見出し画像

凪の海へ

 クラスに一人はいる、底抜けに明るくって真面目な子。いつだってみんなの中心でキラキラ輝いて、周りを照らし出す太陽みたいな子。
 
 そんな子が、真夜中の凪の海で呆けていた。

 私はここが大好きだった。防波堤に囲まれたこの海辺は、意図的に凪になるように設計されている。暗い夜に出向けば、光も音もほとんどない、とても静かな場所になるのだ。いつも変わらず自分を迎えてくれるこの場所は、日向に居場所を持たない私だけの逃げ場だと勝手に思っていた。

 でもそれは間違いだったらしい。

「あなたもここに来るんですね。」と私は声をかけてみた。けれど彼女は視線を動かさない。頷くことすらしなかった。まるで私の声が、そこらを飛んでいる虫の羽音だとでも言うように。
 
「聞こえてるんでしょう?意外ですね、あなたみたいな明るい人が。」

「ダメなの?」

 彼女はこちらを睨みながら言った。

 その顔に学校でみる彼女の面影は無かった。彼女を輝かせていたものが全部抜け落ちて、燃えカスの様な印象を与えるその目つきは、きっと彼女が誰にも見せてこなかった一面なのだろう。そこにあの太陽のような笑顔も、明朗快活な声もありはしない。

 彼女は私を睨み続けるけれど、それでも構わず私は彼女の隣に座った。なんだか放っておけなかった。これが所謂シンパシーなのかもしれない。
 
「ダメなんて言ってないですよ。ただ、感想を言ったまでで。」

 暗闇の中でも、彼女の顔がすこしだけムスっとしているのが分かった。

 凪の海は変わらず静かなものだ。海の上を滑る風の音は軽々と私達の鼓膜を撫でる。遠くに見える雲は、黒色に包まれていながらも微細な黒の濃淡によってその存在を私達に訴えていた。黒くとも一緒くたに捉えるなかれと。

「わたしさ」

 流れる風の音に似た声。

「別に、元からあんな明るい訳じゃない。本当はどっちかというと暗い寄りだし、あんまり笑ったりしない。理由がなかったら目立たず程ほどに生きてたと思う。でも、母さんには私しかいないから。私が沈んでたら母さん心配するし、国立に入れなかったら迷惑かけるし。だから学校ではああやって振舞うんだ。」

 私は頷きながら話に耳を傾けていた。この先彼女は、一体どれだけの人間にこの話をするのだろう。それはきっと多くは無い。多く見積もっても片手で数える程度だろう。その内の一つに自分が選ばれたことが、とても幸せに感じられたのだ。

「けれど偶に、居ても立っても居られなくなる時がある。そういう時にここに来るんだ。夜の、誰もいない海に。潮風と海のせせらぎしかないこの場所が、凄く恋しくなる。」

 彼女の独白はそこで終わった。私はすぐに返答をしなかった。何も映らない海をシアターにして、彼女の語った言葉一つ一つを見返していたのだ。面白くも無い話に笑みを浮かべる時の虚無。母の顔を見る度に感じられる重石の重み。視界にとらえるものすべてが灰色に染まっていく焦燥。言葉だけではない、声も表情も、全てがその景色を見せてくれた。

「私やあなたがこの海に惹かれるのは、きっと同じ理由なんでしょうね。」

「言ってみてよ。」

「分かっているんでしょう。私達が見るこの世界が重々しく映ってしまうのは、結局のところ自分のせいだって事。自分の中からでてくる感情たちが、理性とは関係なくそうしてしまう。だから、何の感情も抱かなくていいここに来るんでしょう。」

 彼女は体操座りのまま、組んだ腕に顔をうずめている。

「だから私達、仲間かもね。」

 彼女はコクリと頷いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?