っています。じゃあ明日、うちの駐車場でお待ちしてますね。」
 
翌朝、3人は鈴花の運転でドライブに出発した。
「かけたい曲があるんですけどいいですか?」
鈴花が音楽をかけると脚本家がすぐに答えた。
「JUDY AND MARYのオーバードライブだね。僕は世代だけど、鈴花さんこれ知ってるの?」
「はい!母が元気だった頃、車で出かける時によくこの曲を聞いてたんです。」
「今日は野菊さんが乗っていた車で野菊さんの好きな曲をかけながら、4人でドライブだね!」
 
祐徳稲荷に到着した3人は参拝をしてから奥の院に向かった。鈴花が言った。
「ここは商売繁盛の神様で、うちは商売やってるからしょっちゅうお参りに来てますけど、上まで登るのは何年ぶりだろう?平日ですけど相変わらず観光客が多いですね。」
「祐徳稲荷は外国人が選ぶ日本の観光地で4位になったらしいよ。ちなみに3位は出雲大社だって。」
「えええー?!マジですか!日本三大稲荷とか言われてるけど、そんなに人気があるなんて知りませんでしたぁ。」
「私たちは春の時期しか知らないけれど、他の季節も美しいでしょうね!」
「はい!夏は風鈴が飾られるし、紅葉の時期もインスタ映えしますよ!」
「そうだろうね。機会があったら春以外も見てみたいね。ところで鈴花さん、山祇やまづみ神社は行ったことある?」
「ヤマヅミ神社?それはどちらにあるんですか?」
「この奥にある神社よ。」
「あ、あそこ、ヤマヅミ神社っていうんですか!知りませんでした。」
 
奥の院にたどり着くと脚本家が言った。
「あ!道ができてる!もうつながったんだね。」
「何がつながったんですか?」
「初めて鹿島に来た年に山祇神社のお祭りに参加させていただいたの。その時ご案内くださった下古枝の区長さんがね、『山祇神社の奥の院まで道を開通させたいって言ってたの。それだけじゃなく、祐徳稲荷と山祇神社が奥の院でつながる道も開通させたい。』って言ってたの。その道ができてる!」
3人は新しくできた道を通って、祐徳稲荷の奥の院から山祇神社に移動し、山を下って山祇神社にも参拝した。
「ここは空気が澄んでて気持ちいいですね。」
「そうだね。道が開通してから、以前にも増して気の流れが良くなった感じがするよ。祐徳稲荷よりこっちの方が古いんだって。知る人ぞ知る神社だね。ここは鹿島で僕の好きな場所のひとつなの。次は鬼塚古墳に行ってみようか。」
「オニヅカコフンですか?私、そこも知らないです。」
「鬼塚古墳も先生がお好きな場所なのよ。すずちゃん誕生院は知ってる?」
「はい!誕生院は知ってます。大晦日に除夜の鐘を突きに行ったことあります。」
「鬼塚古墳は誕生院のすぐそばにあるの。誕生院に寄ってから行きましょ。」
「お二人とも、私よりよっぽど鹿島に詳しいですね!」
 
鬼塚古墳の上で脚本家の話を聞いていた鈴花が言った。
「お二人をご案内するのを楽しみにしてたんですけど、私の方が知らないスポットを教えてもらってますね。」
「じゃあ、今日の最後は平谷ひらたにに湧き水を汲みに行こうよ。」
「はい!あそこは先生の影響で我が家でも水を汲みに行くようになりました。小説塾の方も何人か汲みに行ってるみたいですよ。緑風茶寮で先生がブレンドしたお茶を飲んでから気に入ってるそうです。」
「平谷の水は本当に美味しいよね。僕は日本全国の湧き水を飲んできてるけど、あそこの水がぶっちぎりで好き。」
 
 
第26話
 
3月中旬の土曜日。3年目の小説塾がスタートした。さらに増えた塾生たちが集まるときょうかが言った。
「皆さんこんにちは。塾も3年目を迎えました。本当に多くの方々にお集まりいただき嬉しいです。まり花先生と一緒に座席表を作りましたのでご覧ください。健太郎さんと翠さんは土間の丸テーブルにお座りください。2階はテーブルが2つありますので森さんと峰松さんのご家族でお使いください。和室のテーブル3つは、縁側の方から倉崎さんご一家、岩永さん親子、松尾さんのおばあさまとお孫さん3人。松尾さんのおじいさまは運転と付き添いで小説は書かないそうですので、あと膝が良くないとお聞きしたので土間の丸テーブルに席をご用意しました。すずちゃんと理絵ちゃんと美代ちゃんは板の間の机をお使いください。中島ファミリーは転勤で鳥栖にお引っ越しされましてオンラインでのご参加となります。」
続いて脚本家が言った。
「こんにちは。初めての方もいらっしゃいますね。ようこそお越しくださいました。私、この小説塾を主宰しております脚本家の岩清水と申します。今年も皆さんにお会いできることを楽しみにやってまいりました。昨年はこの小説塾から4つの作品が誕生しました。どれも楽しい作品です。現在はほとんどの方が、去年僕の提案した『有明の月』に着手されているとお聞きしています。小説『有明の月』は、全員が同じタイトル、同じあらすじに沿って書くというものです。完成間近の方もいらっしゃるそうで楽しみです。それと、人数が増えてちょっと手狭になってきましたよね。実は去年のうちに手を打ってあります。来年の春には、すぐそばに茅葺き屋根がふたつ復活します。もうちょっと待っててくださいね。」
「わー!本当ですか!!」
塾生たちは歓喜した。
 
塾生たちは割り当てられた席に着き、小説を書き始めた。脚本家は塾生たちに声をかけて回った。
「岩永さん、こんにちは。敬輔くんも元気だった?今度6年生だよね?」
「はい!4月から6年生になります。」
「先生お久しぶりです。浜小学校では4年生になると酒蔵ガイド、5年生になると茅葺きガイドをするんですよ。
敬輔は去年、庄金と南舟津の茅葺きガイドをしたんです。これをヒントに我が家の『有明の月』には、まちなみを案内する男の子が登場します。」
「それはいいですね!僕も敬輔君のガイドを聞いてみたいな。敬輔君、塾が終わったら聞かせてくれる?」
「はい!」
 
終了後、塾生全員で敬輔のガイドを聞くことになった。全員が塾の外に出ると敬輔が話し始めた。
「こちらは能古見葺のごみぶきという浜町特有の技術でかれた屋根です。かや葺き屋根と言っても材料は様々です。ここは海が近いので、風に強いよしが使われています。抜け落ちた葭が地上に落ちていますけれども、これが土にかえるとフカフカの土になるので環境にも優しいです。葭、土や漆喰しっくいの壁、木、イグサなどこの家に使われているのは自然の素材ばかりです。ちなみに茅は湿気の多い山間部に向いています。昔はわらなども使われていたそうです。
茅葺き屋根の特徴としては雨の日がとても静かです。街の中に茅葺き屋根の民家が並んでいるのは、全国でもこの地域だけだそうです。」

塾生たちが感心する中、敬輔が続けた。

「茅葺き屋根の家で最も危険なのは火災です。家の周りにはこのようにスプリンクラーがあって、もし火災が起きたら水が出ます。道路には数十メートルおきに消火栓が設置されています。向かいにある防災公園の下は貯水タンクになっています。これらが設置されていることと、行政と民間が一体となって条例の改正に取り組んだ結果、この地域は国選定の重伝建、重要じゅうよう伝統的でんとうてき建造物群けんぞうぶつぐん保存地区ほぞんちくになりました。
建物に向かって右側から見ると一つの家ですが、反対側から見てみてください。家が2つあるように見えると思います。これもこの地域独特の形でクド造りと言います。家がカタカナのコの字型に造られています。
これで茅葺き屋根のガイドを終わります。ありがとうございました。」

大きな拍手が起こった。敬輔の一言一言にうなずいていた健太郎は
「いやぁ敬ちゃん、たいしたもんだなぁ!」
 
 
第27話
 
今年も盛況のうちに酒蔵ツーリズムが終わり、ひと段落ついた鈴花が言った。
「先生、きょうかさん、お祭りも終わったので、よろしければまたドライブ行きませんか?どこか行きたいところはありますか?」
「お疲れ様でした。今年もお客さんがたくさん来てたね。行きたいところはいろいろあるけど、、、あ、そうだ!鈴花さん、たけのこ掘りって興味ある?」
「たけのこ掘りですか?食べるのは好きですけど掘ったことはないですね。でも、ちょっとやってみたいですね。」
「じゃあ行ってみようか。この前、僕たち3つの大楠を見に武雄たけおに行って来たの。武雄神社と塚崎の大楠を見て、最後に川古まで行ったらね、大楠の隣に物産館があって、たけのこ掘りしませんか?って張り紙があったの。」
 
翌週の日曜日、3人は川古にやって来た。
「わぁ〜ここ!私、子どもの頃に来たの思い出しました!これこれ!この木に大きな穴が空いてて中に鳥居がありますよね。背が小さかったから、ここに入れそうだと思ったんですよ。懐かしい〜。大きな木の穴に鳥居があったことは覚えてたんですけど、ここだったんだぁ。来れてよかったです。」
「すずちゃん、ここは来たことがあったのね!それじゃ、出発しましょ。場所はこの近くの竹やぶですって。」
 
竹やぶについた3人は説明を受けて掘り始めた。脚本家が言った。
「前にサツマイモを掘るイベントに参加したことあるんだけど、土に触るのっていいよね。」
鈴花が言った。
「はい!楽しいです。たけのこってけっこう大きいんですね。」
きょうかが言った。
「初めてでも掘れるものですね。しかもこんなにたくさん!ご近所におすそ分けですね!」
「そうしよう!中村さんと池田さんと峰松さんは料理をされるから丸ごと1本あげようか。
松本さんは調理してから届けてあげるといいんじゃない?皮をむくだけでも大変だから。」
「そうですね!土佐煮と、、、たけのこご飯も作りましょうか?
すずちゃん、ご家族や蔵人さんたちはたけのこお好きかしら?」
「はい!みんな大好きです!喜ぶと思います。」
 
翌日、脚本家ときょうかはたくさん作ったたけのこ料理を持って又七酒造の蔵を訪れた。
「多栄さん、昨日たけのこ掘りに行って来たんです。
これ、よかったら蔵の皆さんでお召し上がりください。」
「ありがとうございます。たくさん採れたみたいですね。ちなみに先生、
今日の夜は空いてますか?みんなでたけのこをつまみながら一杯やりませんか?」
「いいですね!」
 
蔵の仕事が終わると、多栄の声がけで蔵人たちが集まり飲み会が始まった。
「乾杯!」 「乾杯!」
脚本家が言った。
「鈴花さん、杜氏の仕事はどう?」
「まだまだ見習いですけど、辰さんたちに教わりながらやってます。蔵の中、熱いんですよ。あと、酒づくり中は大好きな納豆を食べられないのがちょっと残念ですね。」
辰徳が言った。
「慣れない仕事できついと思うけど、すずちゃんはよくやってますよ。」
他の蔵人たちもニコニコしながらうなづいた。蔵人の1人が言った。
「先生、すずちゃんから聞いたんですけど、山祇神社とか鬼塚古墳なんてよく見つけましたねぇ。鹿島に住んでる人でも鬼塚古墳の中に入れるなんて知らないと思いますよ。」
「どちらもいいところですよ。僕は好きです。今日も鬼塚古墳まで歩いて行って来ました。」
また別の蔵人が言った。
「先生は毎日よく歩いているらしいね。」
「はい、僕はウォーキングが好きでけっこう歩いている方だと思います。前に僕の歩行距離をスマホで見てみたら年間4,000キロ歩いていたことがわかったんです。4,000キロっていうと、東京〜博多間を2往復してるのと同じらしいです。」
「へぇ〜!すごいね!」
蔵人たちは興味津々で次々に脚本家の話を聞き出した。
 
 
第28話
 
蔵人たちと酒を酌み交わした脚本家は、翌日改めて蔵へ向かった。又七酒造を支えてきた銘酒『降魔』の売上が落ちていることを多栄から相談されていたからだ。脚本家は鈴花の案内で蔵の中を見て回りながら蔵人たちに声をかけた。脚本家を見つけた辰徳が手を振った。
「あ、先生!昨日は楽しかったですねぇ!みんな、前から先生と呑んでみたいって言ってたんで喜んでましたよ。」
「そうですか。僕も楽しかったです!今日は蔵の様子を見せていただきに来ました。ちょっとお邪魔します。」
蔵をひとまわりして事務所に戻ると脚本家が言った。
「鈴花さん、ここ何年かの決算書を見せてもらえる?」
鈴花が出してきた決算書をしばらく見ていた脚本家は、
「野菊さんの仕事って、取引先の対応と経理だったよね?他にはどんな仕事をしてたの?」
「肥前浜駅のおもてなしってご存知ですか?」
「うん、きょうかさんと見に行ったことあるよ。観光列車の停車中に地元のお店の人たちがお土産を売ってるよね。」
「はい、そうです。水とまちなみの会の人たちと、峰松豆腐屋さんとか安富餅屋さんとか、、、地元のお店の人たちでやってます。うちのお母さんはお酒を売っていました。浜駅のおもてなしの時はうちのお酒だけじゃなく、HAMA BARハマバーのスタッフさんと一緒に鹿島全部の蔵のお酒を売るから、他の蔵のお酒の特徴なんかも話していました。」
「そうか。野菊さんはあのおもてなしをやっていたんだね。」
 
その週末、脚本家は又七酒造の蔵人たちを肥前浜駅に誘った。観光列車ふたつ星4047が停車する17分間のおもてなしを視察するためだった。
駅のホームではまもなく到着する列車を出迎えるための準備がテキパキと行われていた。列車が到着すると駅は一気に活気に包まれた。
「いらっしゃいませ〜!!」
ホームには停車時間を乗客に楽しんでもらおうと、大きな声でもてなす住民たちの姿があった。今や名物となった肥前浜駅のおもてなし。乗客たちも買い物を楽しんでいる。列車の出発時刻が近づき乗客が列車に乗り込むと、住民たちは到着時と同じく垂れ幕や旗を持ち、先頭車両の前に並んで出発する列車を見送った。乗客たちも嬉しそうに手を振っていた。
 
蔵に戻ると蔵人たちが口々に言った。
「知らなかったなぁ。町の人たちがああやって盛り上げていたんだね。」
「あれを週4日もやってるなんてなぁ。町おこしはやりがいあるって言ってたけど、なかなかできることじゃないよ。」
「俺らはせいぜい祭りでうちの酒を売るくらい。少なくとも町のためにはやってないよな。」
脚本家が言った。
「西九州新幹線ができて、鹿島は特急の本数が減って不便になったと聞きますよね。電車の本数が減ったのにHAMA BARの売上は上がっているそうです。僕は売上が上がったのは、あのおもてなしの成果だと思ってますよ。新幹線が開通する前は週1回だった観光列車が、今は週4回、それだけおもてなしの回数も増えて忙しくなったそうです。『前に来た時はおもてなしがあったのに今回はなかった』となったらお客さんが気の毒だから毎回やるんだそうです。しかも夏休みは週6になるそうです。地元の皆さんの地道な努力が肥前浜宿への客足を増やしているんだと思いますよ。陰の努力ですね。」
 
