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#1 父親との記憶

生まれてから2・3歳頃まで

私は父と母の1番最初の子どもとして生まれた。
新生児の頃はミルクをほとんど飲まず、離乳食を早めに始めたところ、たくさん食べるようになったそうだ。
私はこの頃の記憶はもちろんない。
だが、虐待やネグレクトもなく、普通の子どもとして暮らしていたと思う。

3歳から4歳まで

3歳の時に現在住んでいる実家に引っ越してきた。
母はこの時、専業主婦だった。
毎日料理を一緒に作ったりお菓子を作ったり、本当に幸せだった。
幼稚園では色水を作るのが好きで、ずっと作っていた結果、花が枯れてしまい先生に叱られた。自業自得すぎる…。
家族で遊びに行くことはあまりなかったけど、本当に愛されていたと思う。幸せだった。
そんな幸せな毎日だったが、1年後…。

家族がバラバラになった

この時のことは鮮明に覚えている。
リビングの真ん中で父親も母親も怒鳴っていて、殴り合いの喧嘩をしていた。
私は怖くて部屋のドアに隠れてその様子を見ていた。
喧嘩が終わると、母親が泣きながらリビングから出ていった。
私と父親は2人きりになった。

私はここまでの記憶しかない。

でもその後、私は性的虐待をされた。
私は母親にこう話したそうだ。
「お父さんにお股を触られた」と。
そして母が確認したところ証拠が見つかったそう。

そして母はこのできごとがきっかけで離婚を決断し、私と母は祖母の家へ一時避難した。

離婚調停中の母と私

私はなぜ祖母の家に来たのかわからないまま過ごしていたが、母親はかなり修羅場だったそうだ。
なんと、「30万渡すから私の親権をくれ」と父親が要望したらしい。
私は成長してからその話を聞いた時、正直ショックだった。
父親にとって私は30万の価値しかなかったんだ。
愛されていたと思っていたのはなんだ。
私は人のことが信用出来なくなった。

調停中には弟が生まれた。
でも父親は弟の顔を1度も見に来なかった。
母は本当に許せないと今でも言っている。

離婚成立

私が小学1年生の時、調停が終了し離婚が成立した。名字も変わった。

この日から母と私と弟の3人での暮らしが始まった。

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