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おたくからオタク、そしてヲタクへ~偏屈サブカルバンドマンの後悔日誌⑥~

おはようございます。寝れないときは頭を空っぽにするためにスマホのクソゲーをやります。あらいです。

今日は「サブカル」って何だ?の回が好評だったので、
僕が同じくよく使う単語


「ヲタク」ってなんだ?

というお話をしようかと思います。

これがおたくの最終進化系!

僕が「ヲタク」という単語に(この表記で)はじめて触れたのは、鉄子の旅というマンガに出てくる、横見さん(実在してます)という人の台詞だったように思います。

横見さんは、JRと私鉄の駅全駅を踏破する、という頭のおかしい偉業を成し遂げた史上最強の鉄道ヲタクです。

横見さんは作中で

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といったようなニュアンスのことを言っているシーンが確かあり、
「Japanese wotaku」 としてグローバルにスタイリッシュなイメージを広めていくんだと言うような主張をしていました。

おそらく横見さんは僕が人生で初めて触れたヲタクという存在で、
小学生のアライ少年は、お金の制約がある中(どんなご当地グルメにも目もくれず、コンビニのパンと紙パックのお茶で生活する横見さんを見て)、自分の持てる限りの時間を投下して、端から見れば苦行とも言えるようなヲタ活をする横見さんに、かっこよさを感じていたのだと思います。

アライ少年「熱意がある人って、面白くて、まっすぐで、見逃せないな」(おめめキラキラ)

でも、はじめからヲタクは、そういう憧れられるようなモノではなかったということもアライ少年は後に学びます。

そこでここからは、原義としての「おたく」の出自から、オタクへと変化したこと、いま、そして未来へと羽ばたく「ヲタク」について、文献等も参考にしながらひもといて行こうかと思います。

まずは「おたく」という単語の出自

「おたく」という単語が初めて登場したとされるのは、

雑誌「漫画ブリッコ」内で1983年6月号から3号に渡って連載された中森明夫さんの「『おたく』の研究」というコラムです。

「漫画ブリッコ」ってなんやねんと調べたら、どうやら

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らしいです。

ちょっと字面のインパクトがありすぎて、こっちはこっちで気になるんですけど…

とりあえず「漫画ブリッコ」の話は置いておいて、「おたく」の話に戻りましょう。

「おたく」の語源は、その連載の中で中森さんが揶揄した、「マニア」たちが互いのことを「おたく」と呼び合っていたことに端を発しているそう。中森さんは「コミックマーケットに集まるマニアたち」を「おたく」と名付けました。

中森さんは、「新人類」と呼ばれる注目の文化人的な立ち位置の一人でした。「新人類」とは、週刊誌「朝日ジャーナル」内のインタビュー記事「新人類の旗手たち」にとりあげられている人たちを主に指す言葉です。

重要なのはどういう文脈の中でこの単語が発せられたかですが、「揶揄した」とも書いたように、かなりマイナスのイメージとして使われています。

つまり、「新人類」と「おたく」に明確な上下関係を設けることによって、自分を差別化するような内容でもあったということなんです。

「質」的に異常だった80年代のおたく


ここで一つ不思議なのは、このころ「おたく」と蔑視されてしまった人たちがやっていたことと、現在のオタクとやっていることというのは、大して変わらないということなんです。

アニメを楽しみ、アニソンを歌って、同人誌を愛しているのは現在のオタクだって同様です。なぜ文化人の踏み台にまでされなくてはならなかったのでしょうか。

それは「質」の観点からおたくの行動を分析するとわかります。


当時のアニメーション作品は、世間的に「子供向け」のコンテンツが多く、幼稚で稚拙だとする風潮が強くあったことを念頭に置くとそれは見えてきます。

「子供向け」と謳われたアニメを熱狂的に支持し、「幼稚で稚拙な」アニメソングを仲間と歌う「大人」

これは周りの人間と比較して

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がおかしいのです。

対して、現代の「オタク」は

現在ではアニメーションと言っても、子供から大人まで楽しめるものというパブリックイメージがあります。

場合によっては「大人向け」に作られたようなモノもあり、「アニメソング」、もテレビなどで大々的に特集が組まれるまで文化として認められました。

こういった状況の中で「アニメーション」や「アニメソング」を愛する「大人」がいることは何も周囲から逸脱したこととは捉えられません。
つまり現代のオタク、は「質」的に周囲から異なることはないのです。

では、人権を得てからのおたく、すなわち「オタク」たちは質ではなく何で区別されるのでしょうか?

それは

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なんです。

アニメーションはディスク化されれば全巻そろえるのが当たり前、あげくの果てには、異なるバージョンをそろえた上で「鑑賞用」「保管用」など様々な用途で購入するなど...

その異常性は愛の注ぎ方に表れる「量」にあります。

課金額、ライブツアー全通、全駅踏破、コンプリート…
すべてに共通するのは愛故の「量」の異常性です

オタクがヲタクになるには

では、横見さんのいっているようなスタイリッシュでクールなオタク、すなわち「ヲタク」になるにはどうすればいいのでしょう。

それはきっと、

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こと何じゃないかと僕は思います。

今は、オタクが職業になる時代です。

ラーメン好き、映画好き、読書好き、

好きなことを分析して向き合い続けて、愛を注いだ結果、周りとは比べものにならない「量」を越えた「質」的な独自性を手に入れ、「推しごと」で稼ぐブロガーさん、Youtuber、タレントは今や数知れず。

好きに正直に生き、好きに生かされる彼らはまさしく

「おたくの最終進化形」

と言えるのではないでしょうか。

オタクこそ、いまや真の新人類。かもしれません。ではまた。


今回は

「『おたく』の精神史 1980年代論」 大塚英志 星海社新書 2016

「腐女子の心理学2 彼女たちのジェンダー意識とフェミニズム」

山岡重行 福村出版 2019


の2冊を参考に自分の考えを踏まえて記事を書きました。どちらもかなりアカデミックにサブカルチャーがわかって面白いですので是非是非~

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