麟太郎がいつもの軽い調子で言った。
「そうか!先生、俺たちがあれを見に行ったのは、うまくいってるところのマネをしようってことですね!」
脚本家がすかさず言った。
「違う!!マネじゃない!!うまくいっているところをよく研究して、その一歩先を行くんです!!」
 脚本家のあまりの迫力に、蔵人たちに緊張が走った。
「お客さんを喜ばせるっていうのが経営の基本なんですよ。お客さんに喜ばれてる部分の行動量を増やすんです。売上が良かった時と比べて、又七酒造はどこの行動量が減っているのか。売上が落ちたからって早計に新しい酒なんかつくっちゃダメ!ネガティブな理由で味を変えてはダメです!味を変えるならポジティブな理由じゃないと!」
 
蔵が静まり返る中、辰徳が言った。
「野菊ちゃんが亡くなってから売上が落ちてることは全員が気づいていました。だけど、野菊ちゃんが何をしていたかってことに目を向けるものは誰もいなかった。先生、私らにそれを気づかせてくれたんですね。」
 
 
第29話
 
今年も鹿島を旅立つ日を間近に控えた脚本家ときょうかが、鈴花とまり花をドライブに誘った。
行き先は太良。車を走らせながら鈴花が言った。
「先生、先日はありがとうございました。先生のあんな迫力ある言葉、初めて聞いたのでびっくりしましたぁ!でも、おじいちゃんは『先生がうちの蔵のことを真剣に考えて下さって嬉しかった。』って言ってましたし、辰徳さんなんて、『先生に喝を入れてもらってなんだか目が覚めた。』って言ってたんですよ。『六さんがいい酒を造りたいって言ってた意味がやっとわかったよ。』って。」
脚本家が言った。
「あぁ、あれね、マインドセットっていうの、マインドセット。アハハ。」
「おかげさまで、私もお母さんがやっていたことを他にも思い出したんです。」
「それは良かったね。ちなみにどんなことを思い出したの?」
「お母さんが元気な頃って、佐賀の地酒フェアがあると福岡でも東京でも行って出店してたんです。イベントって土日が多いから私も一緒に行ったことがあって、お母さんはお客さんにうちのお酒をいろいろ出すんですけど、お酒のことよりも佐賀の話をしていました。うちのいろんなお酒を飲んでもらいながら祐徳稲荷とか、武雄図書館とか、有田焼きとかの話をしていたんです。そうすると有田焼きのお皿を持ってる人とか、テレビで武雄図書館を見たことあるっていう人がいたりして、お客さんから『今度佐賀に遊びに行きます。』って言われるんですよね。東京のイベントで会ったお客さんが何年かしてからうちに来て、『東京で降魔を買いました!ようやく佐賀県に来れて、さっき祐徳稲荷にお参りして来ましたよ。』みたいなことがあるんです。こうしてみると、お母さんって佐賀県の観光大使みたいですね。」
「そう。それはお客さんが楽しいだろうね。お酒も売れるだろうね。」
 
4人は鹿島と太良の道の駅に立ち寄って地元産の海苔や果物を買い、家族亭フタバで窓から見える有明海の干潟を眺めながら食事をした後、大魚神社の海中鳥居に移動した。
まり花が言った。
「わぁ!ここ、来てみたかったんです。学校から近いのになかなか
来る機会がなくて。本当に海の中に鳥居が立っているんですね。」
きょうかが言った。
「今は潮が引いているから三つめの鳥居まで行けますね。
せっかくだからみんなで写真撮りましょうよ。今日は天気が
いいから青い空に真っ赤な鳥居が映えますね!」
 
海岸に戻った4人は海を見ながら夕方近くまで話していた。
「満潮の時は鳥居が海に浮かんで見えるらしいですよ。」
「いつかタイミングがあったら見てみたいですね。」
「来年また4人で来ましょう。」
 
別れの時が近づいて、ポツリポツリと会話が途切れた頃、まり花が言った。
「今年もお二人とお会いできるのは今日で最後ですね。この時間が楽しければ楽しいほど寂しくなりますね。」
隣にいた脚本家がまり花の肩にそっと手をかけた。まり花は脚本家の手に自分の手を重ねると、海を見つめたまま和歌をよんだ。
わすれじと いしいしの名残なごりとて そのつきは めぐりにけり」
脚本家は少しの間その和歌を静かに味わった。そして
わするなよ ほどは雲居くもゐになりぬとも 空行そらゆつきの めぐりうまで」
まり花は脚本家を見つめ、微笑みながらコクリと頷いた。
 
 
第30話
 
例年、梅雨に入ると鹿島は大雨が降り続く。茅葺き屋根の小説塾は築137年。雨風が強くなる時の雨漏りに備え、鈴花と麟太郎は梅雨の晴れ間を見計らって雨どいにつまった茅を取り除いていた。
ひと段落したところで鈴花の携帯電話が鳴った。まり花だった。
 
「鈴花さん、こんにちは。実はね、佐賀県全体の中高生の学力向上を目指して、今年から学校の枠を超えて協力し合おうっていう取り組みが始まったの。この前、杵藤きとう地区の高校の国語の先生方が集まる勉強会があってね、私が小説塾の話をしたら先生方が興味を持たれて、どんなことをしてるのか詳しく聞きたいって言われたんだけど、今度私と一緒に小説塾について話してもらえないかしら?」
「え?私が国語の先生方に話すんですか?何を話したらいいですか?」
「勉強会で私が話したのは、東京から脚本家の先生が来られていることと、3年前から月2回の小説塾をやってること、最初は何を書いたらいいかわからなかった塾生の人たちが、ひとつのあらすじを与えられたら5万字もの文章を書き上げてるってお話ししたら先生方がびっくりされてね。1つのテーマで5万字も書けたら、文章力だけでなく国語力が相当身につくだろうって言われたの。うちの学校の先生方は、せっかく地元でやってるならうちの生徒たちにも書かせてみたいっておっしゃってるの。それでね、鈴花さんに話して欲しいのは、高校生の時から小説を書いている塾生としての感想と、普段は鹿島にいない先生がどうやって教えてらっしゃるのか、鈴花さんが手伝っている運営のことも聞いてみたいんですって。」
「わかりましたぁ。ちなみにいつ頃になりますか?」
「次の勉強会は7月なの。日程が決まったら連絡するね。会場は鹿島高校かうちの学校になると思う。」
「そこに参加する先生が何人いるのかわかりませんけど、もし良かったら小説塾を見てもらうのはどうでしょう?雰囲気がよく伝わるかも、、、ってゆうか、タイミングが合えば小説塾の日に来てもらいませんか?子どもから大人まで他の塾生の感想も聞けるし、ZOOMで先生ときょうかさんのお話も聞けちゃうかもしれませんね。」
「あぁ、それいいね。先生方の予定を聞いてみるね。鈴花さんありがとう!じゃあ来月、よろしくね。」
「あ!まり花先生、私も1つ教えて欲しいことがあるんですけど、、、。」
「ん?なぁに?」
 
「春に太良の海中鳥居に行ったじゃないですか。あそこでまり花先生がよんだ和歌ってどういう歌なんですか?意味はわかりませんでしたけど言葉がきれいだなぁって思って。それに対する先生の返歌も素敵で、私、お二人の美しい和歌のやりとりに見とれちゃいました。」
「そんな風に思ってもらえてたなんて嬉しいな。私がよんだ歌はね、オリジナルは『新古今和歌集』に出てくる歌なの。意味は、『あなたのことを忘れないと強く強く言ったその思いの強さの名残として、その夜に出ていたのと同じ月をまた迎えたことです。』って感じかな。来年また先生とお会いする未来を先取りして、少しアレンジしてみたの。それに対して先生がよんでくださった返歌はね、『拾遺しゅうい和歌集』っていうのに出てくるの。『心に留めておいてほしい。しばらくは遠くに別れ別れになってしまっても、空を行く月が同じ周期を繰り返すように、僕たちはまた来年も巡り逢えますよ。』っていう歌ね。
「めちゃくちゃ素敵ですね!私の小説にも和歌を入れたいなぁ。まり花先生、私に和歌を教えてください!!」
 
第31話
 
又七酒造に活気が戻ってきた。蔵人たちは仕事に精を出し、取引先の間では又七の蔵人たちが明るくなったと言われ始めた。鈴花は飲食店や酒屋を積極的に回り、酒の卸し先を増やしていった。特におしゃれで都会的な店に酒を置きたいと考え、武雄図書館を訪れた。脚本家が初めて鹿島に来た頃に、「武雄の図書館は佐賀に来る前からいつか行ってみたいと思ってた。」と聞いたことを思い出したからだ。
図書館に入ると、物産コーナーに酒などの佐賀土産が置かれていた。館長に話を聞いてもらえることになった鈴花は、又七酒造から来たこと、おしゃれで都会的な卸し先を増やしたいと思っていることを話し、物産コーナーに降魔を置かせて欲しいと頼んだ。館長は快く了承してくれた。
「館長さんありがとうございます。よろしければ一緒に記念写真を撮っていただけませんか?」
「いいですよ!」
館長は受付に立つ若い男性スタッフに撮影を頼むと、
「この方、実は偉い方なんですよ。」
そう言って鈴花に紹介した。
 
それから数日後の朝、鈴花は館長が男性スタッフにかけた労いの言葉に野菊のことを思い出した。
「ステキね♡」とか「六さんがいてくれるからうちの蔵は安泰ね。」と、野菊は蔵人たちにいつも労いの言葉をかけていたのだった。
(そういえばお母さん、『今日も1日お疲れさま。』『今日もホントによくがんばったね。』って自分自身にも言ってたなぁ。)鈴花は、野菊が自分自身にかけていた言葉を思い出して、自分もそうしようと決意した朝8時30分、鈴花の携帯電話が鳴った。きょうかからだった。
「すずちゃん、今どこ?」
「きょうかさん、おはようございます。蔵にいますよ。何かありましたか?」
「よかったら武雄温泉に来ない?」
「えっ?きょうかさん、もしかして武雄にいらっしゃるんですか?」
「フフフ」
 
鈴花は急いで武雄温泉に駆けつけた。
車を駐めると再び携帯が鳴った。今度は脚本家だった。
「鈴花さん、楼門に入りなよ。」
鈴花は温泉券を買って初めて楼門に入り、階段を上がって二階の部屋に入った。
「うわぁ!知らなかった。楼門の中ってこんな風になってたんだぁ。」
でもそこに二人はいなかった。そしてまた携帯が鳴った。
「先生〜、どちらにいらっしゃるんですか?」
「今ね、僕たち東京にいるんだ。東京駅。楼門の天井に4匹の動物がいるでしょ?」
「動物?あ、この天井に彫ってある絵のことですか?」
「そう。それね、十二支のうちの四つの干支なんだよ。」
「あ、これ干支なんですか。」
鈴花は天井の四隅に掘られた干支を一つ一つ見て回った。
「他の八つの干支は東京駅の天井にいるんだよ。鈴花さん、とり年でしょ?僕ね、うさぎ年。きょうかさんはうし年、まり花さんはとら年。今きょうかさんが東京駅の天井の写真を鈴花さんに送ってくれるって。見てみてね。」
「あ、はい。わぁ、きれい!そういえば東京駅の天井って八角形でしたね。」
「僕たちみんな、離れててもいつもつながっているからね。」
(第一部・了)



 第32話
 
小説塾に近隣の高校から国語教諭が視察に訪れた。まり花はまず塾生達に向かって話し始めた。
「皆さん、こんにちは。前回の塾で少しお話ししましたが、実は今年から近隣の学校の先生方と一緒に生徒達の学力向上に取り組んでおります。この小説塾が参考になるんじゃないかということで、本日は庄金高校、鹿島高校、太良高校、嬉野高校、武雄高校から国語の先生方が見学にいらっしゃいました。塾は普段通りの流れで開催しますので、皆さんはいつもと同じように小説を進めてください。よろしくお願いします。」
 
まり花は次に視察の教諭達に向かって言った。
「塾は月2回、土曜日の午前中にこちらで開催しています。ご覧のように1階の和室、板の間、土間の丸テーブル、2階に分かれて、同じテーマの小説をそれぞれのペースで書いています。今日この会場には15名の方がいらしています。オンラインでご参加の方もいらっしゃいます。ちなみに、この春うちの高校を卒業して福岡の大学に進学した生徒と、この塾で小説に興味を持って東京の大学で日本文学を専攻している生徒がいます。2人も4月からオンラインで参加しております。」
まり花はそう言ってオンラインの参加者が映っているパソコン画面を国語教諭達に見せた。そして画面に映っている美代子と理絵に向かって言った。
「美代子さん、理絵さん、聞こえますか?今日は庄金高校の高橋先生もいらしてますよー。」
高橋がパソコン画面に向かって手を振ると、美代子と理絵も手を振り返した。
 
美代子が言った。
「高橋先生はよくご存知ですけど、私、国語が超苦手だったんです。そもそも小説塾に参加したのは幼馴染の鈴花と理絵に誘われたからで、正直なところ自分が小説を書くようになるなんて思いもしませんでした。でも小説塾に人が増えるたびに岩清水先生がお話しされることがあって、あ、今日も新しい人が来ると聞いたのでお話しされると思うんですけど、その話を聞いて書けるようになりました。」
理絵が言った。
「すずちゃんと美代ちゃんと私、幼馴染でもあるんですけど、3人とも家が酒蔵なんです。高校はみんな調理科で、私は卒業したら家の仕事をするつもりでした。でも小説塾に入ってから文学に興味を持つようになって、今は岩清水先生が特別講義をされている東京女子大学で日本文学を専攻しています。将来は作家志望です。」
美代子はすかさず
「高橋先生、理絵はどこに住んでると思います?吉祥寺ですよ、吉祥寺〜!東京に行っちゃって、花の女子大生ですよぉ。」
高橋は(相変わらずだな)という表情で美代子の話に笑った。
 
「岩清水先生、聞こえますか?」
まり花が呼ぶと、理絵が席を立ってそこに脚本家が座った。
「ご紹介します。こちらが脚本家の岩清水緑風先生です。本日、先生は東京からのご参加です。」
脚本家が言った。
「こんにちは。お元気でらっしゃいますか?国語の先生方も、ようこそお越しくださいました。この小説塾を主宰しております岩清水と申します。
今日は僕の好きな椿山荘ちんざんそうという東京のホテルにいます。理絵さんにもこちらに来てもらって、きょうかさんと3人で参加します。ちなみに椿山荘は2万坪の日本庭園があるんですよ。せっかくなのでお見せしますね。」
カラーン・カラーン・カラーン
その時、チャペルの鐘がなった。
「今日は椿山荘で結婚式が行われていまして、今ちょうど新郎新婦が庭に出てきました。」
美しい緑の庭園と花嫁の姿が画面に映し出されると
塾生たちから「わぁ!」「綺麗!」と声が上がった。
 
