読書感想文(389)藤田正勝『西田幾多郎『善の研究』を読む』(ちくま新書)
はじめに
こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
今回は哲学関連の本です。
以前から気になっていた西田幾多郎に関して、いきなり著書を読むのはハードルが高いかなと思い、解説本を先に読むことにしました。
この本は先月富山・石川旅行をした時に、西田幾多郎哲学記念館を訪れるにあたって読みました。なので、読み終えたのは一ヵ月以上前です。
メモを見て思いだしながら書いていこうと思います。
感想
正直、めちゃめちゃ難しくて20%くらいしか理解できませんでした。
いや、もっと理解度は低いかもしれません。
言っていることがわかるような気がしつつ、けれどなぜそれが正しいと言えるのか、またなぜそのように考える必要があるのか(或いは考えることが可能なのか)がいまいち納得ができませんでした。
例えば、西田は「純粋経験」という概念を唱え、物体現象が実在してそれを認識するのではなく、我々が認識(経験)したものから主観的な思いを取り除いて残るのが物体現象であるから、物体現象は意識現象から二次的に生じるものに過ぎない、と捉えます(P54)。
しかし、それでは他人と経験や認識を共有できることはどのように説明できるのでしょうか。西田は仏教に造詣が深いため、恐らく華厳経に見られるような一即一切、一切即全(或いは般若経の色即是空空即是色)という考えがヒントになる気がするのですが、それとこれとは別のような気がします。
なぜ西田がそう考えたのか、よくわかりませんでした。
一方、何となく理解できたのは知情意を一体として認識することや、ベルクソンの直観の考え方(物と一体になって内側から見る)です。
この辺りは岡潔のエッセイで何度も出てきたので、すんなりと入ってきました。
また、快楽主義を利己的快楽と公衆的快楽に分け、後者に関して功利主義も話が出てきました。功利主義の価値観はこれまで既に知っていてかつ自分で考えたこともありましたが、それをできるだけ客観的に把握するために数値化を試みたというのが面白そうだと思いました。
功利主義について興味が湧いたので、勉強したいなと思いました。
おわりに
かなり短い感想になってしまいました。
でもまあ無理に引き延ばしても仕方ないので、こんなところで。
西田哲学は正直全然理解できていませんが、西田幾多郎の人柄には惹かれるので、なんとか思想を理解できるようになりたいなと思っています。
気長にまったりと勉強していきたいです。
ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。
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