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「いまわのきわ」を考える。

改めて言わせて欲しい。鬼滅の刃は名作であると。

いまさらわたしが語るまでもない事は百も承知なんですが、
それでも、何度でも言いたい。

鬼滅の刃は、名作だよ。


表題の画像を再度ご覧ください。

最終巻と、1つ前の巻ですね。
その隣に並ぶ、どう見ても使用済みのティッシュの数、およそ10。

そう、この2冊を読んで号泣した結果、
私が涙と鼻水をぬぐったティッシュです。
きたねー!という声が聞こえてきます。ええ、そうでしょうとも・・・。
実際、きたねーよ。お目汚し、本当にごめんなさい。

こんな汚物をさらしてまで伝えたい事とは何か。

この2冊、読んだの4回目なんだよ。

ってことです。
初見じゃないんですよ。

4回同じものを読んでも、こんなに泣いちゃうんだよ、と。
これが言いたかったんです。

たくさん仲間が死にました。
腕をなくしても、体が半分ちぎれても。
全員が、なんとしても、体が動く最後の最後まで、
絶対に鬼のいない平和な世界を作るんだ!!という執念。気迫。
何度も訪れる絶望。

一人の強者が戦うのではなく、全員が死に物狂いで立ち向かっていく。
誰一人欠けても成し得なかった勝利。

もう涙でページが見えない・・・。助けて・・・。


作品の素晴らしさについては今日はここらへんにするとして、
読んでいて思ったことがありました。

この鬼滅の刃ではたくさん人が死ぬけれど、
「いまわのきわ」が多くある。

つまり、死ぬ直前に誰かと会話を交わすシーンがある。

わたしの大好きな『チェンソーマン』の中でもたくさんの人が死んでいくけれど、まるで刈り取られていくように、一瞬で殺される。
そこに言葉は、ない。

そして、実際に多くの場合がそうなんじゃないかと思う。


わたしの父も、ある日突然亡くなりました。
家族の誰も、父が逝く瞬間には立ち会えなかった。

明日も元気で、当たり前にいてくれると思っていた大切な人が、
突然、二度と会えなくなってしまう。

心の整理がつくまで、まるで家族全員の時間が止まってしまったように、
悲しみと後悔の日々を過ごしました。

あの時もし、臨終に立ち会う事が出来て、父の最期の言葉を聴くことができたとしたら・・・と考えたこともあります。

だけどそれも、想像するだけで苦しく、ただただ失った大切な人への思いを募らせることにしかなりませんでした。

大切な人の最期の言葉を聴ける、という事は、
とても悲しく、幸せな事なのかも知れないと感じました。


鬼滅の刃本編とは全く関係はないけど、
「いまわのきわ」について、わたしがずっと思っていたことを書き残すきっかけになりました。

だがしかし。何度でも言わせていただく。

鬼滅の刃は名作だ、と。



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