読書感想文(116)金子みすゞ『金子みすゞ童謡全集④ 空の母さま・下』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は金子みすゞ童謡全集の第4巻です。
金子みすゞの詩は心が洗われるような素敵なものがたくさんあります。
一つ一つの作品は短いので、寝る前などに少しずつ読み進めていました。

感想

今回も素敵な詩が沢山あったので、いくつか紹介したいと思います。




花咲爺さん、灰おくれ、
ざるにのこった灰おくれ、
私はいいことするんだよ。

さくら、もくれん、梨、すもも、
そんなものへは撒きゃしない、
どうせ春には咲くんだよ。

一度もあかい花咲かぬ、
つまらなそうな、森の木に、
灰のありたけ撒くんだよ。

もしもみごとに咲いたなら、
どんなにその木はうれしかろ、
どんなに私もうれしかろ。

P24,25

この詩を読んでまず初めに感じるのは、やはりやさしさです。
他はみぃんな咲いているのに、咲いていない森の木がかわいそう、だから花を咲かせてあげよう、と考える無邪気なやさしい心です。
しかし森の木は元々花が咲かない種です。そんな木に花を咲かせてあげることは、本当に「いいこと」なのでしょうか。
このやさしさには「花が咲く方が良いに決まっているから、咲いていないのはかわいそう」という前提があります。
本当にそうなのでしょうか。
無邪気なこどもは、自分が「いいこと」だと思ったことを相手が「どんなに嬉しかろ」と思ってやります。そして自分もそれで嬉しくなります。とても素直で素敵な心だと思います。
大人になるにつれて、自分の「いいこと」が本当に良いことなのか、考えるようになります。何の為の「いいこと」なのでしょうか。
それでも、相手を喜ばせることができたらどんなに嬉しかろ、と思う純粋な心はいつまでも持っていたいものです。

椅子の上


岩の上、
まわりは海よ、
潮はみちる。

おおい、おおい、
沖の帆かげ。
呼んでも、なお、
とおく、とおく。

日は暮れる、
空はたかい、
潮はみちる……。
  (もういいよ、ごはんだよ。)
あ、かあさんだ。
椅子の岩から
いせいよく、
お部屋の海に
とびおりる。

P54

子どもらしい壮大な想像世界が素敵だなと思いました。
自分自身を振り返ってみても、子どもの頃と比べて、想像力はかなり衰えたなぁと感じます。
あの頃は布団に潜り込むだけで、自分が創り出した別世界に行くことができました。
どうしてそんな風に想像力が落ちたのか考えてみたところ、行動に意義や価値を求めてしまっているからかなと思いました。
ありもしないことを空想するよりも、役に立つ知識やスキルといったものを身につけることに時間を使う方が有意義である、と無意識に影響を受けているような気がします。
想像力というよりは創造力かもしれません。それも大事にしたいなと思います。

お嬢さん


道を教えた旅びとは、
とうにみえなくなったのに、
私はとぼんとしていたよ。

いつと私のかんがえる、
あのおはなしのお国では、
お姫さまともよばれても、
あたしは貧乏な田舎の子。

「お嬢さん、ありがとう。」
そっとあたりをみまわして、
なにかふしぎな気がするよ。

P170

これを読んでふと、以前友人と話したことを思い出しました。
その人は幼い頃に海外に住んでいたのですが、良いホテルか何かで食事をした時に、ウェイターさんが大人と同じように丁寧に接してくれて嬉しかった、と言っていました。
この詩の女の子は、おはなしのお国ではお姫さまでも、現実では貧乏な田舎の子である、という自覚があります。そして恐らく親や周りの大人からも子ども扱いされていたのでしょう。おはなしのお国でお姫さまになる、というのも、ちやほやされたい子どもらしい発想です。
しかしこの度、名前も知らない旅人さんに、現実で「お嬢さん」と呼ばれました。「お嬢さま」ではないけれど、幼い女の子には「お嬢さん」という言葉も大人っぽく聞こえたのでしょう。
空想と現実が繋がったような、現実で起こらないと思っていたことが現実で起こったかのような、そんな不思議な気分になっています。
こうした経験が、人を成長させていくのかもしれません。この詩ではまだそこまで描かれていませんが、幼い女の子が少し大人になる、そんな手前のような印象を持ちました。

おわりに

他にも素敵な詩がたくさんあったのですが、全部は紹介できないので気になる方は是非読んでみてください。
今日からはまた5巻を少しずつ読み進めていこうと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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