読書感想文(142)恩田陸『ドミノ』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今日三本目ですが、noteで感想文を書くのをサボっていただけなので、今日読み終わったのはこの一冊だけです。

今回は恩田陸さんの作品を読みました。
タイトルからして伏線が回収されそうです。
読んだきっかけは恩田陸さんの作品を読みたいな〜と思って本屋さんに行った時、なんとなくこれかなと思ったからです。

感想

面白かったです。
この作品の特徴はなんといっても登場人物の多さだと思います。
一見関係無さそうな登場人物達の偶然が重なって、ドミノのようにストーリーが進んでいきます。
正直、初めはまず登場人物を覚えられるか不安だったのですが杞憂でした。
様々な登場人物の視点で描かれますが、最初の数行で誰かわかるのです。例えば汗をかいているから「あ、営業部長かな?」みたいな。こういうのが作家のすごいところなんでしょうね〜。

構成については上手く言えませんが、とにかく緻密に設計されたものだなぁと思います。短い章を重ねるごとに、着実にドミノが並べられていく感じがしました。

酸性雨と排気ガスのせいか、すっかり暗い緑色に汚れているが、天使は地球の上に座っているし、郵便は世界を結ぶのである。それは実に素晴らしいことだ。そして、今また空は気まぐれな夏の雷に光り、彼を雨で叩こうとしている。だが、天使はそれに動じる様子もなく、ラッパを空に向けている。郵便は世界を結ぶ。だから、こうしてポストは、自分の使命を信じて、いつもじっとそこで手紙が来るのを待っているのである。

なんとも示唆的な文章ですが、まだはっきりと自分の感想を書けません。ただ、印象に残りました。
この章はとても不思議で、突然登場人物の誰の視点でもなくなり、ただこのポストの話が書かれます。
そして最後にこのポストはまた登場するので、この作品の全体像を理解するのにとても重要な気がしています。

それはまた別のドミノの話であり、これから倒されるかもしれない別の一片のピースに過ぎない。

最後の一文がこれです。
この小説のストーリーは偶然が重なったものですが、この最後の一文を読んで、もしかすると他のストーリーもあり得たのかもしれない、と思いました。なんというか、推理小説でいうミスリード的な描写が、もしかするとあったのかもしれません。
もちろん今存在している小説はこのストーリーなのですが、別のストーリーになっていた可能性を示唆する描写、回収されなかった伏線のようなものがあったら面白いなと思いました。これはまた再読の時に意識してみようと思います。

この部分でもう一つ思ったのが、現実もそのような偶然の連続であるということです。うーん、陳腐な表現。
なんていうか、この大事件が一件落着したように見えて、実はまだ後に波乱を生む可能性を含んでいるところが、こう、世界の複雑さを表現している的な?いや、なんだろう、上手く言語化できません……。
そんな大事件の話を「それはまた別のドミノの話」とあっさり片付けているところが印象に残ったのだと思います。
人生、大事件ばっかりなんですよ、多分。

登場人物のそれぞれの話で特に印象に残ったのは麻里花ちゃんの話です。
具体的にここ、と引用は難しいのですが、選ばれない子供に思いを馳せて自分を重ねるところ、自分が選ばれる側になった途端に選ばれない側の気持ちを忘れてしまうところ、玲奈ちゃんと仲良くなったところなどが印象に残りました。

俳句仲間の登場人物達は俳句が活かされている場面があまりなかった気がするのですが、どうでしょうか。個人的に文学に興味があるので、ここがもっと描かれていたら嬉しかったなぁと笑。
キャスターの宮越さんもどちらかというと脇役感があったというか、印象が正直薄いです。最後に出てきただけだった気がするけど、覚えていないだけでしょうか。あとは生命保険会社の森川くんも。
それからミステリ同好会の三人のお話も楽しかったけれど、いてもいなくてもストーリーに影響は無かったような気もします。逆に今書きながらそのことに気づいたので、全員が繋がっているように感じていたのはそれはそれですごいことですが……。或いは私が何かを忘れているだけでしょうか?笑
この辺りのことを踏まえてもう一度読み直したら面白そうだな〜と思います。

最後に少しだけ語彙について。
最初に「お?」と思ったのは「惹句」という言葉が出てきた時です。
私は最近までこれを知らなかったのですが、どこで知ったのかというと恩田陸さんの作品でした。『夜のピクニック』か『三月は深き紅の淵を』か忘れましたが、へ〜こんな言葉あるんだな〜と思ったので覚えています。
次に気になったのが「遠雷」です。これは後に直木賞と本屋大賞を受賞する『蜜蜂と遠雷』のタイトルに含まれる言葉で、これもそれほど聞き馴染みがある言葉ではないように思います。
そして「木馬」、これは聞き慣れた言葉ですが、『三月は深き紅の淵を』で「回転木馬」の話が書かれていたのを思い出しました。
このような語彙から、作者の中に何かその言葉と結びつくイメージというか、概念というか、そういうものがあるのだろうなぁと思います。
そしてその作品の読者も、少しずつその感性に近づいていくのだろうとも思います。「遠雷」や「惹句」という言葉が自然に使える人は恩田陸さんの作品を読んでいるのかもしれません笑。
あ、でももしかしたら世代の関係もあるのでしょうか。私は恩田陸さんと20歳以上年が離れているので。でも語彙のジェネレーションギャップって、やっぱり何か小説とか音楽とかに依るところも大きいのでしょうか。
こんな事を考えても仕方ないかもしれませんが、まあなにはともあれ、私はもっと語彙力をつけないといけませんね笑

おわりに

中盤からは特に夢中になって一気に読み終わりました。
恩田陸さんの本はまだまだ気になるものがたくさんあるので、読んでいきたいと思っています。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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