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『サユリ』観たよ

押切蓮介原作の漫画を「コワすぎ!」で知られる白石晃士が映像化したホラー映画で、『呪怨』から続く事故物件ものと『ジョン・ウィック』から続く喧嘩を売った相手がやばかったものを組み合わせたハイブリッドホラーアクション。

認知症の祖母と二人暮らしをしている祖父を引き取って子ども三人と七人暮らしを始めた幸せそのものファミリー。めちゃくちゃ崖沿いに立っていて入り口が二階にある(?)という変則ハウス、しかも中心が建蔽率の関係上かどうかわからないけど吹き抜けになっており、特殊な家度でいうと『こわれゆく女』に出てくる夫婦の家と同じくらい特殊だが『こわれゆく女』はカサヴェテスとローランズが実際に住んでた家なので変わった間取りの家というのは世界中にたくさんある。しかし認知症の祖母とこれから暮らすぞ!という家には全然見えないので、不動産屋さんにいろいろのせられてしまったのではないか……という心配は残るし、事故物件だったので実際にのせられてしまったのだろう。

まあこっから先は家ホラーの例にもれず実はその家にはサユリという少女の霊がとりついていて祖母と長男以外は全滅。認知症かと思われていた祖母は家族の死に怒りの覚醒、長男に太極拳を仕込んで幽霊に負けない肉体と精神を作り上げるのである!
サユリに家族が脅かされる思いっきりホラーな前半から祖母の無双がお楽しみできる後半のギャップは、まんま『カルト』で、押切蓮介の漫画の映画化というよりは白石晃士の最新作!という色合いが濃い。霊体ミミズも出るし。

映画の後半で、サユリがなぜ悪霊になってしまったのかという事情が回想で説明されるのだけれど、このパートが非常によろしくなく、今の邦画が抱える問題を反復してしまっている。
父母と妹と四人でその家に暮らしていたサユリは実は父からの性的虐待に苦しんでいた。母に被害を訴えても、家庭を守るために母はサユリの苦境を知っていて無視を決め込み、サユリはせめて妹は無事でいてほしいと気丈に振る舞う。虐待は続き、サユリは部屋に閉じこもって美しいロングヘアを切り落とし、お菓子を爆食いして太ることで自らを守る。
「太っていて醜い」という価値観がここで前面に出ているわけだが、まずそれがまずい。「美しいがゆえに性的に父親を魅了した少女サユリ」という理路が成立してそれもまずい。「レイプされたくなきゃ美しくなくなればいい」というのもたいへんまずい。お菓子を食べすぎたサユリの顔には不自然な感じのニキビができて、レイプから自分を守った女の子はなんと化け物になってしまいました、というわけだ。数珠つなぎにすべての理路がまずくなっていっている。
この作品に限らず、一部のホラー作品には「家庭内での児童の性的虐待」を悲劇の導入に使うことに躊躇がない印象があるが、一度立ち止まって考え直した方がいいと思う。たとえば大森時生の『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』の第一話では再婚した母親の連れ子と義理の父親との性的関係がほのめかされてそれを映像の中に隠されたスキャンダルとして扱っていたが、それをスキャンダラスな秘密として扱う制作者の前提が気持ち悪すぎて、その後に続くホラー作品が素晴らしいものだとわかっていてもどうしても苦手意識が出てしまう。家庭内の児童に対する性的虐待はスキャンダルではなく児童福祉の問題であり、関係を持とうとする成人は明確に犯罪者だ。もちろん、『サユリ』では父親はクソ加害者として描かれるのだが、そのサユリの被害を描く過去パートはじっとりしっかり時間を割かれていて、作り手側がその悲劇を性的な出来事、美的な価値のあるもの(たとえ胸糞悪いものという自覚があっても、映像的な意味をそこに見出しているもの)として描いているのが伝わってきて参ってしまう。サユリの長い髪に父親は欲情していて、フィルムも父親の欲望と同じ視線を刻んでしまっている。映ってしまうものはしょうがないじゃんというような開き直りが以前はあったかもしれないけど、こういった欲情について近年の映画はかなり自覚的になっているから、余計に過去の回想シーンの屈託のなさが気にかかる。
前述した奥様ッソの語りからも、家庭内の児童への性的虐待はハッキリと暴力であり許されざるものだというコンセンサスが社会に共有されているかどうかを私は疑わしく思うし、そういう社会である以上、少女に対する欲望の残滓、加害者への共感がうっすらフィルムに残ってしまう形の演出は私にはとてもおぞましく映る。
この映画は全然そのあたりに自覚がないというか無邪気なのは、性犯罪被害者であるサユリに対して「おまんこまんまん」という女性器名称の絶叫でセクハラをして祓おうとすることからも感じ取れる。サユリを性犯罪被害者という設定にしなければ、女性器名称を叫ぶのは「命の濃さを強める」という本来の意図のみを読み取れたんだろうけど、この作りだとひたすらデリカシーのなさだけが印象に残る。死んだ人間より生きている人間の方が強いけど、生きているのに死んでいるくらい苦しいと思うようなこともあるんだよ、と祖母の言葉への反論が自然に浮かんできてしまった。

あと、前述した家の構造の他にも細かい部分が気になる映画でもある。父と祖父が死んで幽霊がいるっぽい自宅で深夜、喉が渇いて一階にあるキッチンに牛乳を飲みに下りてくる小学生、あまりにも私の子ども時代の記憶とかけはなれていた。牛乳飲んだら歯を磨こう。


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