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鴨東物怪録5「祭」

( 前 → https://note.com/arbiter_pete/n/n439963b1200b )

呉竹のよよにあふひの祭かな  三浦樗良

 世の中には、二種類の大学生が存在する。一つは、四月には心機一転勉学に精を出そうとするも、ゴールデンウィークという高い壁に阻まれ、ひと月後には挫折している大学生。もう一つは、四月すらまともに講義に出ない大学生である。しかし、たとえ後者のように講義に顔は出さずとも、学内をうろついていたりはするのが、大学生だったりもする。

 例に漏れず、大学まで足を伸ばしたものの、講義室へはたどり着けなかった。サークル棟に居座ったまま、とうとう翌朝までだらだらと過ごしてしまったのが、今である。先日のことがあったので、酒類は控えめにしたが、一緒に過ごした先輩は見事にやられている。

 春休みはとっくに終わり、連休も明けたというのに、この調子ではさすがにまずい。生活リズムを整えるべく、今日のところは早々に諷詠館へ戻ったほうがよかろう。そう思って立ち上がったものの、二日酔いで目の据わった先輩が、今から葵祭を観に行こうと言う。年に一度のお祭りなら仕方ない。生活リズムは明日から直そう。

 こうして、サークル棟を出て、大通りを斜めに横切る通りを進み、川を越えて、また大通りまで突っ切ると、ちょうど列が進んできているところだった。

 行列を眺めていると、あれは勅使、あれは斎王代と、先輩が聞きもしないのに、一人一人指を差す。初めのうちは、はあ、そうですか、と聞き流していたが、一向に列が終わらない。おかしいなと思っていると、先輩が再び、あれは勅使、あれは斎王代、をやっている。そのなんとかダイは一度見たはずなので、「さきほども通りましたね」と言うと、先輩は「ばか、斎王代が二度通るものか。毎年一人しか選ばれないから、価値があるんじゃないか」となぜか誇らしげに言う。ならば、やはりおかしい。

 それから、先輩は、あれは勅使、あれは斎王代、を何度も繰り返した。二日酔いで頭が回っていないにしても、少しはこの不自然さに気付きそうなものだ。ところが、先輩はご機嫌に、あれは勅使、あれは斎王代、を繰り返している。それでもまだ列は途切れそうにない。

 ふと、女人列の中に、見覚えのある顔を見つけた。声を掛けてみるも、怪訝そうにすれ違っていってしまった。失礼なと思いつつも、どこで見た顔かが思い出せない。あれは誰だったのか、しばらく唸った後にようやく思い至った。
 大家の老婆によく似ているのだ。
 その人は二十かそこらの歳に見えたが、大家は天涯孤独と聞いている。大家の孫というわけでもあるまい。となると、あの人は……、考え掛けてそら恐ろしくなり、思考を放棄する。

 それから何周か列を見送ったころ、またも見慣れた顔を見つけた。今度はさきほどとは違い、見知ったそのままの顔である。それは、御輿に座るきらびやかな格好の女性ーー、斎王代であった。先輩曰く、この祭の主役らしい。十二単を纏い、顔は白塗り、頭には金の冠という出で立ちで、こちらの視線に気付くとにこりと笑った。顔が熱くなるのを感じて、思わず目をそらす。

 すると、ちょうど落とした目線の先に、はらりと緑のものが落ちた。どうやら一枚の葉のようである。彼女の金冠から落ちたのだ。かまわず御輿がそれを轢こうとしているのを見て、なぜか反射的に飛び出してしまう。そうして、あわや自らも轢かれようかというところで、唐突に目が覚めた。

 諷詠館。それも自室。朝晩見ている天井がそこにあった。隣では二日酔いに苦しむ先輩を、弥生さんが看病をしている。
「お目覚めですね」
 弥生さんがこちらを見てにこりと笑う。さきほどの笑顔とあまりに似ている。また顔が熱くなったりしないよう、早めに目線をそらす。
「すみません、お世話になってしまったようで」
「いえいえ、お二人とも、家の前で行き倒れているような格好で、ぐっすり寝てらっしゃって、びっくりしてしまいました。……あら、お手元からなにか落とされましたよ」
 そう言われて見ると、さきほど斎王代が落とした葉があった。目覚めたときに握っていたらしい。
「フタバアオイの葉ですね。どこでそれを?」
 弥生さんが懐かしそうに尋ねる。
「葵祭です。……そうだ、葵祭といえばーー、」
ーー弥生さんは斎王代に選ばれたことがあるのですか。
 そんな質問が喉まで出かかる。しかし、なんだかそれを聴くと、もう弥生さんに会えなくなってしまいそうな気がする。ぐっと呑み込んで見上げた弥生さんの顔は、やっぱり斎王代にそっくりで、鏡に映った自分の顔がほんのり赤くなっているのを見つけてしまう。夏はもう近い。

葵祭
下鴨神社と上賀茂神社が例年5月15日に催す例祭。平安時代の衣装を纏った人々が、京都御所から上賀茂神社まで列をなして練り歩く。そのうち、毎年、京都の名家の令嬢から選ばれる斎王代は、この祭の主役と言っても過言ではない。

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