読書感想文(365)『高校に古典は本当に必要なのか: 高校生が高校生のために考えたシンポジウムのまとめ』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

最近、読書も感想文もサボリ気味です。
なんだかんだで今月も5冊は読めそうなので、悪くはないのですが……。
サボっていても5冊読めるのは習慣のおかげですね。小さな積み重ねが大きな変化に繋がるのだと思います。

この本はずっと前から読もうと思っていたのですが、積ん読になっていました。
今回手に取ったのは、そろそろ読むか……と思ったからです。つまり、特に深い意味はありません。
ただ、古典教育については真剣に考えなければならないと感じています。

感想

面白かったです。
要点をまとめるにも長過ぎるので、気になった点をいくつか挙げてみます。

まず一番印象に残ったのは、古典肯定派の原文で読むことについて一番の重要な主張がリテラシーに着目している事です。正直自分のぼんやりとした考えの中ではあまり重要な位置を占めていませんでした。
しかし、必要性という視点から原文を読めるようになる意義を主張するには、この点が最も有力な意見になるかと思います。
著者の仲島先生がp224でベン図にしてまとめている「高校で古典を必修科目として残すべきと私が思う理由」がとてもわかりやすかったです。
このベン図は「リテラシー」「伝統継承」「コンテンツ」の三つの円でできています。
私はむしろ「伝統継承」「コンテンツ」の点に重きを置いています。
「コンテンツ」の点については「訳で良い」「選択で良い」に反論しづらい面は確かにありますが、前者は和歌という文化的にも重要なものを理解するのに原文の調べは必須であると思われるし、後者は古典に触れる機会を増やすという点で必修にする意義は大きいと思います(これは伝統継承にも当てはまる)。

ただ、私は古典を必修の芸術科目にするのが一番良いのではか、と考えています。即ち、テストから解放されることです。文学部等の一部学部・学科の入試では試験を課しても良いと思いますが、それ以外はテストを無くすのもありではないでしょうか。
でもそうすると結局受験勉強に絞る層が勉強をしない気もしてきます。この辺りは学校毎に様子が異なると思うので、話し合う意義がある気がします。

最近読んだ本で、古典の学び方についてのヒントを得ました。
それは「基礎→応用」ではなく「応用→基礎」で学ぶという考え方です。
今の学校の古典教育は、例えば「動詞の活用を覚える→本文を読む」という順番になっている場合が多いのではないかと思います。これを逆転させて、「本文を読む→理解できない所を理解するために文法等を学ぶ」という順序にできないでしょうか。
こうすれば、(面白い)文章を理解する為に文法を学ぶ、というモチベーションにつながるような気がします。
古典が好きな人が古典を好きな理由は様々だと思いますが、何かしらの魅力を感じているから好きなのだと思います。
なので、その魅力をより沢山知るために学んでいく、という姿勢が良いのではないでしょうか。
もっと具体的に言えば、教科書で高校生が初めの方に学ぶ「絵仏師良秀」「児の空寝」など、動詞を学ぶための教材から入るのではなく、現代の高校生が内容に魅力を感じるような作品から始める、ということです。絵仏師良秀は芥川との繋がりもあるのでどこかで学ぶのが良い気もしますが。
ただ結局こういう授業構成にしようとすると、時間が必要なんですよね。
シンポジウムで話題の一つでもあった「他教科との必要性の兼ね合い」とか政策的な面が、結局具体的な変化には重要なのだと思います。
今の自分にそこを動かすだけの力はありませんが、自分は自分なりに大事だと思うことを考えて、古典を次世代に繋げることに少しでも貢献したいです。

書きたいことは色々とあるのですが、書きながら無力感も覚えます。
こんなところで一人書いていても状況は改善されません。
その点、このシンポジウムを開催した高校生及び先生方は本当に偉いと思います。
私も行動を起こしたいと思います。
まずは古典に関心がある人が気軽に集える場所を作りたいのですが……。
とにかく行動を起こしていれば何かが起こるので、気長にやっていきたいと思います。

おわりに

学習指導要領が既に変わってしまいましたが、次の改訂ではどのように変わるでしょうか。
あまり希望を持てていませんが、古典が最重要視されることを願っています。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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