読書感想文(261)恩田陸『図書室の海』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は恩田陸さんの短編集ですが、目当ては「睡蓮」という理瀬が出てくるお話です。
理瀬シリーズを発表順に読みたいという都合上、先に「睡蓮」だけ読んで感想文だけ書いておくつもりです。
このnote自体は、一冊読み終えてから投稿する予定です。

「睡蓮」の感想

私は恩田陸さんの本をそれほど多く読んでいるわけではないですが、まさに恩田陸さんらしい一編だったように感じました。何かを暗示しているようでわからない、わからないのになぜか心惹かれる、そして表現が美しい。
睡蓮は元々仏教においても泥の中に咲く潔白の花とされていますが、その明暗が見事に表現されているように思いました。とはいえ、そこが本筋ではないと思いますが……。

が、私はどことなく今の家族がニセモノくさいことも嗅ぎとっていた。かりそめのもの、本物ではないもの。私はその中で自分の役割を演じることを覚えた。稔の前ではきれいで完璧な女の子を、亘の前では快活な少年のような妹を、祖母の前ではしっかりした手の掛からない孫娘を。女の子は作られる。男の子や大人の目が女の子を作る。

P93

これは理瀬シリーズを理解する上で手掛かりになるような気がしました。祖母が理瀬に騙されたという話が、『麦の海に沈む果実』の中で出てきたはずです。
しかし、亘や稔の話は無かった気がします。

きれいな女の子という偶像。完璧な女の子という商品。私は初めて稔の瞳の中の言葉に気が付いた。

P94

「瞳の中の言葉」という表現が印象的でした。
亘と稔の立ち位置もまだよく捉えきれていません。

時折亘と視線を交わす悪戯っぽい茶色の目。無言で応える亘の瞳にも、甘い柔らかさがのぞく。潤んだ熱っぽい瞳。ガーベラの花弁が揺れたような錯覚を覚えた。

P98

「ガーベラの花弁が揺れたような錯覚を覚えた」という表現が引っかかりました。
このガーベラは前の部分でオレンジ色であることがわかるのですが、オレンジ色のガーベラの花言葉は「冒険心」「我慢強さ」とのことでした。あまり関係無いかもしれません。
恋になる前の萌芽的なものの象徴かとも思いましたが、違うような気がします。

あの子は睡蓮にはなれないわ。あなたとは違う。あの子は沼には入れないの。冷たい泥の感触を感じることはできない。さっきあなたは妬んだでしょう、あの子の優しそうな無垢な表情を。あなたは今まで苦しんでいたでしょう、ベッドで何度でも寝返りを打って。あたしはそんなあなたが好き。苦しみ傷つき自分を汚いと感じるあなたが好き。

P100

儚くて美しいようで、冷徹で力強い、励ましのようで本心でもあるように思われます。
安い表現をすれば、「苦しみを糧として成果を出す」という内容とも言いますが、それだけでは無い迫力があります。
自分の中に負の感情が渦巻く度に、この言葉を思い出して、地上では凛と美しく咲く睡蓮を目指したいです。

その他の感想

「睡蓮」を含めて10作の短編が収録されていました。
特に印象に残っているのは、「春よ、こい」「茶色の小壜」「国境の南」「オデュッセイア」です。
でも、それぞれ独特だったので、もしかしたらしばらく経つと別の作品が印象に残っているかもしれません。

みんなで、夜、歩く。それだけのことが、なぜこんなに特別なんだろうね。

P151

本屋大賞受賞作『夜のピクニック』の前日譚「ピクニックの準備」より引用。
本編でも印象に残っている一節で、また読みたくなりました。

どうやら、自分の居場所は子供時代ではないらしい。
子供らしい危なっかしさも大人が喜ぶ無邪気さもなく、あまりにも手が掛からないので常に親からも教師からも放っておかれた彼女にとって、大した権限も自由もない子供時代はひたすら長い準備期間でしかなかった。

P217

恩田陸さんのデビュー作「六番目の小夜子」のスピンオフにして表題作「図書室の海」より引用。
『六番目の小夜子』は読んだことが無いので、また読んでみたいです。
この一節は、なんとなく自分の過去と重なる気がしました。でも私はそれなりに手の掛かるし、それなりの無邪気さも持っていた気がします。でも、「自分の居場所は子供時代ではない」「長い準備でしかなかった」というのがとてもしっくり来ます。
一番わかりやすい例で言えば恋愛です。
周りの皆は、学生時代の恋愛なんて学生時代だけのものだと割り切っていましたが、これがどうも腑に落ちませんでした。多分、小学生の頃からです。
「結婚を前提にお付き合いを」とまで堅苦しく考えていたわけではありませんが、「将来の結婚を全く想定していないお付き合いってなんだ?」と疑問に思っていました。だって、それって別れる前提でのお付き合いってことじゃないですか。お互いが気にしてないなら本人達の勝手ですが。

大学生辺りから、やっと自分に合う時代になってきたなぁと思います。でも、逆に周りは変に大人になり過ぎて、なんか変な感じでした。
今くらいの精神年齢で中年まで生きていく予感があるのですが、実際どうなるのかわかりません。ちょっと楽しみでもあります。

私は子供の頃から道の描いてある絵に惹かれた。地平線や森の中に道が消えてゆくモチーフの絵があると、時間を忘れて眺めてしまう。あの道の向こうから、何かが現れそうな気がするし、自分もその道をたどってどこかに行けそうな気がするからだ。

P270

絵画をこんな風に眺めたことはなかったけれど、なんだかいいなと思いました。
いつか、こんな風に絵画を眺める日が来るのかもしれません。

特に印象に残っていると書いた「オデュッセイア」に出てくる、「ココロコ」はなんだか不思議な感じで心に残りました。いつか、「ココロコ、懐かしいなぁ」と思っていそうな気がします。
これも何かのスピンオフになりそうな短編で、是非長編も読んでみたいなと思いました。

最後に、巻末解説で紹介されていた「バベルの図書館」というのが印象に残りました。
以前読んだ恩田陸さんの小説で、何度か「物語は既に存在している」という話がありました。多分、『三月は深き紅の淵を』の第二部辺りなどです。
その時、私は数学者が世界に既に存在している定理を発見するのに似ているなと思いました。或いは、円周率の数列の一部には全ての数列のパターンが含まれているから、どんな言葉も円周率の一部に含まれている、とも思いました。
これらの物語バージョンなわけですが、それがアルゼンチンの作家であるホルヘ・ルイス・ボルヘスによって「バベルの図書館」と定義されていることを初めて知りました。とてもしっくり来るネーミングです。
こうやって、複雑なものをスパッと一言で表せるのが言葉のすごい所です。
そんな便利な言葉だけでは表しきれないことを、言葉の組み合わせによって表現する小説。
こんな話も、きっとどこかで誰かが詳しく考えて既に書いているのでしょう。
いつか出会うであろう説を楽しみにしつつ、自分でも気ままに考えていけたらと思います。

おわりに

結構長くなってしまいましたが、色々と考えられたのでよかったなと思います。
恩田陸さんの短編集は読みかけのものがまだ二冊あるので、そちらも少しずつ読み進めたいと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,568件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?