第33話
 
「今日は庄金高校から生徒さんも来てくれているそうですね。どちらにいらっしゃいますか?」
脚本家の言葉を聞いたまり花は、「3年生の中村結衣ゆいさんです。」と言って初参加の生徒にパソコンの画面を向けた。
「中村さん、こんにちは。ようこそ!岩清水です。」
脚本家は手を振りながら生徒に話しかけた。
「こんにちは。中村です。」
「今日はまり花先生に誘われたんですか?」
「最初はまり花先生に誘われました。古文の時間にまり花先生が『文章を書くのが苦手な人ー?』って言ったらクラスのほとんど全員が手をあげました。その後、『書くのを練習して上達したい人いますか?』って聞かれた時は手をあげる人がいなかったんですけど、私は受験科目に小論文があるので手をあげたら小説塾のことを紹介されました。」
「そうですか。文章を書くことに苦手意識があるんですね。でも受験に小論文が必要なんですね。」
「はい。私、中学の頃から国語の成績がよくないんです。本を読んでもなかなか内容が頭に入ってこなくて、、、学校の定期試験は授業で習った文章が出るからまだいいんですけど、模擬試験の長文読解になると最悪です。何が書いてあるのか読むのに時間がかかるし、途中まで読んだら最初の方に何が書いてあったか忘れちゃうんです。それを現代文の高橋先生に相談したら、『試しに小説塾に行ってみない?』って言われました。国語と小論文の勉強だけでもいっぱいいっぱいなのに小説書く余裕なんてないよって思ったんですけど、2人の先生から言われたので参加してみました。」
「そうですか。読むことが苦手なんですね。大丈夫です!意外に思うかもしれませんけど、僕は大人になるまでほとんど本を読んだことがありません。」
 
会場がざわついた。結衣は目を大きく見開いて、
「えっ?ホントですか。」
「ホントです!ところで、文章と言ってもいろんな文章があります。小論文もあれば、日記やSNS、新聞の記事、俳句や短歌、この塾で皆さんが書いているのは小説です。小説を書くことによって言葉が思いついたり、文章の構成、つまり起承転結が身につく助けになると思います。小論文のプラスになることもあると思いますが、書いてみます?」
「はい。書いてみたいです。文章の書き方、覚えたいです!」
「そうですか!わかりました。この小説塾では、皆さんが『有明の月』という同じタイトルの小説を書いています。5万字程度で自由に書いてみましょうと言われたら書けそうですか?」
「え、、、!?5万字ですか、、、。何を書いたらいいかわかりません、、、。」
「そりゃそうですよね。困っちゃいますよね。じゃあ、『有明の月』というタイトルで、佐賀県鹿島市を舞台とした物語を書いてみましょう。鈴花さんという高校1年生の女性を登場させてください。『有明の月』は、鈴花の高校1年生から5年間の成長物語です。と言われたらどうでしょうか?」
「鹿島が舞台の、、、女子高生が登場する学園もの。青春ストーリーかな?って思いました。」
「いいですね。では、鈴花は佐賀県鹿島市にある酒蔵「又七酒造」の一人娘です。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、鈴花の5人家族と、ペットのうさぎが登場します。毛の色がアプリコットのかわいらしいうさぎです。家族はそれぞれ、自分の胸の内をうさぎにそっと話します。鈴花のお父さんとおばあちゃんは、鈴花に酒蔵を継がせたいと思っています。でもお母さんは鈴花の好きな道を歩ませたいと思っています。ここまで聞くとどうですか?」
 
結衣が鈴花を見ると、鈴花は優しく微笑んだ。脚本家が続けた。
「物語にどんなシーンが出てくると思いますか?何か思いついたら教えてください。」
「ええっと、、、それって、、、東山先輩のお家のことですよね?」
会場がドッと笑いにつつまれた。
「正解!今のは全部実話なんですけど、今の話から、登場人物の会話とか、何か浮かんできましたか?」
「話を作っちゃっていいんですか?」
「はい!オッケーです!どんどん作っちゃいましょう!」
「鈴花は家を継ぐべきか、好きな道に進むべきか、うさぎに相談すると思います。」
 

第34話
 
緑風茶りょくふうちゃラテはいかがですか?夏なのでアイスにしてあります。」
小説塾が終わり、鈴花がグラスをのせたお盆を持ってくると子どもたちが集まった。
「緑風茶ラテ大好きー!」
「普通の緑風茶もありますのでお好きなほうをどうぞ。」
緑風茶を飲んだ嬉野高校の教諭が言った。
「このお茶美味しいですね!何が入ってるんですか?」
「ヨモギとかドクダミとか、12種類がブレンドされた岩清水先生考案のお茶なんですよ。お水は平谷の湧き水です。先生は美味しくて体にいいものがお好きなんです。あ、嬉野の緑茶も入ってます!」
「そうですか!嬉しいなぁ。岩清水先生は健康にも気を使ってらっしゃるんですね。」
「オーガニック歴20年以上だそうですよ。」
 
まり花が言った。
「皆さん、お疲れ様でした。あと少しだけご協力いただけますか?小説を書いてみた感想を教えて欲しいんです。えーっと、では岩永敬輔くん、お話聞かせてくれますか?」
「はい!僕は今6年生なんですけど、5年生の時に庄金と南舟津の茅葺きガイドをしたんです。僕がお母さんと書いている『有明の月』には、まちなみを案内する男の子が登場するので、ガイドをした時のことを思い出してはお母さんと話して小説に書いています。観光客の人から質問されたこととか、思い出したことをメモ帳に書いています。」 
「敬輔くん、ありがとうございます。敬輔くんは前に茅葺きガイドをやって見せてくれたことがあるんです。お話が素晴らしくて皆さんが感心されていました。敬輔くんのお母様も一言よろしいですか?」
「はい。私が子どもの頃って、街の昔のことを何でも知っている長老みたいな人たちがいて、断っても話を聞かせてくるような時代だったんです。だけどそういう人が徐々に減って、街の歴史に関心を持つ人も減ってしまって残念に思っていたんです。岩清水先生はこの街のことを本当に丁寧に調べられて、お話をお聞きした時に感動しました。我が家の『有明の月』には、昔私が街のおじいさんたちから聞いた話も書いています。街の歴史について息子と話せる機会ができてありがたいですね。あと、敬輔は忘れ物が多かったんですけど、メモするようになって忘れ物が減りました。」
 
「親子で小説を書きながら街の歴史についてお話しする機会にもなっているんですね。ちなみに岩清水先生は、『敬輔くんはいつもいろんなことを考えているから忘れ物が多いと思うよ。僕もそうだったから。僕から見て敬輔くんは天才。敬輔くんがいるから鹿島の未来は明るいね。』とおっしゃっていたんですよ。岩永さん、敬輔くん、ありがとうございました。」
会場から拍手が起こった。
「ではもう1人、初参加の中村結衣さん。今日はいかがでしたか?」
「今日は来て良かったです。私でも長い文章がこんなに簡単に書けるんだって自信がつきました。自分は今まで、簡単なことを難しく考えていたかもしれません。書けないと決めつけていたのもあると思います。受験に向けて希望が持てました。」
「それは良かったですね。難しいと思っていると書けないのが、簡単だと思った瞬間に書けてしまうことに気づけたら自信がつきますよね。今日はいい時間になりましたね。ありがとうございました。」
 
塾生が解散した後、国語教諭たちは感想を言い合った。
「参加させていただいてありがとうございました。正直なところ、ここに来るまで生徒たちに小説を書かせることに不安もあったんです。書ける生徒はいいけれど、書けない生徒は逆に落ち込むんじゃないかと心配していました。でも皆さんの様子を拝見して、私自身、読んだり書いたりするのって楽しいと改めて思いました。生徒たちに楽しみながら書かせてみたいと思います。」
「今日は僕自身が勉強になりました。生徒が授業を楽しく感じられるように教え方を工夫しようと思いました。岩清水先生の明るい雰囲気とわかりやすい教え方で、中村がサラサラと文章を書いていて、参考になるところがたくさんありました。いやぁ、楽しい時間でした!」
 
 
第35話
 
「お客さんを喜ばせることが経営の基本なんですよ!お客さんに喜ばれてる部分の行動量を増やすんです。売上が良かった時と比べて、又七酒造はどの部分の行動量が減っているのか。売上が落ちたからって早計に新しい酒なんかつくっちゃダメ!ネガティブな理由で味を変えてはダメです!味を変えるならポジティブな理由じゃないと!」
春に脚本家から言われた言葉で奮起した又七酒造の蔵人達は、新たに造る酒について毎日のように話し合った。
「やっぱり毎日飲める酒がいいな。」
「毎日飲んでも美味い酒!飽きない酒!」
「毎日飲むなら買いやすくないと。」
「買いやすいってのは値段だけじゃない。酒屋でもスーパーでも、通販でも買える。」
「奥さんに気兼ねなく毎日飲める酒。『これなら毎日飲んでもいいわよ〜。』って言われる酒だ。」
「体に悪いものが入ってたらダメだよな。」
「美味いし安いし、どこでも誰でも買える。毎日飲んでも体に負担がかからない。どこの家にも常備される酒。」
「はぁ〜!こりゃ、たいした酒だ。そんな夢みたいな酒、一度でいいから造ってみたいねぇ。」
 
「チラシに杜氏の俺らが載ってるってどうだろう?」
「『私たちが毎日飲みたい酒を造りました。』っていうキャッチコピー。」
「それいいと思うよ!俺らが本当に飲みたい酒を造ってるんだってことを漏れなく伝えよう。」
「どこがどう飲みたいのか。なんで毎日飲めるのか。」
仕事の合間も終わってからも、蔵人たちは休憩室に集まり話し合った。休憩室にはいつもロッキーのテーマソングが流れていた。脚本家のアイデアで、みんなで話す時にBGMをかけると活発な意見が出ると言われたからだ。
「つまみも簡単で毎日食べても飽きないのがいいなぁ。」
「先生は、祐徳“稲荷”にかけて油揚げをつまみにしたらどうかって言ってたな。」
「あぁ、大きい油揚げを焼いて、刻んだネギと醤油をかければそれだけで美味いよって言ってた。」
「たしか稲荷寿司の皮の話もしてたよな?」
「うん!祐徳さんでレトルトパックの稲荷寿司の皮を買ってお供えできるようにするって話でしょ?」
「そうそう!お供えが終わったら持ち帰ってもいいし、真空パックだからそのままにしといてもいいって言ってた。」
「門前商店街に稲荷寿司を詰めてくれる店があれば、お供えの後で詰めてもらってもいい。」
「地元の豆腐屋さんと商品開発するんだった。宮司さんにも話に行かなきゃ。」
 
「待てよ、先生が言ってたのは全国の酒蔵を儲けさせるってことじゃなかったか?」
「そうだ、そっちが先だよ!先生が言ってたことを一回整理しよう。」
「お稲荷さんだって全国にあるんだ。どこの酒蔵でもできることを考えなくちゃ。」
何をすればお客さんに喜ばれるのか。
毎日飲んでも飽きることなく、美味くて体に負担がかからない酒をどうやって造ろうか。
蔵人達は真剣だった。そして楽しかった。ベテランも若手も全員の意見がノートに書き溜められていった。
 
「だけど、こんな話をしながら酒を造るって、なんだか楽しいよな。」
「あぁ全くだ!昔は六さんと毎日のように本気で酒談義してたさ。」
「あの頃を思い出すなぁ。俺たち本当に喜ばれる酒を造りたかったんだなぁ。」
「やろう!今なら造れるよ!いい酒も、美味いつまみも。」
 
 
第36話
 
又七酒造の挑戦が始まった。
蔵人たちは出した案をもとに新しい酒の試作を繰り返した。造っては飲み、飲んではその印象を記録する。試行錯誤の日々が続いた。秋が過ぎ、冬が来る頃には蔵人たちの案や試作品の印象を書き溜めたノートは5冊にもなっていた。鹿島の豆腐店が力を合わせて作っているつまみもまた、試作が繰り返されていた。
 
新しい酒を早く売り出したい麟太郎はその様子にやきもきしていた。年が明けると、蔵に入るなり
「ねぇ、辰さん!3月の酒蔵ツーリズムで新作をお披露目するってのはどうかな?そうだ鈴花、先生に連絡して新しい酒とつまみの名前を考えてもらったらいいんじゃないか?」
そんな麟太郎を辰徳が一喝した。
「麟太郎さん、焦っちゃダメだ!俺たちは今、自分らが毎日でも飲みたくなる酒を研究しているんだから。祭りのために造ってるんじゃないんだよ。今はまだ早い。どうしても祭りで出したいって言うなら、試作を飲んでもらうくらいの気持ちでいてくれ。」
 
鈴花は蔵人たちの知恵と技の結晶である新しい酒が造られる様子を小説に克明に書いた。たびたび庄金高校を訪れ、小説をまり花に見せて意見を聞いた。
まもなく完成するその小説に新しく書き足された部分を読んだまり花が言った。
「鈴花さんの小説、もう何作目になったかしら?」
「ええっと、おばあちゃんの伝記から始まって、今書いてるので5作目です。私は5作目にしてようやく“有明の月”を書いてます。」
「文章が生き生きしてとってもいいと思うわ。特に今回の蔵人さんとお父さんのやりとり、繊細に描かれていて蔵で何が起こっているかはっきりとイメージできるもの。」
「本当ですか!嬉しいです。ありがとうございます。」
「新しいお酒が誕生した後のお話は次回作に書くってことだから、お酒が生まれるまでを書いたこの小説はまもなく完成ね。鈴花さん、蔵の仕事と両立しながら本当によく頑張ったね。あとは和歌の部分ね。鈴花さんの先生に対する気持ちを美しい和歌で表現したいね。前回見せた3つの歌は参考になったかしら?」
「はい!どれもとっても綺麗ですね。一つ目のは、身分が違い過ぎる男性に好きだけど好きって言えない心の声ですよね。二つ目は、身分は違えど好きなものは好きってはっきり言うタイプの女性ですね。私は、本物の愛を可愛らしい恋心のような表現で素直に伝えている三つ目の感じが好きです。」
「うん、私も鈴花さんの意見に賛成よ。これをベースに、今のあなたに合った和歌をつくりましょう。」
 
「杏介ただいまー!」
帰宅した鈴花はうさぎの杏介をゲージから出して、部屋で遊ばせた。
「今日ね、まり花先生が小説を褒めてくれたんだよ。文章が生き生きしていてとってもいいって。蔵で何が起こってるかイメージできるんだって。そりゃそうだよね、実際の会話をそのまま書いてるんだもんね。アハハ。」
杏介は鈴花の膝にちょこんとのった。鈴花は杏介をなでながら話を続けた。
「あとは和歌を入れて完成なんだよ。ねぇ、杏介。私ね、先生のことが好き!きょうかさんみたいに、先生とお似合いの女性になりたいな。前はね、きょうかさんは私にとって憧れのお姉さんって感じだったの。綺麗で、あったかくて、おしゃれで、料理も上手でしょ。でも今はね、きょうかさんが目標なの。先生のことを誰よりも愛してるし大切にしてるでしょ。それでいて独り占めしないでしょ。なでしこさん達のことも大好きなのがわかるもんね。前にね、『先生を見つめる私の目がまっすぐで感動した。』ってきょうかさんに言われたことがあるの。『私もすずちゃんみたいな素直な気持ちでずっと先生を見ていたい。』って。あぁ、あのキラキラした感じ、もう〜きょうかさん大好き!私も先生を愛する気持ちを純粋に表現したいんだ。和歌はね、まり花先生が一緒に考えてくれてるんだよ。最高でしょ!」
 
