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自己紹介のつづき。


やっぱりですよ。
コツコツが苦手すぎる私。
火が付くと猛烈に動くのですがね。
魂乗った記事じゃないと出せない。
なぁんて。
日々の想いも書き綴るより
話しちゃった方が早そうです。
でも続きを楽しみにしていると言う
なんとも嬉しいメッセージもいただいたので
どうぞご覧になっていってください。


音を浴びると言うのはこれなのか!!

10代の最後の最後。
私の魂を揺さぶったのは…
映画「トレインスポッティング」
コレですよ!!
もともとデジタル系の曲は
大好きだったのですが
この映画を映画館で見たときの
衝撃!!

内容もしかりですが
ミュージックビデオを見ているような
曲の全開感。
曲を感じろ!!
音に包まれて感じろ!!

主演のユアン・マクレガー(当時はまだまだ
無名だった。)が劇中に疾走する
シーンそのままに音と映像で
ガツンと私のハートは掴まれた。

音を感じたい!!
この音はなんなんだ!!

それまで洋楽をあまり聞いてこなかった
私。こればかりは知らずにはいられない。

それが
Underworld(アンダーワールド)の
「Born Slippy」!!!
この曲はその後、CMやテレビでもBGMで
使われることも多く、1度は耳にしたことが
あるかと思います。

今、思わずBGMにかけることにしました。
興奮度上昇中!!鼻息荒め、いや踊りたい。
身体がぁあぁぁぁああああ。

なんなのよ、このサウンドは!!
当時の私は心の中で叫んだ。
この音に包まれたい。

はい、行きついた先はライブハウスではなく
クラブでした。新宿歌舞伎町に鎮座する
リキッドルーム。

当時親友だったキャサリンを連れて
音を浴びに行った。
ガチテクノイベント。
みんな、DJを向いて掛かる曲ごとに狂喜乱舞!!
全く初めての世界。

高校生の頃に覗いた
「パーティー」と言う名の
巨大合コンクラブとは訳が違う。

みんな音を浴びている!!
アーティストがそこにいる訳ではないのに
DJにスピーカーに向かって各々のスタイルで
踊っている!!

あぁ。見つけてしまった。
新たな居場所を。
知ってしまった。クラブの楽しさを。

音だけでなく、DJの後ろには巨大モニターに
移る映像。ライティング。
決まったダンスなんてない、音好きが
自由に舞っている。

スニーカーやヒール低めのブーツ。
Tシャツにデニム。
ひらひらした布。
露出度高めでもエロくない、格好いい人。
ニカッと笑った歯に挟まったミニルミカライト。

この曲たまらないよね!!と
フロアに繰り出すクラバー達。

朝までがあっと言う間だった。
汗をガッツリかいてまるでスポーツ大会
の後の爽快感。

なんだこれ?
なんなんだ?
楽しすぎる。
ここからその加速はすごかった。
BPMの速いだけに。
私も若いだけに。


ないものは作ればいい。

その後、すっかりクラバーと化した私。

4つ打ち系(ビートが効いている系)を
中心にテクノ・ハウス(ハウスも
ウタモノハウスからハードハウスまで
色々ある)イベントを踊り歩いた。

平日、週末、afterと言われる日曜朝。
新宿を中心に西麻布・六本木・渋谷・青山。
一晩に何軒もハシゴすることもあった。

そして今は無き、新宿CODEが憩いの場と
なっていた。連絡先は知らないけれど
踊る姿で判別出来るいつものメンバー。

好きな音と空間で繋がる。
老若男女。セクシャリティーも
名前もどこに住んでいるか何をしているか
なんか関係ない。

楽しい時間を共有する。
踊りあえる、笑い合える仲間。


好きなDJやVJがたくさん出来た。

「私がもっと楽しむ為には
自分で好きなDJ集めたイベント作っちゃえば
よくない?」

これだ。
私が動いた。
クラブデビューしてから数か月。
イベントの作り方なんて分からない
けれど好きなものへの情熱は
止まらない。

自分が踊りたい音を奏でてくれるDJの
目の前でガン踊りしアピール。
DJのプレイが終わった後にオファー。
そしてマネージャーやオーガナイザーが
ついている時にはそちらへもアタック!

フライヤーを作るのにデザイナーを
公募。(ネット上)運よくスグ好みの
デザインを手掛けるDJ兼デザイナーに
出会う。(その後10年私のイベントの
フライヤーを手掛けてくれた)

箱(クラブ)の契約に行く。
DJ・VJ・パフォーマー・LIVE色んなものを
詰め込んだ。

単発イベントは平日の夜に六本木で
デビュー。
クラブの都市伝説、人数カウントが
おかしかった。
(見えないお客様もたくさんいらっしゃった
様で大入り御礼w)


これは序の口。

ココからの加速は前代未聞続きだった。
好きになった音のジャンルで踊る人々が
おニチョ(新宿二丁目)の方々が多かったの。

友達はすっかりGAYばかりw
私はこの町に生まれ、いつもその環境が
傍にあったのと小学校でも中学校でも
友人にGAY友達がいたので自然で。

気づいたらGAYナイトにも行ってたり。
(当時ノーメイクに近かった私は童顔と
言うのもあり、男の子にも見えていたw)

そこでまた思いついちゃったの。

GAYナイトやりたい。
って。

「は?」でしょ。
意味が分からないよね。

みんな目が点だった。
ノンケ(異性愛者)が新宿二丁目のクラブで
GAYイベント(しかもねるとんあり、かつ
GAYオンリーの時間まであり)を開催だなんて。

クラブでも「何しに来たの?
悪いこと言わないから辞めておきなさい」
そう諭された。

私は怖くなかった。
既に仲間もいたから。
二丁目でもクラブ系のバーに出入りして
いたのもあってそこのママが押してくれた。

そして出演者を見てクラブの担当者も
「アンタが集めたの?」と。
当時、既にGAY業界では有名だった
DJ・VJやパフォーマーも押さえていた
のだった。

当時は20歳そこそこのノンケ女子が
クラブイベントを仕切るだなんて
そもそも二丁目に出入りしているだなんて
それこそが「え?」な訳で。

必死に営業した。
踊り歩き、飲み歩き、フライヤーを配り
各イベントでフライヤー織り込ませてもらい。
ゲイナイトもレズビアンナイトもどこでも行って。

そして誕生させた。
私オーガナイズのGAYナイトw!!
第一回目はまたまた平日の夜なのにも
関わらず終電前には大盛況で人であふれて
いた。

自分主催なのにメンオンリーの時間は
お外で受付業務w

とにかく楽しかった。
何がって「みんなのあの笑顔」最高だった。

普段の社会ではセクシャリーを隠して
自分を抑えて生きている人も多かった時代。
(もちろん、今でもなくなってはいないが)
解放感に満ち溢れ、笑い合って踊りあって
語らって、出会いもあって。

ココでは本当の自分でいいんだって言う
場所を作れたこと。

それも自分が好きな音・映像・演出・飾り付け
好きな仲間たちと生み出した空間。

私も好きなことをしてていいんだって
思えた瞬間だった。




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