読書感想文(174)夏目漱石『坊っちゃん』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」という書き出しも有名な作品です。
夏目漱石の作品は高校生の頃に『こころ』を読んで以来、ずっと読んできませんでした。しかし、数学者・岡潔が夏目漱石の良さについて書いていたこと、最近知り合った人が卒業論文で『草枕』を扱ったと聞いたこと、松尾芭蕉『奥のほそ道』や島崎藤村「小諸なる古城のほとり」を読んで旅について思いを馳せたこと、などをきっかけに『草枕』を読みました。
すると、『草枕』が思っていた以上に面白く、他の作品も読みたくなりました。
読む順番は色々と考えたのですが、比較的読みやすそうな『坊っちゃん』を読むことにしました。

感想

とても面白かったです。
初めの方は主人公になかなか感情移入できなかったのですが、途中からはとても良い人物だなと思い、終盤は「いいぞ!やってやれ!」と思いながら読んでいました。主人公は単純だけれどとても真っ直ぐで、井上堅二『バカとテストと召喚獣』の主人公・吉井明久を思い出しました。正しいと思ったことは貫き通すことの尊さ、そして一方で、正しくとも権力には勝てないという悲しさも感じました。しかし、一矢報いたという点では意味のあることだと思うので、無意味だとは思いません。私達庶民は大した力はないけれど、俗悪な権力者に対しては一矢報いることができるのではないかと思います。
権力者とは、政治家や資産家のことだけを言っているのではありません。子供にとっての大人、生徒にとっての先生、社員にとっての上司なども含みます。
ただ悪い慣習に従うのではなく、内省しつつも自分が正しいと思うことを発信していくことで、少しずつ世の中も良い方向へいくのではないかと思います。

また、別の点から言うと、文章に勢いがあって良かったです。このことは巻末解説にも書かれていました。
私はこれを読みながら、坂口安吾の作品にもこういう勢いがあるものがあったなぁと思いました。
安吾は漱石を批判するような文章も書いていたと思いますが、以前『草枕』を読んだ時にも感じたことです。何か通ずることがあるのだろうと思いますが、まだ上手く表現できません。一方で、その違いも明確に言葉にできていないので、まだまだ作品を読み込めていないのだろうとも思います。

資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。

P15

人生を振り返ると、時の力を実感します。三年前の自分を振り返ると、今よりずっと未熟な自分がいます。今もまだ未熟ですが、三年前に比べると確かに成長しています。そう考えると、また三年後には格段に成長しているはずで、その積み重ねで年を経るごとにどんどんより良い自分になりたいと思います。

誰が何と解釈したって異説の出よう筈がない。こんな明白なのは即座に校長が処分してしまえばいいに。随分決断のない事だ。校長ってものが、これならば、何の事はない、煮え切らない愚図の異名だ。

P78

これまたバッサリと切り捨てるような物言いで面白いなと思いました。
「愚図の異名だ」という言い方が面白い。

妙な奴だ、ほめたと思ったら後からすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、成程そう云われてみると、これはおれが悪かった。攻撃されても仕方がない。そこでおれは又起って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同が又笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等だ。貴様等これ程自分のわるい事を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。

P87,88

悪かったことを悪かったと謝ること。これは大人になるにつれてどんどんできなくなっていく人が多いと思います。或いは私がそう思っているだけで、もしかすると昔から皆大人に謝らせられていただけなのかもしれませんが。
悪かったことは素直に悪かったと認められる人でありたい、と私は常々思います。できているかと言われるとわかりませんが、少なくともそちらの方が良いと思う心は持ち続けていたいです。

議論のいい人が善人とはきまらない。遣り込められる方が悪人とは限らない。表向は赤シャツの方が重々尤もだが、表向がいくら立派だって、腹の中まで惚れさせる訳には行かない。金や威力や理窟で人間の心が買えるものなら、高利貸しでも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌で働らくものだ。論法で働らくものじゃない。

P125

これも色々な考え方ができるところですが、最初の二文と最後の二文は特に心に留めておきたいです。最初の二文は以前マルチの勧誘を受けた時に感じたことです。悪人だとは思いませんでしたが、まさに「腹の中まで惚れさせる訳にはいかない」といった所でした。
最後の二文はリーダーシップを発揮する上で大切な考え方だと思います。

山嵐は強い事は強いが、こんな言葉になると、おれより遥かに字を知っていない。会津っぽなんてものはみんな、こんな、ものなんだろう

P129

山嵐でもおれよりは考えがあると見える。

P131

この評価の一転も面白かったです。面白かったですが、主人公の正直さ、純粋さがよく表れている部分だとも思います。
自分より優れている人を素直に尊敬できるところや、最初は本音で見下した(?)後に、本音で山嵐を褒めているところです。

この他、印象に残ったのが言葉遣いです。例えば「単簡に」という言葉は「簡単に」という意味なのですが、漱石はこのように書くことがあるそうです。一昔前の「ハワイ」を「ワイハ」などと言うのに似ていて、少し面白いと思いました。
その後「入念に」と出てきた時には、これは「念入りに」という意味かなと思いましたが、よく考えると「入念に」は普通に今でも使う言葉でした。
あとは「たまげた」が「魂消た」と書くのは初めて知りました。なかなか大袈裟な表現です。
あとはチョークを「白墨」と書いていました。これは漱石特有というわけでは無いようですが、日常生活を古語訳する時には役に立つ語彙だなぁと思いました。

おわりに

まだまだ読み込めていないと思いますが、面白かったです。
次は『吾輩は猫である』を読もうかなと思っています。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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