読書感想文(140)恩田陸『三月は深き紅の淵を』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今月はバタバタしていてなかなか本が読めず、やっと一冊読み終わりました。
四月からもそれなりに忙しいはずなので、なんとか読書の時間を確保していきたいところです。

今回読んだのは恩田陸さんのシリーズものです。
すっかり忘れていたのですが、2冊連続恩田陸さんの作品を読んでいたようです(前回は『夜のピクニック』)。
恩田陸さんの作品はこれからたくさん読んでいきたいなぁと思っているところです。

感想

面白かった……けれどなんだこれは!?という感想です笑。
不思議な小説でした。恐らく全然理解できていない部分もあるのですが、それも含めて不思議な体験でした。
特に不思議だったのが第四章です。「メタ視点」という言葉が思い浮かんだのですが、何がどうメタなのか頭で整理できていません。「私」と「彼女」という人称が出てきたり、恐らく小説の世界が描かれたり、しかし作家である登場人物もまた小説の人物であり……。うーん、頭が混乱してきました。
第四章は明らかにフィクションと思われる部分、「理瀬」の物語が強烈でした。背後で何が起こっているのか、主人公と共にわからず、ただ激動に振り回されるばかりでした。二巻目以降はこの話が掘り下げられるんでしょうか、気になる反面、少し怖いです。

この本を読んで、わかったようなわからないような気持ちになりましたが、一方で何かが心に引っかかっています。しかしこれはまさに作中で指摘されていた通りで、何てことない一節が心に残っていたりするんですよね。
明確な結末がわからない時、わからないからこそ心惹かれるということは、第一章や第二章で特に顕著に描かれていたように思います。私がこの本に抱いたのもまさにそのような感想であり、現実と小説の視点がぐるぐるしています笑。
『三月は深き紅の淵を』の中で幻の本である『三月は深き紅の淵を』ですが、読者が読んでいるのがその『三月は深き紅の淵を』っていう……。

いつも通り心に残ったところを引用していこうと思います。

「でも、私は楽しくってね。物語が進行中である、というこの瞬間が楽しい。いつまでも終わってほしくない。そうは思わないかね?」

P116

 いつも私たちは夜の海を走っている――私たちは闇の底を一人ぼっちで、望んでいない結末に向かって走る――
 ああ、これも『三月』の一節だ。

P142

「いいものを読むことは書くことよ。うんといい小説を読むとね、行間の奥の方に、自分がいつか書くはずのもう一つの小説が見えるような気がすることってない? それが見えると、あたし、ああ、あたしも読みながら書いてるんだなあって思う。逆に、そういう小説が透けて見える小説が、あたしにとってはいい小説なのよね」

P161

人間の営みなんて、はかないものね。なんだっけ、どっかの考古学者が言ってたんだけど、人類の歴史は掃除の歴史なんだって。ちょっとでもサボると、文明なんてすぐに埃に埋もれてしまう。

P208,209

何? これは何? 違う。あたしはこんな話を待っていたんじゃない。

P306

ワープロは不思議な機械だ。ワープロに向かっていると、思ってもいないことを書いてしまう。ぼんやりした影でしかなかったものが、やたらとくっきりした形になってしまう。ワープロは嘘をつくのである。ワープロは、そういう意味では虚構にふさわしい。

P336,337

何も起きはしない。私ごとき一介の旅人に、この歴史の古い土地がぼろを出すはずがない。

P409

敢えてコメントを挟まずに並べてみました。こうしてみると、この作品に通底する何かが見えてくるような気がしてきます。例えば「終わってほしくない」→「望まない結末に向って」→「こんな話を待ってたんじゃない」という風に。
 これらの印象に残った文章達が、いつか自分の人生で輝く時が来るかもしれません。「こんな話を待ってたんじゃない」という未来は、来てほしくないですが……笑。

おわりに

ひとまず感想文を書いてみたものの、まだまだ理解できていない部分がたくさんあるように思います。
恩田陸さんの作品を他にも色々と読んだ後、また改めて読み返したいと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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