読書感想文(157)三谷榮一訳注『土佐日記』(角川ソフィア文庫)

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

5月は忙しさを言い訳にしてほとんど本が読めませんでした。
心が枯れていくのを実感しながらなんとか潤いを取り戻そうと思い、自分が夢中になった古典文学を読むことにしました。
その中で『土佐日記』を選んだ一番の理由は、短いから、です笑。
あとは高校生の時に読んで以来、一度も読んでいなかったということもあります。
本を手元に置いておくことは、こうした機会を与えてくれるので大切にしたいです。

感想

高校生の頃に初めて読んだ時は、正直それほど面白いと思いませんでした。
時々良い歌があるな〜と思うくらいでした。
その後大学に入って文学部で勉強していくうちに、『土佐日記』には幼子を亡くした悲しみがよく描かれている、といった評価をしばしば見かけました。
しかし私は「そうだったっけ?」というレベルで印象に残っていませんでした。

今回読んでみると、確かに亡き幼子への愛情・哀傷が感じられました。
何度も童が登場し、その度に亡き幼子のことを思い出します。
また、初めに出てきたお酒に酔ってふらふらする童については、そこから幼子を連想するようなことはありません。
しかし書かれないことでかえって、「もし生きていたらこんな風に楽しそうな姿も見られたのかな」といったような心情が推察されます。
前半部分は送別会のような宴会が多く、お酒を飲んで楽しそうな場面が描かれるのとは裏腹に、そうした悲しみが潜んでいるような気がしました。

また、今回通読して感じたのは、貫之さんって結構まめなんだな〜と言うことです。
教科書にも載っていることがある帰京の場面で「隣人に家のこと頼んでたのに、全然手入れしてくれてないやん!けどまあ一応お礼をせん訳にもいかへんか……」といった記述があるのは有名です。
他にも帰途で「こいつらお土産物いっぱい持ってくるけど絶対お返し目当てやん。けどまあ仕方ない、ちゃんとお礼するか……」みたいな場面があったり。
優しさにつけ込まれて苦労するタイプだったのかなぁなんて想像しました。

その他、百人一首の「あまのはら」の話があったり、下ネタがあったりと様々なネタがありました。
「めちゃめちゃ面白い!」とまでは思いませんでしたが、何かと面白いポイントを見出だせそうではあるなぁと思いました。
また時間がある時に、『土佐日記』が読みたくなるような話をまとめられたらいいなぁと思います。

おわりに

久しぶりに古典を読んで、ああやっぱり自分はこれが好きだなぁと思いました。
なぜだろうと考えた時に、好きだと思っている(思い込んでいる)からなのかなぁと思いました。
もちろん古典の魅力は色々とあるのですが、これを読んで「やっぱりいいな〜」と思って心が軽くなったのは、「自分の好きなことができている」という事象のおかげのような気がします。
と、こんなことを考えてしまうほど最近好きなことをやる時間を確保できていないのですが、時間がないのを言い訳にせずに好きなことをやっていこうと思いました。
今は『古今和歌集』を覚えようとしています。毎日の通退勤の時間や食事の時間に古典の世界に浸れるので、なかなか良いです。

長くなってしまいそうなので今回はこの辺で。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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