 
第37話
 
今年も鹿島に遅い春が来た。鈴花は脚本家ときょうかの到着を心待ちにしながら小説塾の跳ね上げとすり上げの戸を上げた。縁側の雨戸を開けて、障子の戸を開いたところへきょうかが運転する真っ赤なアルファードが颯爽とやって来た。
 
きょうかは出迎えた鈴花を見るなり駆け寄った。
「すずちゃん!今ね、打ち合わせがあって庄金高校に寄ってきたの。まり花さんからすずちゃんの小説が完成したって聞いたよ。まり花さん泣いてたよ。すずちゃんは最愛のお母さんが亡くなっただけでも辛いのに、それを乗り越えて蔵の仕事をしながら書いたって。めちゃくちゃいい小説ができたって!本当によく頑張ったね。お疲れさま。」
「わぁ!嬉しいです。まり花先生、私の小説を何度も何度も読み返してくださったんです。『この時、この人の声のトーンはどうだった?』とか、『この時はどんな顔してたの?』って、本当に細かいところまで読み込んでもらいました。和歌も一緒に考えてもらったし、今回の小説はまり花先生のおかげで書き上げることができました。」
「天国のお母さんにもいい報告ができるね。」
「はい!お母さんも喜んでくれてると思います。」
再会を喜び合い、完成した小説のことを興奮気味に話す自分達を微笑ましく見ている脚本家に気づいた鈴花は
「先生、お帰りなさい。今年も楽しみにお待ちしていました。」
「ただいま、鈴花さん。今年もよろしくね。」
 
その夜、蔵人たちは新たな酒の試作品とつまみを並べた部屋に脚本家を招いた。
「先生、待ってました!次に先生が来るまでに新しい酒を造るんだって、この1年、みんなよくやりましたよ。まだ試作の段階ですけど、新しい酒を5種類準備してます。味見していただけますか。」
辰徳がそう言うと、蔵人たちも脚本家を見てうなづいた。
「そうですか。じゃ、さっそくいただきますね。」
脚本家は、そう言って並べられた酒をひとつずつ味見した。
「うん!これは美味しいですね。」
「あぁ、こっちのは飲みやすいですね。」
辰徳が言った。
「値段も名前もまだ決まってないけど、今回は毎日飲みたくなる酒を目指しました。一般家庭で日常的に飲める手頃な値段にしたいと思ってます。昔で言うと二級酒だとか、ワインで言うならテーブルワインのような酒です。」
脚本家はどの酒も丁寧に味わいながら
「いやぁ、どれも美味しいですよ!あぁこっちはけっこう辛口ですね。六さんの『いい酒を造りたい』っていう気持ちが、皆さんに浸透しているのが伝わってきます。つまみもいただきまーす。あ!これ熱々で美味いですね!」
「美味いでしょ?この大きな油揚げ。もうひとつ、先生が言ってた祐徳さんでお供えできるいなり寿司の皮もできてます。こっちがレトルトパックに入ってる状態で、ご飯を詰めたものがこれです。」
きょうかはいなり寿司を一口食べると、
「このおいなりさんも美味しいですね!お供えできて、お土産にもなるから縁起がいいって名物になりそうですね。まさに『祐徳いなり』ですね。」
脚本家が言った。
「僕はこの3番目の酒が好きですけど、どれが好まれるでしょうね。ファンの方に意見を聞けるといいですね。」
 
つぼみだった鹿島の桜が一斉に花を開いた。今年も酒蔵ツーリズムが盛大に開催された。又七酒造は蔵開きを行い、試作の酒とつまみを振る舞ってアンケートを取ることになった。
 
脚本家は又七酒造の前掛けをかけて、蔵人たちと一緒に酒を振る舞った。蔵を訪れた客は次々と脚本家に声をかけた。
「あ!先生じゃないですか!こんにちは!」
「あら先生!今日は又七さんのお手伝いなんですね。」
「先生〜、お久しぶりです。酒蔵通りを歩いてたら、こっちで先生が酒を振舞ってるって聞いて急いで来ましたよ。」
驚いたのは蔵人たちだ。
「いやぁ先生、顔が広いですねぇ。毎年1ヶ月しかいないのに、随分知り合いがいるんですね。最初に来たのは私の同級生、次に来た家族連れはうちの親戚ですよ。」
 
 
第38話
 
祭りでとったアンケートが集計された。又七酒造はその後も県内外のイベントで酒を振る舞ってはアンケートをとった。毎晩の晩酌に飲むならどの酒を飲みたいかを問うそのアンケートは、それ自体がPRになるよう脚本家が考えたものだった。
「酒の味は皆さんの好みやアンケートを参考に決まると思うので、次は売り方について考えましょう。」
銘柄、ラベルやチラシはどうするか、この酒をどこでどのように広め、誰に売っていくのか。脚本家はたびたび蔵人たちと話し合った。
 
鈴花ときょうかは3作目となる雑誌「有明の月」に掲載する塾生たちの小説をまとめていた。
「すずちゃん、もうすぐ二十歳のお誕生日だね。二十代の目標とかあるの?」
鈴花は少し考えてから恥ずかしそうに言った。
「仕事とか、小説の目標もあるにはあるんですけど、、、私、、、きょうかさんみたいに先生とつり合う女性になりたいなぁ。でも好きっていう気持ちだけじゃ無理ですよね。先生から見たら私まだまだ子どもだし、、、。」
「懐かしいな。」
「え?」
鈴花の話を嬉しそうに聞いていたきょうかが目を細めながら言った。
「すずちゃんを見てると、昔の私を思い出すの。私が先生と最初にお会いしてからもうすぐ10年になるんだけどね、その頃の私って『やる気はあるけど私には無理』みたいなことを口癖のように言ってたの。」
「きょうかさんがですか?なんだか信じられない。」
「私は今でこそ先生やなでしこの仲間たちと一緒に過ごしているけれど、当時の私は(先生やみんなと一緒にいたい。でもそれを実現するなんて自分には無理だろう。)って思い込んでたの。そもそも希望を口に出すこともできなかった。要するに自信がなかったのよね。ある時、そんな私の本音を先生にお話ししたことがあるの。」
おそらく実話であろうきょうかの話を、しかし自分を励ますために言ってくれているのかもしれないとも思いながら、鈴花は静かに聞いていた。きょうかが続けた。
 
「『私はやる気はあります!でも、いくら熱意があっても実現する能力がなければ無理だと思うんです!』って言ったら、先生がね、『僕は熱意が能力を作ると思ってるよ。正確に言うと、熱意だけが能力を作ると思ってるよ。』って言われたの。当時の私は、そんな先生の言葉を聞いても(ホントかなぁ?)って思ってた。でもね、年月が経ってみたら先生のおっしゃる通りだったのよ。今ははっきりと実感してる。先生を好きっていうすずちゃんの思いだけが大切で、だからすずちゃんは素敵な女性になったと思うのよ。」
 
鈴花はきょうかの話を聞きながら、事比羅神社で脚本家と出会ってからのことを思い出していた。まり花の影に隠れ、自分だけが話に入れなかったこと。自分が生まれ育った鹿島を何もないところだと言って何度きょうかに怒られただろう。庄金で小説塾を開いたところで人なんか集まるわけがないと思った自分が、5作品を書き上げ、塾生たちのまとめ役になっている。脚本家を愛する気持ちやきょうかへの憧れが自分を成長させたことを、鈴花は実感していた。
 
「それとね、二十歳くらいだったかな、、、そうね、ちょうど今のすずちゃんくらいの時に『私にとって先生との出会いは奇跡です。私の人生に奇跡が起きました。』って先生にお話ししたことがあるの。そしたら先生から、『きょうかさんは自分に起こった幸運を奇跡が起きたって言うけど、その奇跡ってきょうかさんが起こしたものじゃない?』って言われたことがあるの。そこからかな、自分の希望は自分で叶えるものだって思ったり言ったりするようになったのは。特に縁のあった人たちには、自分の希望と向き合って、自分の希望を自分自身の手で掴んでほしいと思ってるの。」
「そうだったんですかぁ。」
「お誕生日は先生と2人でデートしておいでよ。私から見たらすずちゃんはもう十分に先生とお似合いのとっても素敵な女性よ!」
 
 
第39話
 
二十歳の誕生日も普段通りに仕事を済ませた鈴花は、この日のために選んだ服に着替えてメイクを直した。きょうかからプレゼントされた香水“ゲランのイディール”を身にまとい、約束の時間に小説塾の前に車をつけると、待っていた脚本家が車のドアを開けて言った。
「今日は鈴花さんが行ってみたいって言ってたカフェを予約しておいたから食事に行こう。」
「えっ?もしかしてきょうかさんお気に入りの、、、ハワイみたいっていう、、、コナズ珈琲ですか!!」
「正解!」
「やったぁ!きょうかさんから『世田谷にある大好きなカフェが長崎県の時津とぎつにあったよ。ハンバーガーもパンケーキも美味しいよ。』って聞いて、前から行ってみたかったんです。」
 
ハワイにいるような気分を味わえるそのカフェは、カラフルな板を組み合わせた壁にハイビスカスの首飾りやサーフボードが所狭しと飾られてあった。様々なデザインのテーブルとソファ、南国を思わせるBGM、窓から見える椰子の木、砂浜を模した中庭。広い店内のどこを見渡しても明るく楽しい雰囲気に、鈴花は一瞬にして心を奪われた。
「先生ありがとうございます。今年も誕生日を先生にお祝いしていただけて嬉しいです。しかもこんな素敵なお店で過ごせるなんて最高の誕生日になりました。」
「よかったね。僕も一緒に過ごせて嬉しいよ。鈴花さんの笑顔を見られて、僕も幸せだよ。」
「私が小さい時、うちの母がまだ元気だった頃に一度だけ家族でハワイに行ったことがあるんです。その時のことを思い出しました。これこれ、このトロピカルジュース!ハワイでお母さんと飲みました!」
家族のこと、幼馴染の美代子や理絵のこと、学校のこと、仕事のこと、毎年4月に家族で行った温泉旅館でのできごと。美味しい食事を堪能しながら、鈴花は20年の人生を振り返るようにたくさんの思い出を脚本家に話した。ふと脚本家が
「あぁ温泉と言えば、ここの隣の長与ながよ町にある喜道庵っていう日帰り温泉知ってる?あそこは泉質が最高だよ!露天風呂からは大村湾が一望できるよ。」
「そこは初めて聞きました。母も私も温泉が大好きで長崎県の温泉にもよく行ってたんですけど、母が亡くなってからしばらく行ってないなぁ。」
「よかったら行ってみる?千円でタオルとバスタオルと浴衣まで貸してくれて、備え付けのシャンプーも良かったよ。」
「えーいいんですか!行ってみたいです!」
 
温泉を満喫した鈴花が休憩室に着くと、ちょうど脚本家も出たところだった。
「はぁぁぁ。とってもいいお湯でしたぁ。お肌がすべすべですっ!」
「ね、お湯がいいよね。ここからだと帰りは一般道でもあまり変わらないみたいだから、有明海の方を通って帰ろうか。」
「はい。フルーツのバス停がある道ですね。」
 
車に乗ってからも2人の話は尽きなかった。海沿いを走り太良からまもなく鹿島に差し掛かかる頃、脚本家が
「今日は満月がきれいだね。凪いだ海には月がくっきり映るよね。鈴花さん、遅い時間だけどもう少し大丈夫?」
「はい!もちろんです。」
「免許を取ってから僕たちをいろんなところに連れて行ってくれてありがとう。お礼に僕のお気に入りの場所を紹介するね。」
脚本家の案内で到着したのは矢答やごたえの展望所だった。
「鈴花さん、暗いから気をつけて。」
先に車を降りた脚本家が鈴花に手を差し出し、鈴花はその手を握り展望所の石段に上がった。
「わぁ、、、」
そこは鈴花が生まれ育った有明の海が一望できる場所だった。目を上にやると満月が有明の海にきれいに反射していた。実に美しいその景色は言葉を失うほどだった。鈴花は二十歳まで鹿島に住んでいて知らなかった、隠れた地元の名所を初めて知ることとなった。2人はしばらくの間、満月の映る海を見つめていた。脚本家が言った。 
「月が綺麗だね。」
「そうですね。」
「海が静かだね。」
「本当にそうですね。」
「うみしずか。」
「え?」
「鈴花さん、思いついたよ。新しい酒の名前。」
「え?」
「海静はどう?」
「うみしずか、、、。海静!きれいな名前!先生、嬉しいです!!!今すぐお母さんに伝えたい!」
 

第40話
 
興奮した鈴花は走り出した。
「鈴花さん、そっちじゃないよ。車はあっち。暗いから気をつけて。」
「キャッ!」
何かにつまずいて転んだ鈴花を脚本家が起こしてそっと抱き寄せた。
「大丈夫?ケガしなかった?」
「はい、先生ごめんなさい。私、嬉しくって。家に帰ってお母さんに言いたくなっちゃった。」
「お母さんには、今ここからでも聞こえると思うよ。」
鈴花が空を見上げると、流れ星がスーッと水平線に沈んだ。鈴花を優しく抱きしめた脚本家が言った。
「どう?こうして胸と胸を合わせていると、鈴花さんはどういう気持ちになる?僕は胸がホーっとあったかくなるの。」
「私も、、、心が穏やかになりました。」
 
2人はまた少しの間、海を眺めていた。
「先生は私にして下さるように、うちの蔵の人たちにも、町の人たちにも安心感を与えて下さっているんですね。鹿島を思って下さるのと同じだけ、全国の拠点を大切にされているんですね。私の思い出話をずーっと楽しそうに聞いて下さる先生を見ていて、それがとても伝わってきました。」
「僕ね、あったかい人たちが住む町で結をつくりたいの。」
「ゆい、、、ですか?」
「うん。昔、浜の人たちは、何かする時みんなで力を合わせてやってたんだって。誰かの家の茅葺き屋根を葺くことになったら、近所の人が総出で葺いてたんだって。それを結と呼ぶんだって。僕が初めて鹿島に来た時、町の人たちからその雰囲気を感じたの。実際、400年前に布教のためにスペインから訪れていたキリスト教の宣教師が本国に宛てて書いた手紙が文献として残ってるんだけど、『浜は世界でも類を見ない肥沃ひよくな土地で、そこに住む人たちは人柄がみんなあったかい。』って書いてあるの。この町には、今もそのあったかさが受け継がれているよね。でも人口はどんどん減ってるでしょ。だからあったかい人たちが住む土地同士を結ぼうとしてるの。それが多拠点移住のひとつの理由なの。」
「そうだったんですか。」
鈴花は海に向かって静かに、そしてはっきりと言った。
「お母さん、先生が新しいお酒の名前を考えてくれたの。うみしずか、海静だよ。降魔を超えるお酒になるよ。」
鈴花の瞳は月をしっかりと見据えていた。
 
