読書感想文(316)恩田陸『まひるの月を追いかけて』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は恩田陸さんの作品です。
今年は恩田陸さんの本を一番読んでいて、これで13冊目です。

感想

とても良かったです。
読み終えた直後の感覚としては、『三月は深き紅の淵を』と同じくらい好きかもしれません。
恩田陸さんの小説は、いつもなんとなく心に引っかかっていて、ふとした時に思い出されます。今回も読みながら、『三月』の一節を思い出したりしました。
ただ、ドラマティックにどんどん進行していき、何かが解決するようなストーリーではないので、読後感はいつも不思議で、自分がその作品を好きなのかどうかが読んだ直後には判断ができません。
けれどもともかく、この本はまた読み返したいと思いました。

「好きになるのに理由はいらないけど、別れるためには理由が必要でしょ。でないと、終わらせられないじゃない」

P50

確かに、と納得する一方、自分はこれまでずっと好きになるのにも理由を必要としていたなぁと思いました。
私はずっと自分の「好き」を認めるために色々と検討する方で、そのうちの一つが「一生この人とやっていけると信じられるか」というのがありました。
この一節を読むと、つまり別れる時に必要な理由を、恋愛を始める前に考えてしまっていたということなのでしょう。
これが良かったのか悪かったのかはわかりません。

都。この何もない野原が。知らなければ、そうとは夢にも思わない。
子供の頃は、古い町や都市がなぜ土の中にあるのか不思議だった。誰かが埋めたのだと思っていた。しかし、今私がここで死んで動かなくなれば、やがて土になり埃をかぶり、何もなかったかのように地面にならされる。世界は今も土や埃に埋もれ続けている。

P92

これは『三月は深き紅の淵を』の「人類の歴史は掃除の歴史」というのに通ずる所があります。
あとは中島敦『山月記』の「古い宮殿の礎がしだいに土砂に埋没するように」とあるのにも似ているかもしれません。

「お話には結末なんてないってこと」
(中略)
「妙子さんだって、研吾に会えれば話は済むと思ってたんじゃないですか。これがそもそもの目的だったんでしょう。でも、そうじゃなかった。研吾に会っても何も分からない。現実はなんでもそう。きちんとした終わりや解決はなくても、そのあとも人生は続く」

P246

これも『三月』に何か近いことが書かれていたような……。というより、恩田陸さんの作品に通底するものかもしれません。
西洋と東洋の対比で、目的に向かう考え方と循環する考え方などがよく言われますが、この「結末がない」とはどちらとも言えないような気がします。
前者はそもそも逆の話になりますし、後者は不変的なイメージがあるからです。
近いものでいえば、ヘラクレイトスの言う「万物は流転する」や『方丈記』の「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」などでしょうか。或いは、一つの目的地に辿り着いてもまた次の目的地へと向かうような「人生は旅である」というのも近いかもしれません。
このような考え方は、早急に結末を欲しがる現代人がもっと意識してもいいことのような気がします。

遠くなんかどこにもない。どこに行っても次の「ここ」があるだけで、自分からは逃げられないのだ。(中略)私は気分転換をし、これまでの生活に区切りをつけたがっていた。(中略)むしろ、引きずる過去が余計に炙り出されて傷の深さを自覚しただけだ。これからも、引きずりながら毎日暮らしていくのだろう。

P293

これは自分の旅行の感覚に近いかもしれないと思いました。
場所が変われば意識も変わるので、確かに気分転換にはなります。
けれども、新しい風が吹き込んだとしてもやっぱりそれは自分自身で、普段の生活と地続きになっているような感じがします。
私は傷心を慰めるために旅行をするわけではないので、傷の深さを自覚するということはあまりありません。しかし、旅先でこそかえって日常のことが強く意識されるというのは共感します。「なんでこんなに長時間働かなければいけないんだろう?」とか笑。

俺、今日はずっとここにいてもいいなって思ってたから(中略)ここ、とても好きな寺なんだ

P298

これは内容とあまり関係のないことですが、こういう好きな場所があるっていいよなぁと思いました。
ふと、小泉八雲が月照寺を好きだったという話を思い出しました。この春に訪れて、確かに良いお寺だなぁと思いました。
自分の好きなお寺はどこだろう?と考えてみると、真っ先に思いついたのは貴船神社と祇王寺でした。前者は神社ですが、まあ神仏習合ということで……。
どちらも割と有名で観光地となっていますが、どちらも人がいない早朝の雰囲気が好きです。
南禅寺なども、人がいない早朝に散歩すると良い雰囲気かもしれません。

「親であるよりも前にいつも先生だった。そのことに、あたしはずっと違和感を覚えてた。研吾とあたしにも分け隔てなかった。先生のようにいつも公平だった。(中略)一方では、そういう分け隔てないあの人を誇りに思ってるけど、娘と他人の子を同等に扱える親を、心の底で恨めしく思ってたことも事実なの。研吾のお母さんは、はた迷惑な人だけど、あなたを溺愛してたことも確かでしょう。あの人は、あたしを絶対にひいきしようとはしなかった。それがいつも淋しかった」

P378

これは気をつけないといけないなぁと思いました。私はひいきがとても苦手なので、多分子どもができてもひいきすることができないと思います。
どちらがいいのかは子どもによって違うとは思うのですが、子どもが傷つく可能性も考えなければならないなぁと思いました。

おわりに

今回もとりとめもないことを長々と書いてしまいましたが、まあ平常運転です。
この作品は奈良が舞台になっているので、久々に奈良にも行きたくなりました。奈良に日本の原風景が残っているという話は岡潔の著書にも出ていた気がします。現代にどれくらい残っているのかはわかりませんが、ともかくできるだけ早く行きたいと思いました。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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