読書感想文(202)岡本太郎『自分の中に孤独を抱け』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は岡本太郎のエッセイです。
たった今読み終えたのですが、どうやらこの作品は『自分の中に毒を持て』『自分の運命に楯突け』に続く第三弾だったそうです。
『自分の中に毒を持て』は赤色、『自分の運命に楯突け』は黄色、そして『自分の中に孤独を抱け』は青色のカバーだったので、てっきり赤青黄色の順番だと思いこんでしまいました。
『自分の運命に楯突け』も近いうちに読むつもりです。

感想

やはり良かったです。
最近岡潔の『一葉舟』を読んで仏教のことを少し学びましたが、そこでいう諸法無我の考えに近いものが見られたので、より面白く感じられました。
そういえば、ジュリア・キャメロン『ずっとやりたかったことをやりなさい』も似ているように思います。

孤独とは、しょんぼりしたり、がっかりしたり、自分の身を引くことじゃない。"ぜんぶ"の上に覆いかぶさり、みんなの運命、全人類の運命を背負い込む。それがほんとうの孤独だ。
世界即己れ。そう考えて、人間全体の運命を背負い込もうと決意する。

P8,9

この宇宙のなかで、ぼくの存在は一匹の蟻に過ぎない。だがこの蟻が傷ついて胸から血がほとばしり出るのを見るとき、自分の死とともにこの大宇宙が崩れ去る――崩れさせなければならない。そう考えていた。

P14

こんなことで食っていけるとは、とうてい思えなかった。が、食えないことを決意しないで生きていたってなんの意味があるか、と自分を追いつめた。

P197

ただし、このP14の部分には、小我的な発想が見られるように思います。これは自分とは何かを問うていたからでしょうか。少し個人主義の香りがします。なぜなら、本当に「世界即己れ」ならば、己の肉体が崩れ去ることは世界が崩れ去ることは無いからです。この「己れ」は小我です。

学生時代は学校の勉強さえしていればいいっていうのが日本の精神状況だし、みんなそう考えている。人生について考えたり勉強したりすることをせずに、学校の勉強、形式的な勉強に追われてしまう。そういうことは「いずれ社会に出てから」なんて思っている。
でも、じっさいにそうなると、今度は会社の社内事情に明るくなることに一生懸命になる。前後左右、つまりは上役や同僚、そういう人間関係や会社組織の内部の関係を適切に処理することに血道をあげるわけだ。
そっちを習い覚えることに精一杯で、ついに人生の勉強はしない。仕事は忙しいし、夜帰って疲れているのに、「生きがいとはなにか」を考えるなんてバカらしく思える。それても独身のうちは自分のこれからの生活や人生について多少なりとも考えるけれど、結婚して家庭をもつようになると、型どおりの家庭生活に入ってしまう。
だいたいにおいて、その段階で自分の分際を知り、人生を諦める。なんにしても女房こどもを食わせなきゃいけないんだからってね。形而上学的な問題を考えたってそんなものは腹の足しにならないじゃないかと。
こどもができると、今度はその子に賭けようとする。もうオレはダメだ、オレの分際はこの程度だが、この息子だけら立派に育てようなんて考えて、いい学校に入れたくなる。
けっきょく自分の人生とはなにか、なぜ自分は生きているのか、を考えることがないまま、なんでも自分の代わりに「代用」で済ませてしまう。

P29-31

この部分、学生達にぜひとも伝えたいと思いました。
ただ、自分の子供に託すのはともかく、自分一人の非力を解決するために、自分の考えを多くの人に託すのは一つの手段だとは思います。

ルールは守る。だが従うわけではない。

P73

法律がある以上、それを守らなければ罰せられます。
しかし、その法律が正しいと思うかどうかは、自分自身が決めることであり、正しくないと思うのなら、それに従ってはならない。反発しなければならない。そうしなければ、何も変わらず、抑え込まれるだけです。

最後に、本題からそれる話ですが、写実性と写真についての話がありました。
それについて、岡本太郎は写実性を求めるなら写真の方がいいのに、写実的に描くことを重視し過ぎていると言います(P171)。
この部分を読んで、現代の写真は加工技術が大変発達しているので、写真の意味も変わってくるだろうなと思いました。
つまり、加工された写真は、実際に写真家が見た景色に、その景色から写真家が感じ取ったもの・心が表現されたものなのではないか、ということです。
写真家にはどのように世界が見えているのか、数年前から気になっています。

おわりに

この本の内容とは全然関係ないのですが、最近信号待ちの時間にも本を読むようになりました。
そして先日、ポケットに入れたつもりが上手く入らずに落ちました。雨上がりだったので、本が土で汚れてしまいました。
結構ショックだったのですが、これは逆に言えば信号待ちの僅かな時間にも読書をしようという自分の気持ちの表れでもある、と思いました。
これから先、この汚れた本を見るたびに、私は僅かな時間にも読書を求めた意識が自分にあったことを思い出すと思います。
そして、そのたびに、同じような気持ちになって、色々なことを頑張る自分でありたいと思いました。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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