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さらっとデザイン史4〜AEGとドイツ工作連盟の活動〜

デザインが工業化社会の中で、生産者にとっても消費者にとっても重要な意味を持つものとして自覚されてくるのは20世紀に入ってからになります。
なのでデザインの歴史はわずか100年余りの話になるという事です。以外と短く感じるのではないでしょうか?
20世紀初頭のヨーロッパでは、とりわけドイツにおける芸術と産業の結合の動きが際立った出来事として注目されていきます。
具体的にはベルリンの大企業アルゲマイネ電気会社における製品の造形性をめぐる新しい政策、およびドイツ製品の質の向上を目指す工作連盟の結成があります。

この2つの動きについて今回は見てみます。

ベーレンスとAEG

1903年デュッセルドルフ工芸学校の校長を務めていたペーターベーレンスは1906年、ベルリンのアルゲマイネ電気会社(AEG)からその製品の造形的処理を委託されることとなりました。精力的に動いたベーレンスは社の製品の改良だけではなく、製品の販売のためのパンフレットの制作等へと広がり、1907年には同社の芸術顧問として昇格されることになります。
そこで彼は工場の建築設計から製品のデザイン及び販売に関わるグラフィックデザインを手がけていきます。とりわけ、ベルリンの「タービン工場」は、コンクリート。スティール、ガラスといった近代の材料を使い、工場という実用的な構造物を芸術的な建築へと高めた例として注目されています。

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AEGタービン工場 写真:wikipedia

ファサードには古典主義的な傾きが見受けられなくもないですが、その堂々たる雰囲気は今日でも依然として失われていません。

また、製品の中でもとりわけ街灯やポットのデザインには在来の製品とは異なった傾向、近代への息吹が感じられます。

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AEG電気ケトル 写真:wikipedia

このようにして、19世紀におけるデザイン運動の始まりにはウィリアムモリスが登場したのに対して、20世紀初頭にはペーターベーレンスの存在がクローズアップされることになります。モリスが工房での活動を進めてのに対して、ベーレンスは工場を基盤としてのその造形活動を進めた形です。特に、インダストリアルデザインという操作なり分野が明確化されるのはベーレンスの活動からと考えて良いでしょう。

ドイツ工作連盟の発足

AEGとベーレンスの結びつきは、工業へ芸術を導入することによって企業の近代化を図ろうとした形ではありますが、一方、工芸界の革新を手掛かりとしながら「良質」の工業製品を目指したのは、とりわけヘルマン・ムテージウスでした。
1907年、当時学長を務めていたベルリン商科大学で講義を開講するにあたって「工芸の意義」と題する公演を行いました。そこで彼は、以下のように説きました。

近代工芸の意義が芸術的、文化的、経済的意義として把握されなければならない。すなわち、過去の様式の模倣でないものを作り出すこと、つまり「精神的、物的、社会的諸条件の表れとしての形態」を新たに創造することが必要である。

1907年10月、この声明に賛同するものを中心としてドイツ工作連盟が結成されました。構成員は芸術家、工芸家、建築家ばかりではなく、工業や商業にたづさわる実業家も含むものであることも特徴の一つです。

連盟規約の第2条には次のように決められています。

工作連盟は、芸術、工業、手工業の共同により、当該の諸問題に対するきちっとした態度表明を通して、産業労働を向上させることを目的とする。

ここで、「向上させる」と言っているのは一層価値のあるものとするとか、一層貴いものとするという意味であり、それと同時に、優良品の生産、製品の質の向上といった工作連盟のモットーが含まれています。

その目的を達成するために、内部で二つの方法論が対立することとなります。
一方はモリス的な方法、生産者と創造者が一体となった活動。
もう一方が規格化による普遍性への追求、生産者と創造者の分離。
結果的に、生産者と創造者の分離、規格化という考え方に収斂され、バウハウスの理念に受け継がれていくことになります。

また、工作連盟が行なった活動として以後の建築文化に影響を与えた2つの活動を取り上げます。

1. 1914年「ドイツ工作連盟展」
2. 1927年「ヴァイセンホーフ・ジートルング」実験住宅モデルの展示

1914年「ドイツ工作連盟展」の開催

1904年、ケルンにて最初の大きな工作連盟展が開催されます。ここでは、ワルター・グロピウスは工場と事務所のモデル建築を建て、ブルーノ・タウトはガラスのパビリオンを、そしてヴァンドヴェルドは劇場建築を建てています。それぞれ個性的な違いを見せているとはいえ、いずれも1920年代に展開する近代建築の方向性を明示する重要な指標となっています。

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ブルーのタウト ガラスのパビリオン 写真:建築と活字

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ヴァンドヴェルド ドイツ工作連盟展の劇場 写真:建築知識の入門ブログ

1927年「ヴァイセンホーフ・ジートルング」実験住宅モデルの展示

第一次世界大戦後、工作連盟の理念は、バウハウスにおいて教育問題として具体化されていく一方、展覧会ユア住宅団地のけんせつによって多くの人々に知られるようになっていきました。
中でも,1927年に実施されたヴァイセンホーフ・ジートルングは近代住宅を一般に普及させることを目標とした住宅展であり、ミース・ファン・デル・ローエを全体の指導者としてル・コルビュジェ、グロピウス等の著名な建築家たちが参加した意欲的な試みであり、モダニズム建築の実践の場となりました。

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コルビュジェの住宅 写真:wikipedia

ドイツ工作連盟の活動は、第二次世界大戦後も1947年に再興され、今日でも建築やインダストリアルデザインの諸問題と取り組み続けています。

バウハウスから近代デザインへ

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西和人/Archlife

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建築家|Archlife主宰|株式会社西和人一級建築士事務所|金沢科学技術大学校非常勤講師|日本建築士会連合会青年委員会|Hp:https://archlife.jp|Insta:https://www.instagram.com/kazutonishi_architects/