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坂本龍馬という人物

こんにちは。スーです。

今回は坂本龍馬という人物という記事について書いていこうと思います。

今回龍馬について記事を書こうと思った理由は、自分の本名鈴木龍太(すずきりょうた)というのですが、この「龍」の部分は龍馬からきていると親から聞いていたので、龍馬について勝手ながら親近感を感じ今回記事にしてみようと思いました。

坂本龍馬と言われると皆さん何を思い浮かべますか?いろいろ思い浮かべるかもしれませんが、「勝海舟の弟子」「薩長同盟」「船中八策」この辺りが一番有名じゃないでしょうか?なので今回はこの三つについて解説していこうと思います。

①勝海舟の弟子
龍馬は19歳のころ江戸に剣術を学びに行ってました。しかし、ちょうどそのころに黒船でペリーが来航してきていて、龍馬はあっと驚かされ、今後の日本に危機感を抱きます。その後出身地である土佐に戻り、土佐で一番頭のいいと言われる画家の河田小龍に教えを請い今後日本が良くなるにはどうすれば良いのかを学びます。

そうした後に龍馬は26歳のころに土佐の尊王攘夷運動に参加します。尊王攘夷とは、簡単に言うと天皇を敬い外国を追い払おうという運動でした。当時の日本はペリー来航にビビり開国しているのでそれに反対する運動と言えばわかりやすいでしょうか?

そこで龍馬は当時幕府の開国の立役者である勝海舟を倒そうと江戸に向かいます。しかし、勝海舟に話をされそれに納得してしまった龍馬はもともと倒そうとしていた相手である勝海舟に弟子入りします。これが勝海舟に弟子入りする流れです。

②薩長同盟
勝海舟の元でいろんなことを学んだ龍馬は30歳になります。このときに勢力を上げていた2つの藩が長州と薩摩です。長州藩の中心人物が桂小五郎で薩摩藩の中心人物は西郷隆盛です。この二人も有名ですよね。

この2つの藩は過去に一度争い合っていて薩摩が勝利しています。この争いによって2つの藩は仲が悪かったのです。しかし、龍馬は世界に負けないような日本にすることを夢見ていたので、日本国内で小さく争ってる場合ではないと思い、この2つの藩をまとめようと考えました。それが薩長同盟です。

どうやって2つの藩をまとめたのかというと、まず、長州に関しては幕府を倒したいという考えは持っているものの武器も資金力もなく、幕府に追いやられていました。逆に薩摩も幕府を倒したいとは思っていて、武器も大量にありましたが、薩摩だけでは幕府を倒せないと考えていました。

そこで、龍馬は商人の出身ということもあり、ビジネスの才能もあったので、亀山社中という後の海援隊となる会社を作り、薩摩の武器を長州に売るという貿易をして利益を得ていきました。

③船中八策
龍馬は日本を良くするためには争いはいらないという願いを持っていました。その願いをかなえるために考えられたのが大政奉還です。

この大政奉還とは当時政治の権力を握っていた幕府が朝廷に政治の権力を引き渡すことです。つまり、争いをすることなく幕府の時代を終わらせようということです。

そして、船中八策は龍馬が考えた大政奉還後の日本の仕組みで8つの政策が掲げられていました。内容を見ると、憲法の制定だったり、議会政治を作ることなど今の日本の礎となる政策が掲げられていました。

以上が坂本龍馬という人物になります。他にもまだまだありますが、有名なところを抑えておけばその人の人物像などがわかると思います。

この龍馬の人生を見ていくと圧倒的なビジネスセンス圧倒的な素直さがあったのだと思います。

というのも、もともと倒しに行くはずだった勝海舟の話を聞いてそのまま弟子入りするというエピソード、これは龍馬が日本をもっとよくするためなら変なプライドを持たずに素直になったほうが良いという性格の表れだと思います。

自分も龍馬を見習って願いをかなえるためならば余計なプライドを捨て素直に行動していきたいと思いました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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