読書感想文(189)岡本太郎『今日の芸術;時代を創造するものは誰か』(光文社文庫新装版)

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

先日、大阪中之島美術館で開催中の岡本太郎展に行ってきました。
とにかくエネルギッシュで、かなり疲れました。何度も深呼吸しながら、見て回りました。10/2までやっているので、まだ行っていない人はぜひ行ってみてください。

今回の本はミュージアムショップで買いました。
尚、同著者の『自分の中に毒を持て』もとても良かったので、noteのリンクを貼っておきます。

感想

この本は読みやすく、そしてとにかくエネルギッシュでした。具体的な話も多かったので、美術に詳しくない私にもわかりやすかったです。

「自己疎外」という言葉をご存じでしょう。
このように社会の発達とともに、人間一人一人の働きが部品化され、目的、全体性を見失ってくる、人間の本来的な生活から、自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。それが、自己疎外です。
自分ではつかうことのない膨大な札束をかぞえている銀行員。見たこともない商品の記帳をするOL。世の中は自分と無関係なところで動いているのです。
一日のいちばん長い時間、単一な仕事に自分の本質を見失いながら生きている。

P23

これを自分に当てはめて考えてみると、今の自分の仕事はかなり自分自身でいられているなと思います。
ただ、残業と休日出勤があまりにも多いため、仕事以外の部分の自分が蔑ろにされています。
両立できるようにしたいと思い、とりあえず今年度いっぱいで退職することにしました。次の職はまだ決まっていませんが、後には引けないのでなんとかしなければなりません。
話が逸れましたが、上記のことは仕事以外の娯楽にも言えます。

身近な例で、たとえばプロ野球を見にいく。結構な楽しみです。いいチャンスに、ホームランが出る。また、すばらしいファイン・プレー。みんな大喜びです。胸がスーッとします。
だが、それがあなたの生きがいでしょうか。
あなたの本質とはまったくかかわりない。そのホームランのために自分の指一つ動かしたわけじゃないし、スタンドでの感激はあっても、やはりただ見物人であるにすぎないのです。まして、テレビでも見ている場合はなおさらでしょう。ひとがやったこと、あなたは全人間的にそれに参加してはいない。けっきょく、「自分」は不在になってしまう。空しさは、自分では気がついていなくても、カスののうにあなたの心の底にたまっていきます。
楽しむつもりでいて、楽しみながら、逆にあなたは傷つけられている。言いようのない空しさに。

P24,25

これは自身の過去に照らし合わせて首肯できます。私はスポーツ観戦がそれほど好きではありませんでした。実際観ているのは楽しいのですが、それ以上に自分でやってみたくなるからです。上手い人のプレーを見るのも楽しいけれど、下手でもいいから自分でやってみたいと思うのです。自分でやってみたからこそ、上手いプレーへの感動も、自分の中に実感されるものではないでしょうか。

なんといっても、時代のアヴァンギャルドが作り出す形式というものは、古い常識にとっては不可解なものです。そういう苦手なものが出てくると、「あれも、いずれはすたれる、たんなる流行にすぎない。だから、まじめに考える値うちがない」というような、もっともらしい言い方がしたくなるのです。
(中略)
流行というのは、文字どおり流れていく、つまり動的なものであるからこそ、それを積極的につかむことのできない者には、ひじょうに不安な感じがし、わるい意味にしか解釈できないのです。しかし、考えてごらんなさい。流行ではない何かがありますか。どんなに今日正統と考えられているものでも、ながい流行の歴史のなかの一コマにすぎないのです。流行をつねにのりこえて、もっと新しいものを作るという意味で、移りかわるというのならよいのですが、どうせ移っていくものだからとバカにして、否定的に、歴史をあとにひきもどすような、つまらぬことばかり言うのは卑劣です。

P81

これは読書界隈でもしばしば目にする主張ではないでしょうか。
現代に世に出る作品は沢山あるから、本当に値うちのあるものがわからない。だから長い年月を経て時代の壁をのりこえてきた古典的名作を読む方が良い、価値があるかどうかわからない作品を読んでいる暇などない、といったものです。
しかし、岡本太郎なら、現代の人の生活に真に迫る作品は現代にしか生まれない、というのではないかと思います。
古典的名作は確かに時代の波に晒されながら残ってきた理由があると思います。
しかしそれは必ずしも自分自身に価値があるとは限らないし、もっと言えば時代の転換点となった、文学史上の価値に過ぎないかもしれません(その延長にあるもっと優れた作品が多くある、という意味です)。
今在るものの源泉を知ることも大切だと思いますが、その上で今何があるのかということも大切です。
結局どうバランスを取れば良いのかはわかりませんが、古いものを良しとして新しいものを馬鹿にするような思考停止はしたくないなと思います。

