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本を大量に捨てたことを後悔している

本を読むのが好きだ。
目的もなくただ「面白そう」という理由で、全く専門外な学術書を読んだりする。
実家の本棚には僕がこれまであてもなく買った本たちが並べられている。
引っ越し先のせまいシェアハウスでも結局本ばかりが増えている。

数年前に、あるきっかけで大量の本を捨てた。
「こんなに本を読んでいても、何にも活かせていないじゃないか」と自分にひどくがっかりすることがあったのだ。
いま思えばまったくしょうもないきっかけだったのだが、当時の僕はそれをとても深刻に捉えてしまい「本は捨ててしまおう」と決断した。
こういうとき、つまり半ば錯乱状態の僕は、自分でも驚くほど決断が早く、その日か次の日には行動に移す。
だから、あっという間に本が選別され、ビニールひもでまとめられ、捨てられた。
50冊は超えていたと思う。
本棚にはかなりのスペースが生まれた。

いまになって、あれは間違いだったとはっきりわかる。
本はふとした瞬間に読み返したくなる。
一人で考え事をしているとき、友達と話しているとき、ほかの本を読んでいるときなどに、「そういえばあの本に、あんなことが書いてあった気がする」と突然思い出すのだ。
それが何年も前に読んだ本だったとしても、である。
特に理由もなく読み返したくなるときだってもちろんある。
だけど、捨ててしまったのではもう会えない。
残念なことに、図書館で借りたり書店で新品を買ったりして済む話ではない。
僕が知りたいのは本の全体的な内容ではなく、その本の何ページに目印をつけ、どの文に線を引っ張ったのか、ということなのだ。
とはいえ本のタイトルを特定できるのであれば事態はまだ良い方で、「あの本棚にあった本のどれかに、知りたい情報があったような気がする」というおぼろげな記憶では解決できる可能性はほぼゼロだ。
そのたびに捨ててしまったことを後悔し、捨てた本たちのタイトルも思い出せないまま諦めるほかなくなるのだ。

本の内容など実生活にまったく活かされなくて良い。
それよりも「もう会えない」ということのほうが、はるかに悲しいことだと思う。

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