帰りの車の中で、2人は鈴花の小説について話した
「そうそう、鈴花さんの『有明の月』、とっても良かったよ。僕がいいと思ったのは自分の気持ちをストレートに、美しい言葉で表現しているところ。自分の気持ちや希望を適切な言葉で言えるって大切なことなんだよね。僕が初めて鹿島に来た時、この街の人たちは自分の気持ちと反対のことを言ってたの。仲のいい人に意地悪なことを言うのに、悪いことをしてる人を見ても『それは悪い。』と言わないの。仲のいい人に意地悪を言うのは風習でもあったみたいだけど、言われた側は傷つくし、それを聞いて周りの人もいい気持ちはしないよね。逆もしかりで、悪い行いを放置することによってこの街は迷惑行為が横行してると感じたの。」
「あぁ、確かにそうですね。“よかろうもん”を見て見ぬふり、しかも隠しちゃうんですよね。」
「僕が小説塾を開いたり、塾生の皆さんの作品を買い取って出版しているのは、皆さんの方言や言葉を自然と美しいものに変えることを目的としているの。小説を書くことで適切な言葉を覚えるし、自然と言葉が美しくなるからね。」
「そうだったんですかぁ。」
「だから今回の鈴花さんの小説を読んだ時、僕の意図していたことが達成されてると思ったよ。」
「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。」
 
小説塾に到着すると鈴花が言った。
「先生、今日は本当にありがとうございました。心も体もあったまりました。」
「よかったね。」
「カフェも温泉もあったかかったぁ。でも茅葺きの家、寒いですよね。うちもめちゃくちゃ寒いんです。執筆の苦労話で言うと、お母さんが亡くなったこととか、蔵の仕事の合間に書く忙しさもあったんですけど、実は一番辛かったのって家が寒いことなんです。」
「あぁ、、、そうだねぇ。鈴花さんのお家も、酒蔵も、この茅葺きの家も、相当古いもんね。」
「古民家って、雰囲気はいいですけど冬の寒さはハンパじゃないですよ。隙間風がビュンビュン入ってきます。」
「確かに寒いよね。土間が広いし、部屋の機密性ゼロだもんね。あと九州がこんなに寒いって想定外だった。」
「佐賀は特に寒いんですよね。雪も降りますよ。」
「そうか。じゃあ僕が鈴花さんにあったかい家をプレゼントするよ。」
「えっ?!いっ、家、ですかっ?!」
「うん、現代的な超高性能住宅の家ね。建設会社もあたりをつけてるの。 」
「えーっ!!先生、いつの間に、、、。」
 
 
第41話
 
「初めて鹿島に来た年にね、3月初旬だったんだけどけっこう寒くて、きょうかさんが辛そうだったの。その時に住宅メーカーをけっこうあたったんだよ。2年目以降はあったかくなってから鹿島に来てるけどね。」
「なでしこの皆さんも先生から家をプレゼントされてるって、聞いてはいましたけど、、、。」
「うん、そうなの。」
喜びと驚きと困惑が入り混ざり、鈴花は思わず黙り込んでしまった。脚本家が言った。
「鈴花さんはね、僕から家をプレゼントされる存在なんだよ。花のように美しい鈴花さん。大切な大切な鈴花さん。鈴花さんはね、僕から家をプレゼントされる存在なんだよ。」
鈴花の表情がパァッと明るくなった。
「先生、ありがとうございます!あったかいお家だと執筆に集中できます。」
 
「ちなみにどんな家がいい?何か希望はある?」
「自分のお家なんて考えたこともないですけど、我が家は古くて渋いので、小さい頃からメルヘンチックなお家への憧れはありました。鹿島の“そら色の花”っていうケーキ屋さん、ご存知ですか?」
「知ってるよ。一昨年の鈴花さんの誕生日、僕あのお店にケーキを買いに行ったよ。」
「あ、そうです!あのケーキ屋さんです。2階もご覧になりましたか?」
「うん。可愛らしいイートインスペースがあって、きょうかさんが気に入ってたよ。童話のような世界観だよね。」
「はい!子どもの頃、あの2階のお部屋に行くのが大好きでした。今の身長だとあそこはさすがに小さいですけど、私1人だからコンパクトなお部屋で十分ですね。」
「メルヘンと言えば、前に鈴花さんが連れて行ってくれた大村方おおむらがたのグランシャリオとか、武雄の山閑人さんかんじんも可愛らしいね。」
 
脚本家は少し考えてから、
「場所は蔵に通いやすくて、水害の心配がなくて、下水の開通してる所がいいと思うよ。実は土地も気になってるところがあるの。城内の高台に広い空き地があってね。そこからの見晴らしが最高なの。」
「わぁ、そうなんですかぁ!」
「そこは土地がかなり広いから、僕らが来た時に住める部屋も欲しいな。」
「それで言うと、美代ちゃんが帰ってきたら『泊らせなさい!』って言われるはずなんで(笑)、美代ちゃんと理絵ちゃんが来ても大丈夫なように、あと、まり花先生も!私の他に5人集まっても泊まれるようしたいですね。」
「僕らが鹿島に来るのは春の1ヶ月位だから、いない時は民泊にするといいんじゃないかな。お父さん、お母さん、子どもたちで4〜5人の家族が泊まれるような家。」
「それいいですね!」
「ホテルじゃなくて家だからキッチンがあるでしょ。一般的な家庭って、普段はお母さんが家事をすることが多いと思うんだけど、そこに泊まる日はお父さんや子どもたちがお母さんと一緒に料理を作るの。家族からお母さんへ感謝のプレゼントができる家。宿泊客のターゲットは、宿を探してる人じゃなくて仲良しの家族ね。」
「ステキ!!私はもうお母さんと一緒に料理することはできなくなってしまったけれど、仲良し家族がお母さんに感謝する機会を提供できるなんて嬉しいです。あったかい家族の為のあったかい民泊ですね!」
「そう!あったか民泊!」
「となると、今日のコナズ珈琲はひとつ参考になりますね。お店に入ったら南国にいるみたいでしたもんね。」
「そうだね。そういうコンセプトだからね。コナズ珈琲のどんなところがよかった?建物?内装?それとも雰囲気?」
「ええっと、そうですね、壁とか棚に使われてる建材が、あえて色褪せた感じの板を使って継ぎはぎにしてあるのはおもしろいと思いました。テーブルとか椅子も、一見すると寄せ集めみたいですけど、揃ってないところがまたハワイらしいっていうか、、、いろんなものがあって見た目に楽しくて、でもテイストが統一されてるからごちゃごちゃしてるようには見えなくて。あの空間にいるだけでワクワクしました。ハイビスカスの首飾りは夏のイメージがありますね。ハワイで見た造花の首飾りでしたけど、あれが飾ってあるだけで雰囲気出ますね。観葉植物もたくさんあって自然の中にいるみたいでした。明るい気分になるBGMとハワイみたいな建物や内装ってだけで寒さを感じないから不思議ですよね。お店に行った感想は、はぁ〜楽しかったぁ。美味しかったし癒されたぁって感じでした。ハワイ旅行の感想みたいですね。」
「そうだね。ワクワク感とあったかさと美味しい料理で癒された。これで合ってる?」
「はい!合ってます。それと家族で料理するってことはキッチンが重要ですね!今日のお店にあったような広いカウンター席だと作りながら食べたりできて、食事が楽しくなりそうですね。キッチンの壁もカラフルで可愛かったなぁ。あと私、お花で言うとプルメリアも好きなんです。ハワイらしいお花とか葉っぱのデザインも使いたいです!」
「“あったか民泊・鈴花の家”は、まるでハワイみたいにワクワクする楽しい家になるね!」
 
翌朝、鈴花は母の墓前で手を合わせた後、蔵人たちに新しい酒名を発表した。
 
 
第42話 
 
酒名発表の翌日、脚本家が又七酒造の前を通ると辰徳が嬉しそうに駆け寄って
「先生〜!!いい名前を考えて下さってありがとうございます!!海静、みんな気に入ってます!」
「そうですか。気に入っていただけて嬉しいです。」
「アンケートを集計して酒の味も決まりました。先生も好きだとおっしゃった、3番目に飲んでもらったあの酒、覚えてますか?あれがダントツで人気だったんですよ。」
「そうですか!あれ美味しかったですもんね。」
「イベントでお客さんに飲み比べてもらう時も、酒だけ出して好きなのを選んでもらったわけじゃないから、お客さんも『毎日飲むなら?』っていう視点で選んでくれたのがあの酒でした。」
そこへ多栄がやって来た。
「先生、鈴花から聞きました。新しい酒にいい名前をつけて下さってありがとうございます。蔵のみんなも相当気に入ってるみたいですよ。ところで来週にはもう島原へ移動ですよね?出発前に蔵で飲みませんか?酒の味と名前も決まったことだし、みんなにもここまでご苦労様ってことで打ち上げを兼ねて。」
「いいですね!」
「たっちゃん、身近な人には海静が有名になっちゃう前にお披露目しようや。先生も鹿島にお知り合いが多いそうですから、よかったらお誘い下さい。蔵で立ち飲みになりますけど、ここなら何人でも入れますから。今度の小説塾の後はいかがですか?」
 
その週末、4月の2回目の小説塾が開催された。きょうかが
「皆さんこんにちは。今日は最初に3つのお知らせがあります。まず、既にご覧になられたかもしれませんが、斜め向かいの茅葺き屋根の家が二棟復活しました!」
塾生たちから歓声と拍手が巻き起こった。
「一棟は庄金高校の授業と部活で使われます。庄金高校では今年度から授業で小説を書くことが決まったそうです。また、本を読んだり小説を書いたりする文学部が誕生するそうですよ。もう一棟は私たち小説塾のメンバーで使わせていただけることになりました。月2回の塾はもちろん、普段から茅葺き屋根の家で書くと執筆がはかどりそうですね。ぜひご活用下さい。」
会場が興奮に包まれた。
 
「続いて、3冊目となる雑誌「有明の月」の編集作業が終了しました。今回は東山鈴花さんの小説「有明の月」を中心に、2月末までの半年間で皆さんが書かれた小説を掲載いたします。6月に完成しますのでお楽しみになさっていて下さいね。3つ目のお知らせは、気になってらした方もいらっしゃると思いますが、又七酒造さんの新しいお酒の味と名前がついに決定しました。」
「おめでとう!」「楽しみ!」という声が飛び交う中、きょうかが続けた。
「実はそれだけじゃないんです。鈴花さんの幼なじみで同級生の理絵さんと美代子さんのお家も酒蔵であることは、皆さんご存知かと思います。理絵さんのところでは嬉野のお茶を、美代子さんのところは鹿島・太良でとれるみかんを生かしてジュースを商品化されることになりました。この2つの名前も先生が考えられたんですよ。それでは先生、3つの名前をご紹介いただけますか。」
 
脚本家が前へ出ると、塾生たちは姿勢を正して真剣な表情で脚本家を見つめた。
「あ、どうもこんにちは!皆さんお元気ですか?先日、鈴花さんと矢答展望所に行ったんですけど、満月が海に反射してとても美しかったんです。その光景を見ていて『海静うみしずか』という名前が浮かびました。理絵さんからは、『うちは酒蔵だけど嬉野の親戚のお茶農家さんをPRしたい』と相談を受けました。そちらのお茶を飲んでみたら、スッキリと飲みやすくて、理絵さんの端麗な容姿を思わせる後味だったんです。そこで『端麗たんれい』という名前を提案しました。美代子さんは、鹿島・太良の余って廃棄処分になってしまうみかんをジュースにしたいと思っていたそうです。みかんから金色、豊富に作れるジュースからは湧き出る泉をイメージして『金泉きんせん』と名付けました。」
「わぁ!綺麗な名前!」
会場が再び湧き上がった。健太郎は立ち上がって拍手をしながら
「いやぁ、お見事!3つとも綺麗な名前だねぇ!すずちゃんも、理絵ちゃんも、美代ちゃんも小さい頃から知ってるけど、大人になったもんだなぁ。この話も誰か小説に書くといいんじゃない?『有明の月』をまだ書いてないのは、、、と。」
結衣が小さく手を上げた。
「先輩たちのお話、もしよければ私が書いてみたいです。」
 
 
第43話
 
結衣は高校卒業と同時に両親が離婚し、母親の実家で暮らすこととなった。大学進学を諦めて母方の祖父母が営む豆腐店で働き始めていた。この店は脚本家が提案した酒のつまみになる油揚げといなり寿司の皮を開発した豆腐店。昨年末に結衣が家庭の事情で進学を諦めたことを知った鈴花は、どうしたら油揚げやいなり寿司が流行るのかをずっと考えていた。
海静や端麗、金泉のエピソードを聞いて小説に書いてみたいと結衣が言った時、鈴花は次回作の構想を結衣に渡そうと思い立った。それを美代子と理絵に話すと2人も賛成した。
 
その夜、又七酒造では完成した海静と、油揚げやいなり寿司のお披露目会が開かれた。蔵人とその家族、いなりの開発に携わった人々、又七酒造の取引先、小説塾の塾生、近隣高校の国語教諭、区長や近隣住民、東山家の親戚や友人など数十名が集まり完成を祝った。多栄は社長を退いて以降、人が集まる場所での挨拶は控えてきたが、この日は上機嫌で乾杯の音頭を買ってでた。
「皆さん、本日はようこそお越し下さいました。乾杯の前に一言だけお話しさせて下さい。まずこちらに並んでいるのがうちの蔵人たちです。この1年、又七酒造は大忙しでした。通常の仕事をしながら新しい酒の開発に一丸となって取り組んでまいりました。私は彼らの様子を見ていて頼もしく、今日この日を迎えるのを楽しみにしておりました。彼らは又七の誇りです。ご家族の皆様にも心から御礼申し上げます。我々を支えて下さって、本当にありがとうございました。そしてこちらが、作家の岩清水緑風先生です。去年の春、先生は我々に喝を入れて下さいました。目を覚まして下さった。おかげで我々はいつの間にか忘れていた商売の基本を思い出すことができました。酒の名前も先生が考えて下さいました。先生、本当にありがとうございました。」
多栄は脚本家に向かって頭を下げた。蔵は大きな拍手に包まれた。多栄が続けた。
「今日は酒に合うつまみがあります。見て下さい。ここに並んだ大きな油揚げ。揚げたてをご賞味いただきます。これがまた美味いんです。これを作ったのが、ここにいる中村君です。私たちは小さい頃からこの庄金で一緒に育った同級生でして、普段は『おい酒屋!なんだよ豆腐屋!』なんて呼び合ってますが、今日ばかりは中村豆腐店に敬意を表したいと思います。いなり寿司もうまいですから、最後の締めにどうぞ食べてみて下さい。それでは皆さん、又七酒造が丹精込めて造った海静、どうぞ心ゆくまでお楽しみ下さい。乾杯!」
「乾杯!」「乾杯!」
 
