読書感想文(150)穂村弘『にょっ記』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回はまたオススメしてもらった本を読みました。正確には、オススメしてもらったのは『にょにょにょっ記』なのですが、本屋さんで横に『にょっ記』があったので、先にそちらを読んでみました。
ちなみに「もしかして『にょにょっ記』もあるのでは?」と思って調べてみると、やっぱりありました笑。これだけ本屋さんになかったので、まだ手元に有りません。

感想

不思議な作品でした。
日記のような、エッセイのような、詩のような……。どれかと言われると、うーん、日記形式の詩なのかなと思います。

印象に残った話はいくつかありますが、一番最初は彗星の名付けの話です。彗星に名前をつける時、発見者の名前をつけます。ハレー彗星のように一人でそれを独占するのもいいけれど、テンペル・タットル彗星やデニング・藤川彗星のように二人の名前がつけられるのもロマンチックでいいよね、というお話です。
しかし、ここで終わらないのが流石というか。病名が自分の名前なのはどうなのだろう?と書かれます。世界中で自分の名前が病気として扱われるのはどうなのだろう?と。さらに体液の名前に自分の名前がついているのはどうなのだろう?という話まで。これは下ネタのつもりで書いているのかもしれません。
というのも、全体的に下ネタが多かったからです。一番印象に残っているのは、「うこん」って見たら皆あれを想像するよね、という話です。一緒に「ちんすこう」って見たら皆なにかを想像するよね、という話も。あまりにも真面目に長々と書いてあるので、どうしても印象に残ります。真面目にボケるのは結構好きですけど笑。
森見登美彦と話が合うんじゃないでしょうか?『恋文の技術』では常に「おっぱい」と言っていたなぁと思います。

他に印象に残っているのは、「梅ぼ志」です。漢字と仮名が変な風に混じっている、と筆者は書いています。
しかし、これは歴史的には普通のことで、この「志」は漢字ではなく仮名(変体仮名)です。明治33年に改正された学校教育法で平仮名は現在の形に統一されましたが、それ以前は「安」も「阿」も「あ」で、「之」も「志」も「し」でした。
こういうのは京都に多いのですが、地方にも残っていたりするイメージがあります。

(↓「あなご」が「阿奈古」になっている例。今の「な」と「奈」は同じです)

でも筆者がこのことを知ったら、「変体」のところに反応しそうな気もしますね笑。

もう一つ印象に残っているのは「くわがた捕らず」の話です。
筆者は子供の頃に「くわがた捕り」をよくしていましたが、そのほとんどはくわがたを捕れなかったそうです。これじゃあ「くわがた捕らず」じゃないか、という。確かに……と納得しつつ、その辺りの言語感覚は流石詩人だなぁと思います。言われてみればその通りだけれど、なんとなく可笑しくてユーモアを感じます。こういう面白い発想ができるようになりたいです。

おわりに

穂村弘さんの作品は昔『求愛瞳孔反射』を読んだことがあります。
あまり覚えていないので、これを機に読み返してみようかなぁと思いました。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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