読書感想文(351)小坂流加『余命10年』


はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は久々にミステリではない小説です。
昨年、知人にオススメしてもらって買ったものの、積ん読なっていたのを読みました。

感想

ん〜、正直に言うと、あんまり良いなとは思えませんでした。
なんとなく、ケータイ小説に近い雰囲気を感じました。
ただ、作者がこの本を書き上げてまもなく病気で亡くなったそうなので、そういう意味ではリアリティのある作品でした。
また、随所に今の自分に刺さる表現があったので、それはとても良かったです。

あと10年しか生きられないとしたら、あなたは何をしますか。
長いと思い悠然と構えられますか。短いと思い駆け出しますか。
あと10年しか生きられないと宣告されたのならば、あなたは次の瞬間、何をしますか。

P9

こう問いかけられても、健康な人間はなかなかリアルに考えることができません。
でも最近、もし10年後までに何も成し遂げられなかったら、自分は生きる屍として社会の歯車になるのだろうなと思いました。
そういう意味では、今の自分も余命10年と考えられなくもありません。
尤も、生きる屍となっても平凡な幸せは享受できる気がしているので、本当に余命宣告を受けた人とは全然異なりますが。

また、この部分を読んで、私は『山月記』を思い出しました。
我々は虎になることはないので、『山月記』を読むと「でもまだ自分は虎になっていない、だから今からやり直せる」と思います。そう思えることが『山月記』の魅力の一つだと思っているのですが、ふと、病気になったら取り返しがつかないのだな、と気づきました。
今回の作品はまさに、自分がいずれ失われることを自覚しながら生きるしかない、李徴に近いものを感じました。

「桜。見たいな」

P11

なんてことのないセリフですが、ここで思い出した和歌が一首。
「春ごとに花の盛りはありなめど
 あひみむことは命なりけり」
毎年花は咲きますが、花見をするには次の年まで生きていなければなりません。
この作品の場合、10のカウントダウンですが、作中ではそのような描かれ方はされていなかったと思います。

楽しいことはあるけれど心の充足はいつも不安定で、見ないふりをして核心から逃げてばかりいる。

P65

今の自分を言い当てられているようでドキッとしました。
楽しいことは沢山ありますが、いつまでも今のように遊んで暮らしているわけにもいきません。

「サーフィンやってスノーボードやって、たくさん友達いて、それで楽しければいいの? 夢中になれるものがないなんていつまで甘ったれてんの? もう大人なんだよ? わたしたちもう、とっくに大人なんだよ!」

P210

オーバーキルです。ここらでやめておきましょう。

今回、オタク文化が少し出てきました。
宇佐見りん『推し、燃ゆ』で描いてほしかった世界が少し見られたのが良かったです。
ただ、今回も主人公が余命宣告されているという極限の状況なので、少し位置付けが特殊だとは思います。
或いは、オタク文化は現代社会において生きづらさを抱えている人達の救済的な立ち位置というのが現実なのでしょうか。
オタクを題材にした作品は他にも色々とあると思うので、いつか探してみたいです。

おわりに

この作品は中学生辺りにオススメできるかもしれません。
昔読んでいたケータイ小説を思い出して懐かしく思いました。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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