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帰るところ

 喪中のため新年の挨拶は控えさせていただきますが本年もよろしくお願いいたします。

 私は一人暮らしをしている。実家は同じ県内で、一時間ほど。近いんだ、じゃあよく帰るの?と聞かれることも多いが全くそんなことはない。基本的には年始に一泊。法事などがあれば帰ることもあるが、最近は「◯回忌の法要やったんやけど」と事後報告だ。
 別に家族仲が悪いわけではない。帰ればお互いの近況報告やテレビの話、愚痴も言うし相談もする。しかしなんというか、私が帰る場所ではないのだ。

 私が一人暮らしを始めたのは六年前で、前の接客業を辞めたタイミングだった。昔から自分の部屋がなく、大学も一人暮らしができずに片道二時間かけて通学して、嫌で仕方がなかった仕事を辞めた時、「あ、今一人暮らし始めないともうできないな」と思った。無職なのに引っ越しをして、バイトをしながら就活をして今は悠々自適な一人ライフを満喫している。

 実家に帰って私が父親と一緒にテレビを見ていると、母親は「コーヒー飲む?おやつもあるで。あ、買ってきてくれた焼き菓子開ける?」と、構いたがる。その度に「もういい歳だからそんな食べんよ」と返すのだが、私を太らせるのが趣味としか思えないほど食べ物を勧めてくる。
 何となくそれが”もてなし”のように思えて仕方がない。考えすぎなのだろうし、私が元々「家族大好き♡実家大好き♡」というタイプではないのも関係しているのだと思う。年に一度、実家に帰る度に「客用布団だなぁ」とか「親戚が来るときに持たすお土産と同じものをもらったなぁ」とか「私は”おもてなし”される側なんだなぁ」と思う。親が私のことを心配し、大切にしてくれ、年に一度の団欒を楽しみにしてくれていることはよく分かる。
 しかし私にとってはあの家は、父と母と姉が三人で暮らす家で、私が入って”生活をする”家ではない。旅先で泊まる旅館やホテルと同じで、ただ一日同じ時を過ごすだけの場所だ。幼い頃に読んでいた本や、使っていた勉強机の引き出しを開けて「懐かしいなぁ」と思うことがあっても、その本をどうにかしようだとか、椅子を引いて座ろうと思うことはない。
 今回も「模様替えをした。あんたの机もちょっと動かして〜」と話す母の顔を見ながら「勉強机、処分していいよ」といつ言おうかと思っていた。結局言えないままで、机の引き出しに大事にしまっていた修学旅行のしおりや、学生時代の写真、昔習い事で使っていたものを処分した。

 冒頭で喪中だと書いた。母方の祖母が亡くなったのだ。もう十年以上、祖母どころか母方の親戚には会っていない。祖母がもうすぐ危ないかも、というタイミングで母から連絡があった。話を聞くと、母も数年祖母には会っていなかったらしい。その中で「あの家にはお兄ちゃんとその家族が住んでて、もう私の実家じゃないねんなぁ」と言った母の声で、私がそれまで実家に抱いていた「帰るのが億劫だ」という気持ちの説明がついた。そして、そういう考え方も遺伝するんだと思いながら「そっかぁ」と返すしかできなかった。

 もしかしたら母も私が同じように思っていることに気がついているかもしれない。年に一度しか帰らない、一泊しかしない理由を知っていて、私の居場所を保つために年に一度しか使われない勉強机を捨てずにいるのかもしれない。それでも私は今後も帰らないだろうし、母に理由を言うことはないだろう。母が祖母の元に、実家に帰らなかったように。


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