なぜ浮気は許せないのか?
恋人にされて1番嫌なことってなんだろう、とふと考えた。
ギャンブル?タバコ?お酒?暴力?
数えればキリがないし、その時々の気分や状況によっても異なるものだと思う。
が、今わたしが思う1番嫌なことは、浮気である。
浮気されたわけではないし、今までもされたことはない(と信じている)が、ネット上や周りの人達の浮気話を聞くだけで、どんよりと重い気持ちになり、もし自分の恋人の話だったらと思うと背筋が凍る。
そして、またふと考えた。
浮気はなぜ、許せないのか?
もちろん、人としての道理に反しているという前提がある。自分の愛する人が、人の道理を簡単に破ってしまうような人間だと思いたくない。
でもそれよりも大きな気持ち、浮気されることによって生じる全ての苦しみ悲しみの根源は、たったひとつ、裏切りにあると思う。
仲の良かった人、好きになった人、手を繋いだ人、キスをした人、ハグをした人、身体を交わした人、愛をくれた人、ただひとりの相手とこれほどたくさんのことをしてきた上で、それらの思い出を全て消失させてしまう程の裏切り。
一度浮気をされるとそれ以降ずっと、嘘をついた人、他の人に触った人、他の人に愛を伝えた人、自分のことを蔑ろにした人、憎むべき人、絶対に許せない人に変わっていく。
そしてその感情たちは、付き合いが長ければ長いほど、大きく膨れ上がっていくのだ。
重ねてきた思い出の分、苦しみが増えていく。
好きと言われた記憶の中に、浮気相手が侵入してくる。
繋いだ手の向こう側に、別の人が手を繋いでいる。
そんな情景が、心をどんどん蝕んでいく。
想像を絶する苦しみだろう。
こんな苦しみを与えた相手のことを、どうすれば許せるだろうか。
心が相当広くないと無理な話だ。
いや、いくら心が広くても、許す必要はない。
浮気とは、許せないのでなく、許す必要がないものなのだ。
犯罪で例えるならば、浮気した側は加害者、された側は被害者である。
史上最悪の凶悪犯罪の加害者を、被害者側が許す必要は全くない。
そしてこの説でいくと、被害者側は自分を責める必要も全くない。寧ろそんなことしてはいけない。
もし、ただ普通の幸せな日常を送る中で、突然残虐な通り魔に無残に殺されたとして、こんな殺され方をしたのはわたしにも原因があったんだ…と考える被害者がいるだろうか。
どう考えても悪いのは加害者であり、被害者側は擁護され、心を修復する作業にのみ徹するべきだ。自分でさらに痛めつけるなんて、全く意味がない。
そして、被害者ができる最も効果的で有意義な復讐とは、加害者のいないところでとにかく幸せに暮らすことだ。二度と加害者のことを思い出さないくらい、ステキな人生を送ることだ。
被害者は皆、その権利を有しているし、実現する力を持っている。
だから、これから先も相手のことは許さなくていい。許せない自分のことを、絶対に責めてはいけない。ただこの先の幸せな人生だけを考えて生きていって欲しい。
今日たまたまツイッターで浮気被害者の悲痛なつぶやきを見たので、ふと思ったことを書いてみた。今も苦しんでいるであろう彼女に、願わくば届いて欲しいと思う。
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