読書感想文(271)梨木香歩『西の魔女が死んだ』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回はとても有名な作品です。
この作品と初めて出会ったのは小学生の頃、塾で使っていた国語の問題集だったと思います。
なんとなく印象に残っていて、本屋で見かけるたびにいつもぼんやりと懐かしく思い出していました。
ここ最近、読書メーターのおすすめ本に何度も出てきたことがきっかけで、そのうち読むだろうなと思っていたのですが、先日湊かなえさんの『母性』を読んだ後、次は温かいお話が読みたいなと思い、ついに手に取りました。
十数年の時を経て改めて手に取るので、不思議な因縁を感じます。

感想

読後感は不思議な感じで、でも確かに温かい気持ちです。
主人公のまいとおばあちゃんの温かい生活が中心となっていますが、おばあちゃんの訃報から始まり、おばあちゃんの家に着いてからの場面と、その後のまいの生活で締め括られます。
この構成をどう読み解くかはまだわかりませんが、ただ温かい生活を読んでいるだけでなく、どこか寂しさのようなものを感じながら読み進めていました。

以下、印象に残った所を引用してみます。

「まいが棚や机の引き出しを使えるように、置いてあったものを段ボールに詰めてきたんだけど……」
「ひとつひとつ、懐かしかったのね」
「そう。最後にガムテープで止めたとき、私の人生の一部がここに封印されたような気がしたわ」

P36

これはおばあちゃんの家に引っ越した初日、元々お母さんの部屋だった所をまいが使うために、お母さんが片付けをしたことに関する会話です。
段ボールに人生一部を詰めてガムテープ封印する、という表現が印象的でした。
私は本棚に本を並べたい派の人間ですが、小学生や中学生の頃に読んだ本もあるので、いつも見る度に懐かしい気持ちになります。引っ越しの時などに段ボールに封じられた本達が、解放されているということなのかもしれません。

「そうなのかなあ。今ならテレビスターになれるのにね」
おばあちゃんは力なく笑った。
「まいはそれが幸せだと思いますか。人の注目を集めることは、その人を幸福にするでしょうか」

P57

これは現代には痛い指摘ではないでしょうか。現代の承認欲求は本当に歪んでいるというか、本質的でないように思われます。

「おばあちゃん、悪魔って本当にいるの?」
(中略)
「います」
まいは一瞬息をのんだ。
おばあちゃんはまたにやりとして、
「でも、精神さえ鍛えれば大丈夫」
「どうやって鍛えるの?」
まいは畳みかけるように熱心に訊いた。
「そうね。まず、早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活をする」

P68,69

何気ない場面ではありますが、大切なことであり、そして今の自分に必要な言葉でした。これを書いている今も、深夜です。

「おばあちゃん、わたし、夕べ、変な夢みたの」
まいは、ふと思い出して、おかゆをすすりながら言った。
「どんな夢?」
「蟹になった夢なの。蟹の赤ちゃんのころは体も柔らかくて、居心地がいいんだけれど、だんだん大きくなると、体もどんどん硬くなるの。そして体のいちばんまん中の核のところまで、硬くなりそうになって、ああ、もうだめだ、と思ったら、脱皮が始まったの。たぶん、以前、ざりがにを飼っていたときに見た、脱皮の影響だと思うんだけれど」
「それで、まいはどんな気持ちでしたか?」
おばあちゃんは興味深そうにきいた。
「久しぶりにお風呂に入ったみたいにすっきりして、それでね、ああ、死んで魂かま身体を離れるときってこんな気持ちなのかあ、と思ったの」

P123

なんだか蟹の比喩が独特で、印象的でした。これは生死の話だけではなく、普段の生活にも当てはまることかもしれないなと思いました。

「わたし、やっぱり弱かったと思う。一匹狼で突っ張る強さを養うか、群れで生きる楽さを選ぶか……」
「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中で咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」

P162

これは現代ではかなり普遍的な価値観になりつつあるような気がします。
けれども、単に「楽な方へ」というのが良いことなのではなく、今回の場合はまいにとって「楽な方へ」向かうことが良かったのだろう、という全体観を忘れずにいたいです。
岡本太郎のいう幸福反対論と矛盾するようで、本質的には両立することもできるように思います。

おばあちゃんの家に向かう途中、まいはあの二年前の日々を思い返していた。あの、あんなに好きだった「あの場所」のことを。そして、自分がこの二年間、ほとんど「あの場所」のことを思い出しさえしなかったことも。大事なものに変わりないのだ、まいにとっては神殿にも匹敵するような場所なのだ。なのに、どうして忘れてしまえていたのだろう……。まいは後ろめたかった。

P184

これは大人になってからわかったことですが、大切なことは普段忘れてしまっていても、心の中には確かにあるものです。だから普段忘れていたからといって、心の中からなくなっていたわけではありません。
それに、そういった大切なことというのは、自分が辛いときにふと思い出して、自分を助けてくれるものです。
つまり、まいは新しい生活において上手くいっているということで、これは喜ばしいことです。勿論、これからの人生で様々なことがあると思いますが、辛いことや苦しいことがあった時、きっとまた現れて力になってくれるだろうと思います。

誤解は人生を彩る。

P206

誤解というのは厄介なもので悲劇を生むこともありますが、喜劇を生むこともあります。シンプルにいいなと思いました。
誤解などのちょっとした不幸(?)って、その時はどうしようどうしようと焦ったりしますが、時を経てから振り返ると案外大したことがなかったりします。
「誤解は人生を彩る」と思っていたら、人生はより楽しくなるような気がします。

おわりに

今回は結構長くなってしまいましたが、満足です。
短くて読みやすく、温かさを感じるお話なので、またいつか読み返したいです。
そして、こういう小説を是非とも子供に読んでほしいなと、勝手ながら思いました。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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