鈴花は参加者に一通り酒をついで回った後、次回作の構想を書き留めたノートを持って結衣の隣に座った。
「私の『有明の月』ってドキュメンタリーみたいなものなの。蔵で現実に起こったこととか、蔵の人たちの会話とか表情をそのまま書いてるからリアリティはあると思うんだ。次の作品には海静ができた後の話を書こうと思ってるんだけどね、今度は小説が先で、小説に書いたことを現実にしていこうと思ってるの。」
「ええー!それ、おもしろそうですね!」
「ネタバレになっちゃうけど具体的なことをひとつ言うとね、先においなりさんと油揚げを流行らせるの。海静の発売はそれから半年後くらい。」
「えっ?そうなんですか!お酒とつまみをセットで売るのかと思ってました。」
「いずれはセットも出ると思うけどね。まずはいなりから。だから今は、
どうやっていなりブームを巻き起こそうかって毎日考えてるんだ。」
「わぁ、鈴花先輩かっこいい!」
「それでね、結衣ちゃん。もしよかったらこのネタ帳、結衣ちゃんにあげる。」
「は?!」
「さっき、私と美代ちゃんと理絵ちゃんの話を書いてみたいって言ってくれたでしょ?」
「言いました、、、。でもあれは先生が考えられたお酒やジュースの名前が綺麗だったのと、『有明の月』を書いてないのが私だけだったから、話の流れで思わず手をあげちゃったっていうか、、、」
「その気持ちが嬉しかったの。それに、自分で考えた話よりも他の人が考えた話が現実になっていく方がおもしろいと思わない?ちなみに美代ちゃんと理絵ちゃんにはもうOKもらってるから!」
「えええええ!マジですか?!」
「うん、2人にも結衣ちゃんが小説に書いた通りに実行してねって言ったら美代ちゃんがね、、、フフフッ、アハハハハ。」
「どうしたんですか?」
「『これは中村結衣の予言書になるわね。』だって!美代ちゃんらしいでしょ。」
「予言書って!アハハハ。」
「美代ちゃんにやってほしいこと、何でも書いちゃっていいから。フフッ。理絵ちゃんもね、『楽しそう!私もがんばる〜。』って言ってたよ。」
 
 
第44話
 
お披露目会がお開きとなり、帰宅した結衣は鈴花から手渡されたノートを開いて唖然とした。
企業秘密じゃないかと思うほど詳細な内容が書き留められたそれは、ネタ帳というより又七酒造の行動計画だったからだ。
 
・つまみを先に売る。→取引先に売ってもらう。酒屋さんはつまみと一緒にお酒が売れて嬉しい。
・祐徳稲荷でいなり販売?→参拝客は縁起のいいお供物が嬉しい。祐徳稲荷はお供え物やお土産が売れて嬉しい。
・稲荷神社のいなり寿司が評判となる。参拝客が増えて嬉しい。
・日本三大稲荷=祐徳稲荷・伏見稲荷大社(京都)・笠間稲荷神社(茨城)。
・全国の稲荷神社、門前商店街で販売?
・日本には三大稲荷がいっぱいある→草戸稲荷神社(広島県福山市)・豊川稲荷(愛知県豊川市)・最上稲荷(岡山県岡山市)・竹駒神社(宮城県岩沼市)・志和稲荷神社(岩手県紫波町)・箭弓稲荷神社(埼玉県東松山市)・鼻顔稲荷神社(長野県佐久市)・千代保稲荷神社(岐阜県海津市)
・喜ばれた全国の店や神社から感謝が返ってきて海静大ヒット!!!!!
そしてノートには、既にお揚げやいなり寿司の話をした相手の反応が表にまとめられていた。
 
「他の人が考えた話が現実になっていく方がおもしろい。」
鈴花はそんなことを言いながら又七酒造の重要なメモを惜しげもなく自分に託してくれたのだ。しかも自分は小説塾に入ってまだ半年の新参者だというのに。こんな素人に大切な構想を渡すなんて、明らかに自分へのエールとしか思えない。
(鈴花先輩、ありがとうございます。先輩の気持ちに応えられるよう頑張ります。)
結衣は自分や母親、祖父母を思う鈴花の広くあったかい心に胸を打たれた。
 
翌朝のこと、鈴花はまもなく鹿島を発つ脚本家ときょうかの荷造りを手伝いながら、次回作の構想を結衣に渡したことを2人に話していた。その話を聞いた脚本家は
「結衣さんにひらめきが降ってきやすいようにしてあげるといいよね。取引先の酒屋さんにお揚げを食べてもらったらその感想を教えてあげるとか、〇〇県の神社の宮司さんはこんな人だったとか、その街は活気があったとかなかったとか。結衣さんが書きやすくなると思うよ。」
「そうですね!先生、ありがとうございます。」

ピンポーン。
と、その時、小説塾の呼び鈴が鳴った。
「おはようございます。鈴花ちゃんいますか?」
やってきたのは昨夜のお披露目会に参加していた東山家の親戚だった。
「はーい。あ、隈部くまべのおじちゃん、昨日は来てくれてありがとう。どうしたの?」
「うん、蔵の方へ行ったら鈴花ちゃんがこっちにいるって聞いたからね。」
「先生たちの荷物をまとめてるとこなの。よかったらどうぞ。」
その声を聞いた脚本家ときょうかが部屋から出てきた。
「隈部さん、おはようございます。昨日は楽しかったですね。」
「あぁ先生どうも。昨日は先生と飲んで歌って楽しかった!ちょっと飲みすぎちゃいました。」
 
4人は土間の丸テーブルを囲んで座った。鈴花が言った。
「改めてご紹介します。隈部さんはうちの親戚で、祐徳門前商店街の隈祐くまゆうっていうお土産物屋さんです。ちなみにペットはヤギのレモンちゃんです。おじちゃん、今日はどうしたの?」
「昨日のいなり寿司のことを聞こうと思ってね。祐徳稲荷で売るんだって?」
「祐徳稲荷で売るかどうかはまだ決まってないの。宮司さんには、パックに入った状態のおいなりさんの皮をお供えすることに了承してもらってるけどね。お供えした後、持ち帰る人はいいけどそのまま置いていかれたパックをどうするか、来週打ち合わせすることになってるよ。」
「実はさ、私が週3で手伝いに行ってる障害者の就労支援施設があるんだけど、そこの人たちの仕事を増やしたいなっていつも考えてるんだよ。今はパンを作って鹿島市内の決まった場所に売りに行ったり、施設にあるカフェで配膳したりしてるんだけど、夕べのいなり寿司の話を聞いてて思ったんだよ。あの人たち、教えればおいなりさん作れるし、覚えた仕事はきちんとやるから、おいなりさんをうちの店で販売させてもらって、彼らの収入が増えたらいいなと思ってね。」
 
 
第45話
 
隈部の話を聞いた脚本家は
「おいなりさんを売るなら門前商店街が一番いいですよね。調理できるスペースはお店にあるんですか?」
「はい、あります。去年の年末に店の外観と内装をリニューアルしたんですよ。店が新しくなったら店頭で団子でも焼いて出せるようにしたいと思ってたんで、ちょっとしたスペースを作ったんですよ。新しいので店も清潔です。もしよかったら、これから見に来られませんか?」
 
4人はすぐに隈祐に移動して、店を見ながら食べる場所や導線を確認した。脚本家は
「お店で買ったいなり寿司の皮を神社にお供えして、そのお下がりを持ってまたお店に戻って来たらいなり寿司にしてくれて、ここでお茶を飲みながら食べることもできるか。鈴花さん、ここの作る場所と食べる場所の写真を撮っておいて、来週の打ち合わせで宮司さんにお見せするといいと思うよ。隈部さんにも一緒に行ってもらうといいと思うよ。」
「そうですね!」
「隈部さん、僕からひとつ提案したいことがあるんですけどいいですか?」
「はい。なんでしょう?」
「いなり寿司を握るスタッフさん達をかっこよくしてほしいんです。お寿司屋さんのユニフォーム、何人で握るのかわかりませんけど、スタッフ全員がおそろいのかっこいい制服を着て、握り方もプロから学んで欲しいんです。そうだ、鶴亀の大将に事情を話して教えてもらえるといいですね。ここはガラス張りで調理している姿が外から見えますから、それ自体が目を引くと思います。障害者の収入を増やしたいという隈部さんの思いが書かれたパネルみたいなものが店の壁に貼ってあるとか、お店のパンフレットに書いてあるといいですね。調理しているスタッフさんを見て『かっこいい!』と思ったお客さんが、そのパネルを見たらなんと障害者が握っているんだと気づく。言われなければわからない。彼らを憧れの存在にしてあげてほしいんです。」
 
脚本家が鹿島を旅立つ日、お披露目会で酒を酌み交わした人たちが見送りにやって来た。結衣は脚本家に、
「先生、隈祐さんでおいなりを販売してもらうっていうお話を聞きました。私、今そのあたりのことを小説に書いてるんですけど、祐徳稲荷には海外の人も来るので、おいなりさんを外国人にもヒットするような名前にしたいんです。何かいいネーミングはないでしょうか?」
「スシ!アルファベットのSUSHIを使うといいと思うよ。日本食のSUSHIは外国でもみんな知ってるから。」
「わぁ!ありがとうございます。」
「おいなりさんの皮は大豆が主原料だから、海外のヘルシー志向の人にも注目されると思うよ。がんばって。」
「はい!がんばります。」
 
初夏に入り、いなり寿司の販売開始を2週間後に控えた隈祐でプレ販売が行われた。
いなり寿司を握るのは、鶴亀寿司の大将の指導のもと2ヶ月間の研修を受けてきたスタッフ達。おそろいのユニフォームが様になっている。鈴花の書いたプレスリリースを読んで取材に訪れた佐賀新聞は、紙面を大きく割いてこの記事を取り上げた。
【祐徳稲荷神社の門前商店街でいなり寿司を販売!】
鹿島産の大豆を使い、地元の豆腐店がいなり寿司の皮を開発。鹿島市内の就労支援施設に所属する障害者のスタッフ達が握るいなり寿司。地元寿司店の店主が握り方を監修。米は鹿島産の“さがびより”。いなり寿司と一緒に提供されるのは嬉野茶をベースにブレンドされたお茶“端麗”。地元の庄金高校出身の若手女性2名が中心となってこの企画を実現。祐徳稲荷神社の鍋島宮司は「いなり寿司をきっかけに、門前商店街が以前のような賑わいを見せてくれることを期待している。」と話す。
鹿島ケーブルテレビは、“鹿島の未来創造小説「有明の月」を描く2人”というタイトルで鈴花と結衣にスポットを当てた番組を放送した。その番組では、結衣が書いた小説の内容を鈴花が形にしている様子をいくつも紹介された。
 
本格的にいなり寿司の販売が開始された。“縁起がよくて美味しい祐徳神社のいなり寿司”が話題となり、この新たな名物を求めて参拝客が訪れた。地元住民が一体となったこの取り組みは全国ニュースとなり、テレビを見た各地の稲荷神社や商店から問い合わせが相次いだ。商工業の視察団が次々に鹿島を訪れた。
 
 
第46話
 
鈴花が仕事先でのできごとを教えるまでもなく、結衣は自ら海静や端麗、金泉の物語が生まれるであろう場所に取材に出向いた。どこに行っても可愛がられる性格の結衣は、庄金で暮らし始めて半年も経たないうちに町にすっかり馴染んでいた。とりわけ近所の又七酒造には頻繁に足を運んで蔵人達の仕事を観察し、手があくのを見計らって話を聞いた。
 
「辰徳さーん、お忙しいところすみません。ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど今よろしいですか?」
「あぁ結衣ちゃん、今ならちょうどいいよ。」
「前に鈴花先輩が杜氏の仕事を始めた頃、冬だったと思うんですけど蔵の中が熱いって言ってたんです。でも蔵の中、涼しいですよね?」
「蔵は涼しいよ。やっぱり日本酒ってのは冬の寒い時に造るのが大前提だから、すずちゃんが熱いと言ってたのであればむろのことを言ってるんじゃないかな。」
「ムロですか?ムロっていうのは場所のことですか?」
「そう。麹室こうじしつのことだよ。日本酒を造る時にはまず麹ってのをつくるの。米に麹菌をつける。それを発酵させて麹米を作るんだよ。」
「あぁ、なるほど。」
「そこが一番重要なところで、酒造りには昔から『一麹いちこうじ 二酛にもと 三造さんつくり』っていう言葉があるくらい、麹づくりが大切なの。」
「そうなんですか。」
「そこはだいたい低くても35度くらい、上げれば40度ちょい上がるから、そこで炊き上がった米に麹菌を振りかける時は熱いよ。」
「それは熱そうですね。日本酒は冬につくるってことでしたけど、1年分を冬に仕込むんですか?」
「そう、秋に新米ができるでしょ。新米は一番味がよくてつくりやすいからね。大きい蔵とか小さい蔵とか、蔵によってつくり方の違いはあるんだけど、うちで言うと9月から6月にかけて日本酒を造ってるよ。」
「ってことは、今皆さんは何をされてるんですか?」
「うちは焼酎もあるから、6月からは焼酎だね。」
「そうなんですかぁ。ちなみに蔵の仕事って女の人には厳しいイメージがありますけど、できないわけではないんですね。」
「あぁ、うちで杜氏の仕事をした女の人はすずちゃんが初めてだけど、昔よりは女性の杜氏さんも増えてきてるみたいだよ。あとねぇこの仕事、女の人にとっていいこともあるんだよ。」
「えー?なんですか?」
「手が綺麗になるの。麹とか酒粕が入ってる化粧品って聞いたことあるでしょ。」
「あぁ!あります。綺麗になりそうですね。」
 
蔵には大根やウリの粕漬けを造っている部屋があり、3人の女性達が酒粕に野菜の漬け込みをしていた。
「こんにちはー!ちょっとお仕事を見せてもらっていいですか?」
「あらあら結衣ちゃん、いらっしゃい。」
結衣を知る1人の女性が他の2人に紹介した。
「この人はそこの豆腐屋さんのお孫さん。結衣ちゃんっていうの。ほら、海静のお披露目の時に来てたでしょ。春からこっちに住んでるんだよね。」
「はい。私、高校を卒業するまで七浦に住んでたんです。高校は庄金高校なんですけど、電車だと通うのに時間がかかるから、高津原に通勤してるお母さんの車で学校まで通ってたんです。卒業と同時にお父さんとお母さんが離婚しちゃって、今はお母さんの実家で暮らしてます。」
「あぁ、あなたが中村豆腐屋さんのお孫さん。すずちゃんから聞いてるよ。小説書いてるんでしょ。『話を聞きに来るかもしれないからよろしく。』ってすずちゃんが言ってた。」
「はい、そうなんです。よろしくお願いします。」
 
