読書感想文(272)遠藤周作『海と毒薬』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は久々に遠藤周作の作品です。
二年前に同じく新潮文庫で『白い人・黄色い人』を読みましたが、正直難しくてあまり理解できなかった記憶があります。
今回この本を手に取ったのは、大阪の自然史博物館で開催中の「毒展」に行くにあたって本屋さんで毒の本を探していた時、偶然この本が目に入ったからです。
恐らく今読まなければ今後読む機会はそうそう無いかもしれないと思い、買ってみることにしました。

感想

思っていた以上に読みやすかったです。
主題自体はかなり難しいテーマを扱っていますが、ストーリーや文章はあまり難解ではありませんでした。宗教色がそれほど強くなかったからかもしれません。

遠藤周作の作品は先述の通り『白い人・黄色い人』しか読んだことがないのですが、それらも含めて「罪とは何か」という意識が強いように思われました。
これは戦前から戦後へと価値観が反転する時代を生きたことの影響が強いように思われます。
この点、私が特に気になったのは戸田という人物でした。

「何をしたって同じことやからなあ。みんな死んでいく時代なんや」

P80

「神というものはあるのかなあ」
「神?」
「なんや、まあヘンな話やけど、こう、人間は自分を押しながすものから――運命というんやろうが、どうしても脱れられんやろ。そういうものから自由にしてくれるものを神とよぶならばや」

P92

ぼくはあなた達にもききたい。あなたたちもやはり、ぼくと同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。多少の悪ならば社会から罰せられない以上はそれほどの後ろめたさ、恥ずかしさもなく今日まで通してきたのだろうか。そしてある日、そんな自分がふしぎだと感じたことはあるだろうか。

P144

これをやった後、俺の心の苛責に悩まされるやろか。自分の犯した殺人に震えおののくやろか。生きた人間を生きたまま殺す。こんな大それた行為を果たしたあと、俺は生涯くるしむやろか
(中略)
この人たちも結局、同じやな。やがて罰せられる日が来ても、彼等の恐怖は世間や社会の罰にたいしてだけだ。自分の良心にたいしてではないのだ

P146

いくつか引用してみました。どれも戸田のセリフや心情描写です。
ここでいう罪の意識や良心というのは、よく西洋と日本を比較して「罪の文化」「恥の文化」というのに近いかもしれません。
しかし、恥という言葉で表すにはあまりにも残酷な罪です。
一方で、自分は心の底から良心を原理として行動できているだろうか、と自問すると、自信がありません。
そして、開き直ることもできません。でも人間だから仕方ないよね〜というのは、私は甘だと思います。まずは口だけでも一丁前になるべきで、口に出しているうちに無意識も含めて少しずつ改善していくと信じるからです。
ただ、綺麗事を言うにしても、まず現在地がどこにあるのか、ということがこの小説の問うているところだと思います。
勿論、書かれた当時からかなりの時を経ていますが、現代においても尚、良心とは如何なるものを見極め、定めることは大切なことではないでしょうか。
個人的な直感ではありますが、現代の良心はどうも歪んでいるような気がしてなりません。「他の利の為の他の利」ではなく、「自の利の為の他の利」になっているような気がするのです。win-winなどという口先だけの綺麗事を述べながら、この本質は自の利に他なりません。
せめて「他の利の為の自の利の為の他の利」であれば良いのですが、こちらもやはり善人ぶることを目的とした「自の利の為の他の利の為の自の利の為の他の利」のようなものが多いように感じます。
そんなことを偉そうに言っている自分に何ができるのか。考えることから逃げていてはいけないのだろうと思います。

おわりに

タイトルに「毒」とあったものの、それほど毒に関する記述はありませんでした。主要な人物達が医者・看護師なのでちらほら麻酔等は出てきましたが、毒展にどれほど関わるかはわかりません。
ただ、「解説」によるとこのタイトルは著者が大学病院を取材した際に屋上から海を見ていて思いついたそうですが、もしかすると先日読んだ『毒と薬の世界史』で言う「薬毒同源」という考え方に近いのかもしれません。時に幸を与え、時に不幸を与える海、そして人を救う存在でありながら人を殺める医者。
海と人を比べると、海の方が大きな存在のように思われますが、それも運命の波に押し流される登場人物のことなのかもしれません。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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