【エッセイ】承認欲求が強かったりすること

実は、Noteにユーザー登録をするのは今回が初めてではない。高校生の頃にも利用していた時期があった。

小学生の頃から、承認欲求が強い人間だったと思う。目立ちたがり、とは少し違うけれど、「何かすごいことをやって周りの人に褒められたい、認められたい」という気持ちが大きかった。

中学では自分の希望で生徒会に所属して、人の前に立つ経験をした。憧れた高校に入学するために、勉強も頑張った。「生徒会も忙しいのに成績も良くてすごいね」と、周りの人が褒めてくれた。

第一希望の高校に入学してから、学校内ですごいことをするよりも、社会の中ですごいことをしたいと思い始めた。もっと多くの人に認められたい、褒められたい、と思ったのだろう。数ある選択肢の中から、わたしは好きだった文章を書くことを選んだ。とにかく何かを書いて、プラットフォームに投稿して、有名になってみたいと思った。

そこで、Noteに初めて登録したのだ。その頃からアニメが好きだったから、考察系の記事を書いたり、感想を書いたりする路線に決めた。通学電車の中で記事を少しずつ書き進め、2、3本は投稿したと思う。アニメを好きな人は多いだろうし、きっといろんな人に読んでもらって反応を貰える、と期待していた。

このような書き口調でお察しの方は多いかと思うが、結果、記事の伸びは全く良くなかった。まだ始めたばかりで有名じゃないから、と最初は思うけれど、フォロワーは一向に増えない。スキ!の数も増えない。コメントなんてひとつも貰えなかった。高校生のわたしは、そこで諦めを選択した。

今考えれば、たったの2、3本しか書けないような人間が何を偉そうに落胆しているのか、という気持ちになる。最初の記事が大きな注目を集める場合もあるかもしれないけれど、ハナからそれを狙うのは無理がある。

褒められたいから書く、有名になりたいから書く、というのも、わたしとはどうにも相性が悪い動機だったように感じる。もしなかなか結果が得られなかったら、続けるモチベーションを保つには難しすぎる動機だ。わたしのような承認欲求の強い人間には辛すぎる。

あれから数年経った今、わたしは全く違う動機をこの腕に抱えている。幸いだったことは、わたしが文章を書くことを諦めたり、嫌いになったりしなかったことだ。一度挫折こそしたけれど、文章を書き続けてはいた。やめなかった。とても好きなことだから。

再びNoteを利用し始めて、わたしは既に3本以上の記事を投稿している。書きたいことが多くて、どんどん言葉や気持ちが溢れてきて、時間と体力が追い付かない。

多くのファンを獲得するため、褒められるため、有名になるために記事を書いているのではない。わたしが好きでやっていることを、自分の中で完結させるのも勿体ないような気がしたから、他の人にも共有したくて投稿している。記事を気に入ってくれたら嬉しいけれど、気に入ってくれないからといってわたしが書くのをやめるわけではない。まだまだ少ないけれど、「自分の記事リスト」はもう宝物のようになっている。

相変わらず承認欲求は強い気がするし、褒められたら当たり前に喜ぶし、認めてもらえたら幸せだと感じる。けれど、それを何かを始める動機にするのにはあまりにも貧弱で辛すぎることなのだと思う。それが第一の目的になってしまったら本当に好きなように文章が書けなくなるし、そういう気持ちが文章に透けて見えるようになる気がする。

これからも、どうしようもなく認められたい理想と現実が乖離しすぎて苦しくなるときが来るかもしれない。けれど、わたしはそういう気持ちも大好きな文章に託して、宝箱に追加していきたい。

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