女性達の仕事を観察していた結衣が言った。
「酒屋さんとかスーパーで粕漬けが売られてるのを見かけますけど、ここで造ってたんですね。うちのおばあちゃん粕漬けが大好きだから、いつもご飯の時に出てきます。ところでお母さん達の手、白くて綺麗ですねぇ。」
「酒粕って手がすべすべになるのよ。ほら。」
差し出された手を触った結衣は
「ホントだぁ!すべすべ。それにきめ細かくて真っ白!」
結衣は又七酒造に行くと必ずこの部屋に立ち寄った。夫婦共働きで又七酒造に勤めているこの女性達がつまみの油揚げを絶賛していたからだ。
 
 
 第47話
 
結衣はこの女性達から油揚げのどこが気に入ったのかを聞き出し、鈴花の言葉として小説に書いた。それはそのまま鈴花の営業トークとなった。
「うちの蔵には長いこと共働きしてもらっているご夫婦が3組いるんです。3組とも、もともとは旦那さんが杜氏の仕事をされてまして、うちで粕漬けをつくることになった時から奥さん達に来てもらってるんです。うちの蔵、この1年は新しいお酒を造るのにめちゃくちゃ忙しかったんですよ。仕事が終わってから遅くまで話し合ったり、試作品ができたらできたで車で通勤してるから蔵で飲むわけに行かないんですね。だから持って帰って家で飲んでもらってたんです。そうなると大変なのは奥さん達ですよね。一緒に通勤してるから遅くまで旦那さんを待ってなくちゃいけないし、帰ってから旦那さんがお酒を飲むのにおつまみ作りますよね。
普通なら不満の声が出てもおかしくない状況だったんですけど、1人の奥さんからは『このお揚げがあって助かったわよ。これは焼くだけ簡単でしょ!焼いてる間にネギさえ刻んでおけば醤油かけて食べられるんだもの。このお揚げがあったから、うちはこの1年、お父さんと仲良くやれたと思うよ。』って言われたんです。
味をアレンジした方もいました。『うちの旦那はお揚げにネギとか生姜とか大根おろしとか、いろんなののっけて食べてんの。醤油をかける時もあればポン酢の時もあるよ。一品はこれで決まってるから後が楽だよね。うちに帰ったらまずお揚げで一杯飲ましといて、その間に夕飯の支度するんだけど、このお揚げが大きいからこれだけでお腹いっぱいになっちゃうの。だから前より夕飯の支度が楽になったのよ。』
もう1人の奥さんは『うちの妹と友達がこのお揚げをすっかり気に入っちゃって、お姉ちゃんまた買って来て〜ってしょっちゅう頼まれるんですよ。だから休憩時間に中村豆腐屋さんに行ってお揚げとお豆腐買うのが私の日課になりました。』
とまぁ、忙しいはずの毎日が時短で簡単になって、おまけに夫婦仲まで良くなったと言われた毎日食べても飽きない中村豆腐店のお揚げです。」
鈴花は取引先でもイベントや営業先でも、テレビや新聞の取材が来てもこの話を繰り返した。
 
秋には、紅葉が見頃の祐徳神社にタイのテレビ局がやって来た。タイでは、映画で使われた祐徳神社が恋人達の聖地と呼ばれ、人気の観光スポットとなっていた。祐徳神社の新たな名物、SUSHIを握る若者達の姿が放送され、いなり寿司はタイでも話題となった。
木枯らしの吹く季節になると、中村豆腐店のお揚げは九州を中心に、日本酒を出す多くの飲食店が扱う人気メニューとなっていた。又七酒造が酒を卸している全国の酒屋で、“焼くだけ簡単!”と書かれたポップの前に並んだお揚げの売れ行きが好調だと評判になり、中村豆腐店はこの油揚げを作りたいと申し出る各地の豆腐店に製法を伝授することとなった。
 
その頃、又七酒造ではこの冬からいよいよ仕込みを開始する海静の予約販売を開始した。予約の開始を告知していた12月に入るやいなや注文が殺到、わずか1週間で予定していた数の3倍もの注文が舞い込んだ。
「海静は予約の段階で販売して下さい。酒を仕込む前に入金してもらって下さい。」
販売について学び、脚本家の言葉を復唱してきた蔵人達は、この状況に心躍らせながらも落ち着いて受注した。
 
毎年お火焚きが行われる12月8日、鈴花と結衣は祐徳稲荷神社に参拝していなりと海静の大ヒットに感謝し、来年さらに飛躍すると祈願した。
火にあたった2人は帰りに隈祐に立ち寄った。
「おじちゃん、こんばんは!」
「あぁ、こんばんは!もう火にあたってきたの?」
「うん!今行って来たところ。今日も大繁盛だね!おいなりさん、まだある?」
「今日はたくさん用意したからまだあるよ。それより見てよこれ、みんなかっこよく写ってるよ!」
隈部は店の前に置かれた雑誌を鈴花と結衣に見せた。そこには隈祐でいなり寿司を握るスタッフの写真と、いなり販売にかける隈部の思いが大きく掲載されていた。
「わーっ!!すごい!!」
「みんなかっこいい!!」
 
 
第48話
 
いなり寿司をほおばる鈴花と結衣に隈部が言った。
「すぐそこでガラポン抽選会やってるから行ってごらん。」
隈祐でもらった抽選券で福引を引くと、カラン・コロン・カラン・コロン・カラーン!門前商店街に鐘の音が響き渡った。
「大当たり〜!おめでとうございます!!1等が出ました。1等は佐賀牛です!!」
「わぁ!マジ?!やったぁ!」
「これは来年もいい年になるね。」
 
その翌週、この年最後の小説塾の終わりにパソコン画面に映るきょうかが発したのは、その場にいる誰もが思いもよらない言葉だった。
「東山鈴花さんの書いた小説「有明の月」が、芥川賞にノミネートされています!」
塾生達は一瞬、何が起こったのかわからずポカンとした。鈴花は
「えっと、、、きょうかさん、どういうことですか?!」
脚本家は塾生が5万字程度の小説を書き上げると、それを5万円で買い取っていた。買い取った作品は著者を岩清水緑風小説塾・有明の月とする短編小説集にして発行していた。その本を佐賀県につくった出版社から出版していたところ、雑誌に掲載された新人作家の作品から選ばれるという芥川賞の候補作に鈴花の作品が選ばれたというのだ。きょうかが続けた。
「皆さんが書かれた小説を岩清水先生が買い取られて小説集にされてらっしゃるのは皆さんもご存知の通りです。もともとの目的は皆さんにやる気を出していただこうという気持ちからでした。ところが完成した1冊目の小説集をご覧になった先生が、『これ、けっこうおもしろいと思うよ。出版してみようか。佐賀県には出版社がないみたいだからこの機会に作っちゃおう!』とおっしゃったんです。というわけで、実はこの短編小説集「有明の月」は、佐賀県のかやぶき出版から出版されて全国の書店に置かれています!」
「ええっ?!かやぶき出版っていつの間に、、、。じゃあ私らの書いた小説が載ってるこの雑誌、私ら以外にも読んでる人がいるってこと?」
「はい。健太郎さんのおっしゃる通りです。一応、全国の書店に並んでます。まぁまぁ売れてますし、ファンもついてるんですよ。」
「ええっ?!」
その場にいる全員が寝耳に水。一番驚いたのは鈴花だった。小説は書いたがこれは素人の趣味。プロの登竜門である芥川賞と自分の書いた小説を結びつけることはとてもできなかったからだ。きょうかは
「それで鈴花さん、来月の19日に芥川賞の選考会があります。例年、選考会は東京の新喜楽っていう料亭で午後4時頃から始まって、決まり次第発表されるんです。発表後すぐに帝国ホテルで受賞者の記者会見があるので、その日はできれば予定を空けて東京にいてほしいんです。それと、もし受賞が決まった場合なんですけれど、受賞作家さんの地元にテレビ局がスタンバイしておいて、受賞の瞬間を映したりするんですね。皆さん、その日は小説塾に集まっていただいて、鈴花さんの受賞をみんなで喜ぶ映像があると楽しいと思うんですけれど、、、いかがですか?」
 
ようやく状況を飲み込めた塾生達がもちろんとばかりにうなずいた。健太郎はもう受賞が決まったかのように
「私は一番上等の背広を着て来ますよ。20年以上前に孫の結婚式で着て以来だなぁ。蝶ネクタイも探さなくっちゃ!」
 
年が明けた。
東山鈴花、芥川賞受賞のニュースに鹿島が湧いた。その翌月には芥川賞受賞作品「有明の月」が雑誌「文學界」に掲載された。鈴花はあれよあれよという間に芥川賞作家となっていた。又七酒造が予想以上に受注した海静の仕込みに追われている最中のことだった。
 
鈴花の芥川賞受賞で、塾生達も俄然がぜんやる気が出た。自分の書いた小説が全国の書店で売られ、しかも多くの読者を得ている事実を知ってこれまで以上に小説作りに精を出した。
結衣は海静の誕生後から始まる小説「有明の月」を書き上げた。そこには海静や端麗、金泉の物語ばかりでなく、美代子の結婚、麟太郎から鈴花へ又七酒造の社長交代、鈴花の家の完成、そしてまり花と理絵が取り組む庄金高校文学科の創設が描かれた。
 
  
第49話
 
結衣の小説に書かれたことが次々に現実となった。
美代子は実家の酒蔵の前に「みかん引き受けます!」と張り紙をしたところ、あちこちから大量のみかんが集まり、ジュースにして配ると大好評。10年に1度の最強開運日と言われるこの年の3月5日、みかんジュース「金泉」の販売をスタートさせた。その噂を聞きつけて太良からみかん農家の親子がやって来た。その親子に偉く気に入られた美代子はぜひ嫁に来てほしいと言われ、大学を卒業したら結婚する約束で婚約した。
 
脚本家の滞在は、いつしか鹿島の春の風物詩となっていた。
「先生、今年はあったかくて過ごしやすいですねぇ。」
「松本さん、こんにちは。ひなたぼっこですか。」
「先生お帰りなさい。来週、部落の三夜待があるんですよ。よかったらいらっしゃいませんか?」
「あぁ倉崎さん、こんにちは。いつもお誘い下さりありがとうございます。」
 
又七酒造は酒蔵ツーリズムを楽しみにしている観光客のために海静を追加で製造。話題の海静がイベントで限定販売されると聞いたファンで、又七酒造の蔵にはこれまで見たことがないほど長蛇の列ができた。最新号の短編小説集「有明の月」に結衣の作品が収められ出版された6月、鈴花の家と庄金高校文学科寮の建設工事が着工した。
 
鈴花は芥川賞を受賞して以降、出版のオファーや取材が相次ぎ慌ただしい毎日を送っていたが、夏には松岡神社祇園祭の提灯行列、秋には部落対抗の運動会にグランドゴルフ大会、町の行事には蔵人達と一緒に欠かさず参加した。誘いがあれば他の部落の行事にも参加した。そんな鈴花の様子を見ていた区長は
「鈴花ちゃん、新しいお酒と芥川賞で忙しいだろうに、今年も変わらず行事に参加してくれてありがとうね!」
「区長さん、こちらこそいつもありがとうございます。けっこうハードな1年でしたけど、楽しくやってます。そういえば先週から筒井家に移住体験に来られている筒井さんご夫妻、お会いになりましたか?初日に旦那さんが、その2日後に奥さんが筒井家の草取りしてたんですよ。筒井家はうちのすぐそばだからずっと見てきてますけど、こんなことは初めてです。」
「そうらしいね。筒井さんが筒井家のお掃除してらしたって話、他の方からも聞いたよ。なんだかとても気に入ってくれてるみたいだね。うちにも食べに来て下さったんですよ。」
「そうですか!浜崎食堂にも行かれたんですね!建物や地域を大切にして下さって嬉しいですね。こういう方に庄金に移住してほしいですね。区長さん、筒井さんご夫妻の歓迎会しませんか?」
 
目まぐるしい1年が終わろうとしている師走の午後、又七酒造の蔵で歓迎会が開かれた。乾杯の後、鈴花が言った。
「皆さん、こんにちは!本日はお集まりいただきありがとうございます。今日の会はこちらにいらっしゃる筒井さんご夫妻の歓迎会の予定だったのですが、ご夫妻に歓迎会を開きたいとお話ししたところ、お酒も飲み会も好きだし、たくさんの方とお会いできるのは嬉しいけれど、私たちの為の会ではなくて皆さんと同じように参加したいと言われました。そこで、庄金の皆さんと、庄金を大切にして下さっている皆さんをお誘いして忘年会を開くことになりました。今日は小説塾の皆さん、水とまちなみの会からは会長さん、鹿島の区長会長さん、新しく鹿島駅の近くにできたKATAラボからは佐賀県の職員の方々もいらして下さっています。ご参加の皆さんに持ち寄りでとお願いしたら、美味しいものをたくさんお持ちいただきました。区長さんはいつものギター弾き語りを聴かせて下さるそうですよ!飲んで食べて、楽しい時間にしましょう!」
夕方に終わる予定の忘年会は予想以上に盛り上がり、蔵には遅くまで明るい笑い声が響いた。
 
その年の大晦日、テレビを見ていた麟太郎が言った。
「除夜の鐘をつきに行って来る。」
誕生院に着いた麟太郎は、
「住職!鐘を8回つかせてください!さっきテレビで見たんですよ。自分の心に潜む8つの弱虫を取り払って、明るい新年を迎えましょうって。気弱きよわに、卑怯ひきょうに、威圧いあつに、怖気おじけ、、、あと何だったかな。とにかく、私は来年から杜氏として出直すことにしたんで!8回お願いします。8回!」
「鐘をつくのはいいですが、弱い自分も自分、自分の心にしっかりと向き合いましょう。大丈夫、麟太郎さんはもともと杜氏として素晴らしい腕をお持ちなんです。だからこそ多栄さんが東山家に迎え入れたんだと思いますよ。」
ゴーン ゴーン ゴーン ゴーン ゴーン ゴーン ゴーン ゴーン
 
 
第50話
 
鹿島の桜が見頃を迎え、今年も脚本家ときょうかが颯爽とやって来た。
60名を超える大所帯となった小説塾で、脚本家はいつものように塾生たちに明るく声をかけた。
「健太郎さん、今日は上等な背広に蝶ネクタイで、何かあるんですか?」
「いやぁ先生、驚きましたよ。すずちゃんの翌年に結衣ちゃんも芥川賞だっていうんだもの。」
「そうですね!嬉しいニュースでしたね!」
「あの年末の、結衣ちゃんの小説が候補に入った時にね、この塾からまた候補作が出たっていうんで新聞とテレビが来たんですよ。そこですずちゃんが『小説塾の最高齢』って私を紹介したもんだから、私インタビューされたんですよ。」
「はいはい。」
「その時の私の格好がさぁ、前もって知ってたらこの背広を着てきたのになぁ。だからいつテレビが来てもいいようにね。」
「アハハハ。そうだったんですか。日常の様子が撮影できてよかったと思いますよ。」
 
