読書感想文(270)湊かなえ『母性』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は久々に湊かなえさんの作品を読みました。
初めて『告白』を読んだ時の衝撃は未だに覚えています。
この本は映画化にあたって、映画を観る前に読もうと思って買ったのですが、結局タイミングが合わずに今まで手に取っていませんでした。

感想

とても面白かったです。
いや、面白いという表現は不適切かもしれませんが、またインパクトの強い作品でした。
そういえば、そもそも湊かなえさんの作品からしばらく離れていたのは、岡潔の著書において「最近はインパクトの強いものばかり求められて、繊細な所が蔑ろにされている」といったようなことが書かれており、図星だったためです。
しかし、今回改めて読んでみて、『告白』や『Nのために』に比べて進化していることが如実に感じられ、他の作品ももっと読みたいと思いました。
私はまだこの本を含めて3作しか読んだことがありませんが、作者の「この本を書けたら作家を辞めてもいい」という言葉にも納得できる力作だと感じました。

この本を読む前、タイトルや映画のCMから、「毒親」がテーマになっているのだと思い込んでいました。
しかし、実際に読んでみるとそんな単純な話ではなく、親の方にも相当な苦しさがあり、勿論娘にも苦しさがあり、それらが見事なほどすれ違ってしまっているので、読んでいて苦しくなりました。
読みながら何度も、「どうしたら上手くいったのだろう?」と思わず呟いてしまいました。

今回、それぞれの立場で認識が異なり、事実が明らかにされてゆく構成だと思っていたのですが、結局最後までどちらの視点の主張も信用できないのだということに、解説を読んでから気づきました。
確かにその通りでした。

少し自分の事に当てはめてこの物語を考えてみると、利他の精神とは何だろうかという疑問に行き当たりました。
母の方にとっては、「他人の為」は他人(或いは自分の母)に喜んでもらう為であり、同時に自分を好いてもらう為であるように感じました。その為、序盤はかなり自分中心で考える人物だなと思いながら読んでしまいました。しかし、後半になるにつれて、そう思うのも気の毒なほど大変な思いをしています。
娘にとっての「他人の為」も母譲りの所もありますが、何か少し違うような気がします。上手く言語化できませんが、母よりも他人に好かれるのが下手な事だけは確かなような気がします。
改めて母の方について、これは根本を辿ると「母の為」という行動原理であり、しかしその原理は他人を幸せにすることができる素晴らしい原理であるようにも思われます。にも関わらず、なぜこのような悲劇が……と思ってしまうのです。この「なぜ」を一刀両断できないのは、私も何か認識が歪んでいるのでしょうか?
そういう不安を元に自分を内省してみると、そういえば昔自分も「自分の好きな人を行動原理とする」と明言していました。それは今のところ自分を向上させる上で大いに役立ってきたと思っていますが、その点も不安になってきました。もしかすると、この物語は私にとってものすごく近い所にある物語で、もっと自分の事として捉えなければならないものなのかもしれません。
尚、最近の行動原理はまた少し違うような気がするので、この辺りは立ち止まって整理をするべきなのかもしれません。

おわりに

最後の方はかなり私的な内省になってしまいましたが、書きながら自分は改めてこの物語を読み直さなければならないと思いました。
この物語は「母の為」に必死で生きた登場人物達が出てきますが、なら自分は何の為に生きるのか。やはり多くの問題はここに行き着くのですね……。

ということで、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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