長々書きましたがもう一つだけ。
岡本太郎の時代のことはわかりませんが、現代人からすると、世の中の流行は個人が享受できる量を超えているように思います。YouTuberだけでも沢山いますし、読書、音楽、ゲーム、社会、あらゆる分野の流行に乗るのは容易なことではありません。
逆に考えれば、ここにこそ現代ならではの哲学が生まれるのではないかと思います。それはどこかの偉い人の言葉であってはなりません。自分自身で考え抜かなければならない、と思います。口先だけの扇動を流行と勘違いし、流行となってしまうことに危機感を持ちます。
このモノや情報が溢れた世の中で自分の信じるものは何か、それをどうやって表現するか、それが大切なような気がします。

私の決意というのは、第一には、きわめて簡単なことです。今すぐに、鉛筆と紙を手にすればいいのです。なんでもいいから、まず描いてみる、これだけなのです。要するに、芸術の問題は、うまい絵をではなく、またきれいな絵をでもなく、自分の自由にたいして徹底的な自信をもつて、表現すること、せんじつめれば、ただこの"描くか・描かないか"だけです。あるいはもっと徹底した言い方をすれば、「自信を持つこと、決意すること」だけなのです。
ぜったいにうまく描けないことはわかりきっています。だが、まえにも言ったとおり、下手なほうがいいのです。きたなかったら、なお結構。くりかえして言いますが、けっしてうまく描こうと考えてはなりません。
なぜでしょう。うまいということはかならず「何かにたいして」であり、したがって、それにひっかかることです。すでにお話ししたように、芸術形式に絶対的な基準というものはありません。うまく描くということは、よく考えてみると、基準を求めていることです。かならずなんらかのまねになるのです。だからけっして、芸術の絶対条件である、のびのびとした自由感は生まれてきません。それなら描く意味はないのです。

P202,203

この部分を読んだ時、私は一度読むのをやめて、紙とペンを手にとりました。
まっさらの白紙はなかったので、裏紙です。絵の具など無いので、目の前にあったフリクションのボールペンです。

《自由への道》

これを見ても、大抵の人は何も感じないかもしれません。それは私が芸術家として未熟だからです。けれども私はこの作品を作ることで、確かに自分を表現できたと思います。また、この絵はじっくり観察すれば、それなりに多くの事を読み取れる作品になっていると思います。
この絵は、岡本太郎の言うようにデタラメで描きました。しかし描き始めてすぐ(これがどのように描かれたのかも、観察によって紐解くことができるはずです)、自分が既に型にハマっていることを自覚しました。この絵は線と角でできていますが、はじめの角を作る時、私は無意識に光の反射のように捉えて、入射角と反射角を等しく描きました。小学生の頃に習った理科の知識が、自由であるはずの絵を制限してしまっていたのです。だから、今度はそれをずらしました。そうして、思いも寄らない方向に反射させたりしました。そうなってくると、どうやって反射させようかな、と自由に選ぶワクワク感も得られるのです。少しは自由になれている実感がありました。すると今度は、線が少し曲がってしまいます。定規を使っていなかったからです。しかし、線は何故真っ直ぐでなければならないのでしょうか。私は気にせずに書き続けました。
そうして満足したところで書き終えたのが上の作品です。この作品は他人に感動を与えるものなのかどうかわかりませんが、確かに自分の精神が表れていると感じます。
このような自由な制作を続けていくと、どんな変化が表れてくるのか、気になります。
描くこと自体にはそれほど時間がかからないので、毎日一回は絵を描いてみようと思っています。

かなり長くなっていますが、最後にもう一つ、心に留めておきたいことを書いておきます。
それは芸・芸道と芸術の違いです。前者は他人の真似を極めることで、後者は誰にも無いものを創造することです。
この概念は知っておくと、上手く物事を捉えられるような気がしたので、書き残しておきます。

おわりに

最近の世の中は、自分が不幸にならないように、時代に乗り遅れないように、必死になりがちのような気がします。
そういった現代の中で、自分自身及び人間という存在を立ち止まって考えるきっかけになったように思います。
現代人に是非読んでほしい一冊です。
時間が無い人は絵を描いてみてください。上手く描いてはいけません。下手くそに、でたらめに描くのです。そうすればこの本を読む余裕も出てくるのではないかと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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