塾が終わるときょうか、まり花、鈴花、結衣が手際よく後片付けを始めた。大学の春休みで帰省中の美代子と理絵も手伝った。片付けが一段落したところで脚本家が
「お疲れ様でした。人数が増えて準備と片付けが大変になったよね。いつもありがとう。ところで皆さん、この後は予定あるの?儀助平洞穴ぎすけびらどうけつ、行ってみる?」
やじりが出てきたっていう、鹿島一のパワースポットですね!」
鈴花の言葉を聞いた美代子はすかさず
「わぁ、行きたいです!私、今日は1日空いてまーす!」
 
新年度、庄金高校に文学科が発足すると美代子は
「文学科創設のお祝いにまた7人で出かけませんか?先生の好きな平谷の湧き水の手前にある落柿らくし、食べに行った事ありますか?美味しいですよ!食事すると、700円の平谷温泉に500円で入れるんです。」
 
翌週、7人は日本料理・落柿の見晴らしの良い席で食事を楽しんだ。脚本家は
「しばらくぶりで来たけど、ここはとってもいいよね。美味しいし、盛り付けも器も上品だし、古い建物もいい雰囲気。この下の方に川が流れてるんだけど、そこも良い所だよ。平谷温泉は僕たち気に入ってて、鹿島にいる間に何度か来るよ。自然に囲まれた景色のいい温泉に朝8時から入れるってサイコーだよね。」
食事と温泉を満喫した後、湧き水を汲みに行った所で脚本家が言った。
「ここは素晴らしいよね。僕は全国の湧き水を汲みに行って飲んでるけど、湧き水を汲むのって大変なんだよ。遠かったり、山奥だったり、蛇口がついてるところなんかほとんどないからね。ここは鹿島の街からも近いし、屋根がある整備された水汲み場に蛇口が4つもあるでしょ。これだけ美味しい水が近くにあって汲みやすいって、全国探してもなかなかないよ。」
 
帰りの車で美代子が言った。
「あぁ楽しかったぁ。今はこうしてすぐにどこへでも、なんなら海外だってよく行ってますけど、結婚したらそうもいかなくなるから、独身のうちにやりたいことを全部やっておきたいんです。」
理絵は
「本当の美代ちゃんは結婚したってじっとしてられる性格じゃないですけどね。フフフッ。結衣ちゃんが小説に書いた美代ちゃん像をやってるんだよねー。」
「私、太良では既におとなしくしてるもーん。先生〜、私、来年の春に先生がいらっしゃる頃には太良に嫁ぐんです。だから今年が独身最後の春。思い出に、このメンバーで鈴花の新しい家にお泊まりしたいなぁ。もうすぐ鈴花の誕生日だからお祝いを兼ねてどうですか?ハワイ旅行のつもりでお泊まり会!」


第51話

鈴花22歳の誕生日は、美代子のたっての希望で泊まりがけのパーティとなった。脚本家は
「家は酒蔵だけど皆さんワインが好きって聞いたから、佐賀のモラージュで甘いスパークリングワインを見つけたよ。美味しいチーズも買ってきたよ。」
「わぁ!ありがとうございます。美代ちゃんが朝まで飲み明かしたいって言うので、私たちもお酒と食材を買い込んできました。海静とお揚げもありまーす!」
「カンパーイ!」
料理と飲み物を広いキッチンカウンターに並べ、7人は思い出話に花が咲いた。美代子が家を眺めながら鈴花に言った。
「鈴花の家、ホントにハワイのカフェみたーい!いつ完成したんだっけ?」
「11月。寒くなる前にできてよかったぁ。」
「あっという間だったよね。二十歳の誕生日に先生がお家を買ってくれることになったって聞いて、何年先の話だろうと思ってたら1年と7ヶ月でこんなお家ができちゃうなんてすっごいよね!」
鈴花は少女のように屈託のない笑顔を脚本家に向けた。
「これが岩清水先生のスピード感ですよね。家が寒いんですって言ったらプレゼントするって言って下さって、その日のうちにどんな家がいいのか聞かれて、その場で決まってましたもんね。」
「あの時点で僕はこの土地とハウスメーカーを見つけてたからね。そこから1年かけて鈴花さんが担当者と打ち合わせして、翌年の春に僕も確認して、夏には建設がスタートしてたね。」
「はい。おかげさまでこの冬はあったかい家で執筆が捗りました。ちなみに家のことで言うと、結衣ちゃんが小説に書いてくれたうちの社長交代劇があるんですけど、私たちあれも実行したよね!フフッ。」
 
鈴花が結衣を見ると、結衣は立ち上がって一人三役の寸劇を始めた。
「私たち、忘年会の最中に鈴花先輩のお父さんの所に行きまして、『二十歳でステキな男性から家一軒買ってもらえるくらいじゃないとオンナ失格よね。ステキじゃないオトコから家を買ってもらってもねぇ。カネに媚びてるみたいでイヤよね。』『わかるぅ!』『そんなんだったら自分で買ったほうがよっぽどマシ。』『言いますねぇ、鈴花先輩。サイコー!カッコいい!』って言ったんです。そしたら鈴花先輩のお父さん固まっちゃって、『お父さんの時とは時代が違いすぎるな。末恐ろしいよ。』って。そこで『お父さん、もともと杜氏の腕はいいんだからそっちに専念しなよ!』っていう鈴花先輩のトドメの一撃が出まして、又七酒造は今年から鈴花先輩が継がれてます。(笑)」
 
「家は一家のお父さんが建てるものみたいなイメージがありましたけど、女性が自分で建てたっていいし、素敵な男性からプレゼントされるものであってもいいですものね。庄金高校に文学科をつくりたいっていう私の夢も、岩清水先生のおかげで想像以上に大きな規模で実現しました。鈴花さんのお家の話を聞いた時、文学科の生徒も執筆に集中できる環境だといいですねって先生にお話ししたら、レジデンスのご提案をいただいたの。」
まり花が言うと理絵が同意した。
「私は大学で教員免許の単位を取ってたんで、まり花先生から『いずれは庄金高校に文学科をつくりたい。』って聞いた時、文学科の先生しながら作家活動っていうのもいいかもって考えるようになったんです。だけどその規模が!私の想像を遥かに超えてました。岩清水先生からレジデンスのお話をお聞きして、私『卒業したら絶対鹿島に帰って庄金高校の先生になります!私もレジデンスに住みたいです。』って言っちゃいました。(笑)」
 
脚本家が言った。
「レジデンスっていうのは文学科の寮のことなの。文学科の生徒は茅葺き屋根の家で執筆するのと、送迎をつけてあげたかったの。それと、茅葺き屋根で創作意欲が湧くのは間違いないんだけど、朝9時~夜7時まで書いて送迎がついたとしても、朝と夜に家事があったら集中が削がれるよね。だから親元を離れて寮で生活する生徒さんが食事や生活の心配がない環境も整えてあげたかったの。集中できるといい作品が書けるし、その環境を求めて優秀な生徒さんが集まるからね。鳥栖工業高校には4億円をかけてレスリング場がつくられたでしょ。環境が整っているからいい生徒さんが集まってますます強くなるよね。ちなみにレジデンスはきょうかさんの執筆環境を参考にしたよね。」
きょうかは
「私たちが初めて鹿島に来る前の年って、移住先を探して全国を旅してたの。『お引越しですか?』って毎回言われるアルファード満載の荷物を持ってホテルからホテルへ移動するのってなかなか大変で、私は先生が思いつかれた構想を書きとめるっていう大切な仕事をしているのに執筆が止まっちゃった時があったの。でも信州・霧ヶ峰の、車山高原スカイパークっていうおしゃれなホテルに泊まった時にね、露天風呂からの絶景がまさに天空の楽園で、ここで集中して書きたいと思って先生にお願いしたの。
他にも素敵なホテルで書いた時、気分がのって執筆が進んでね。神戸の六甲アイランドっていう人工島、知ってるかな?そこのベイシェラトンっていうホテルとか、伊勢志摩サミットの会場になったホテル・ザ・クラシックも捗ったし、そうそう、伊勢志摩には日本庭園のある素敵な図書館もあったなぁ。それからは素晴らしいホテルやおしゃれなカフェを見つけて、まとまった時間を取らせてもらったの。」
 
まり花が続けた。
「どこのホテルのどんな所が良かったのか、きょうかさんに事細かくお聞きしてレジデンスに取り入れました。それに我が校は何と言っても卒業生の鈴花さんと結衣さんの快挙がありますから。『芥川賞は東山鈴花さんの有明の月に決まりました。』っていう映像を見た時は本当に感動しました。翌年に結衣さんが受賞してからは『芥川賞を取りたければ鹿島に行け!』って言われるようになりましたものね。だから全国から集まったうちの文学科の新入生、素晴らしいですよ。優秀な生徒がそろってます。」
きょうかはまり花の話にうなずきながら、
「結衣ちゃんのスピーチもよかったですよね。『鹿島市浜町には昔から“結”と呼ばれるご近所同士の助け合いが根付いているんです。昔はどこの家でも茅葺き屋根を葺き替える時には、材料の茅(カヤ)や葭(ヨシ)を用意しておけば、ご近所さんが総出で葺き替えたそうです。古くなった茅は埃だらけで、鼻も口も耳も、身体中の穴という穴が真っ黒になったと祖父が話していました。結衣という私の名前は、この“結”を気に入っている私の祖父母と両親がつけてくれました。』っていうエピソード。浜町や結について伝わったと思うし、岩清水先生のアイデアで同じタイトルの作品がいくつもあるっていうのも、結衣ちゃんが記者会見で説明してくれたよね。」
結衣は
「私は“有明の月”を書いた時、岩清水先生から度々お聞きしていた言葉が大きなヒントになりました。『誰も損をしない、させない。』とか、『全国の酒蔵を儲けさせるんです。』とか、先生の言葉を書いている時は感動で心が震えました。ちなみに先生、“有明の月”っていうタイトルは、いつ思いつかれたんですか?」
「あぁ、あれはねぇ、鹿島に初めて来た年に、北鹿島の吉田能舞台で能を見た後に浮かんできたの。」
 
7人の話は夜更けまで尽きなかった。


第52話
 
桜の花びらを追うように木々の緑が生まれる頃、今年も別れの日が近づいた。脚本家と鈴花はうさぎの杏介を連れて散歩に出た。“有明の月通り”と呼ばれるようになった庄金の多良海道を抜けて、浜崎食堂の赤提灯を眺めながら国道を渡り、又七酒造の前で蔵人たちに会うと挨拶を交わした。光厳寺の八角堂の手前を左折して庄金高校へと続く坂を登り、体育館やグラウンド、校舎を見ながら桜のトンネルをくぐった。その途中で野菊の墓に立ち寄ると、まだ新しい白いカラーの花が供えられてあった。墓参りを終えた2人は、青々とした竹林を見ながら初めて出逢った城の上にやって来た。事比羅神社にお参りした2人が庄金のまちなみを見下ろすと、九棟の茅葺き屋根が見事に甦った有明の月通り、浜川の向こうに見える美しい有明海、晴れ渡る空には有明の月が浮かんでいた。
「今登ってきた坂道はこの時期桜の絨毯になるんですけど、ここは秋になると銀杏や紅葉の絨毯になるんですよ。」
鈴花の話に四季の移り変わりを感じながら城の上をひと回りした脚本家は、石碑に彫られた俳句や短歌に目を向けながら
「そう言えばここって月見の名所で、大正時代にお月見の会が開かれてたんだって。実際に俳句がたくさん残されてたってまり花さんが言ってたよ。」
「月を見ながら歌会があったんでしょうか。風流ですね。」
 
その時、サーっとそよ風が吹いた。揺らめく竹林を見上げると、細くなった竹の先端と笹の葉がサワサワと音を立てた。
「目を閉じると、なんだかお琴の音色が聞こえてくるようですね。」
しばらくの間、頭の中に流れる琴の調べを聞いていた鈴花は、脚本家と出逢った高1の終わり頃、古文の授業でまり花に習った和歌を思い出した。それは美しい響きがより物悲しく感じさせる悲恋の歌だった。
 
—いまんと ちぎりしことはゆめながら・・・ たる 有明ありあけつき— 「新古今和歌集」恋四
(“すぐに行くからね”とあなたが約束してくれたことは夢に終わってしまったけれど、夢に終わった夜に似ている有明の月が今日も出ています。)
当時は悲恋かどうかさえ読み取れなかったその歌を、鈴花は芥川賞作家にふさわしく、たった3文字変えて満ち足りた今の気持ちを脚本家に伝えてみせた。
「いまんと ちぎりしことはゆめにまで・・・ たる 有明ありあけつき
(“すぐに行くからね”とあなたが約束してくれたことを、夢にまで見た夜に似ている有明の月が今日も出ています。)
 
自分の希望通りの人生を歩んでいる鈴花の成長と幸せな気持ちを感じとった脚本家はにっこりと微笑んで、
「いつからか 出逢であいしころつきの 有明ありあけつきを ともるかな」
(いつの間にか、あなたと出逢った頃の4月に出る有明の月を一緒に観るようになったね。)
鈴花の誕生月、出逢った頃の4月、さらにうさぎをかけて卯月とよんだ脚本家の返歌に、鈴花はさすが!とうなずいた。
うさぎの杏介が2人の間を嬉しそうに飛び跳ねた。(了)



謝辞
「読書の習慣は賢者を生む」


今、世界中のニュースを賑わせている
ロサンゼルスドジャースの大谷翔平選手は
多忙な毎日の中も読書を欠かさないと言います。

私たちはこの方を尊敬してやまないのですが、
それは生き方がとってもステキだからです。

投打の二刀流という
メジャーリーグでの大活躍も
素晴らしいのですが、
契約の仕方、普段の生活、ファンとの接し方、
広告出演、ゴミ拾いなど多くの
人としてステキだと感じるところがおありです。

そして、私たちに
人としてステキだと感じさせる
ベースを作っているのが
読書の習慣だと感じております。
まさに賢人を地でいく方です。

日本全国を旅しながら暮らしてきた私たちが
それぞれの土地で見てきた魅力は
本当にさまざまです。
その中でこの佐賀県、
特に浜で強く感じたのがゆいでした。

結は地域に深く根付き、
文献を調べた限り
400年は変わらず続いておりました。

その結をテーマに、投打の二刀流ならぬ
筆蔵の二刀流という離れ業を成し遂げる
主人公の5年間の成長物語は、
私たちの大好きな浜の酒蔵という設定によって
はじめて成し得たものと思っております。

読書をされる世界中の賢人たちに
作品の創作を通じて関われましたこと
深く感謝申し上げます。
改めて今作、【小説】有明の月を
書き上げましたことを通じて、
私たちの職業を本当に大好きになれました。

最後に、取材にご協力くださいました
本当に数多くの方々に改めて感謝申し上げます。
皆さまのおかげで
現実と空想のハイブリッド物語がよりリアルに
よりノスタルジーに仕上がりました。

2023年12月15日
岩清水緑風・朝倉香絵

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