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難民と共に

カタカタカタカタッ!ガッシャンガッシャン!

ミシンや織り機の賑やかな音と共に、ヒジャブやアフリカ布のターバンを巻いた女性たちの笑い声を路地裏に響かせるギャラリー、その2階の小さな屋根裏部屋が僕に与えられた小さな工房だった。

ロミオのジュリエットの街ヴェローナ。

街全体が世界遺産に登録されているイタリアの小さな田舎街には、その美しい街並みを一目見ようと世界中から観光客が集まっている。

街の中心の広場には、イタリアを代表するハイブランドのブティックや小洒落たオープンレストランが並び、この街に訪れる者を楽しませていた。

華やかな中心地から迷路のような路地裏を15分。

観光客はまばらで、地元民が穏やかに散歩するような静かな地区にそのギャラリーはある。

“Laboratorio”(実験室)と呼ばれるそのギャラリーは、アフリカや中東からイタリアに逃れてきた難民女性たちを支援するNPO団体が運営していた。

Laboratorio代表のマリアから連絡を受けたのは、トリノ郊外の農場で働きながら寝泊まりしていたときだった。

増え続けるアフリカや中東からの難民支援に取り組んでいること、リサイクル素材からアクセサリーや小物を作り、その売り上げで作り手である女性たちの暮らしを支えていること、新たな加工品の開発に取り組んでいることなどが綴られており、最近牛革のハギレを手に入れが、使い道に困っており、もしヴェローナの近くに訪れることがあればギャラリーに滞在して、レザークラフトを教えて欲しいということだった。

滞在場所はアパートのキッチンのソファだが、滞在中の食べ物は提供してもらえるらしい。

レザークラフトは高校生の頃から趣味で続けていた。

願ったり叶ったりの好条件に、何一つ予定のない放浪者は、二つ返事で返答し、ヴェローナに到着したのはそれから2、3週間後のことだった。

駅に到着し、17kgのバックパックを抱えた僕は中心地を横切りギャラリーに向かった。

玄関を覗くと色鮮やかなバッグやポーチ、アクセサリーが並んでいて、女性たちはその奥でせっせとバッグや小物を作っている。

代表のマリアが迎えてくれ、2Fの工房に案内してくれた。

無数のミシンの糸が壁一面に並び、窓からはいかにもイタリアらしい路地裏の風景が広がっていた。

「私はソマリアから逃れてきたの。内戦が始まって。」

「私はリベリアから」

作り手である女性たちと軽い挨拶を交わし、夕方に滞在先へ戻った。

寝床は予定通りキッチンのカウチ(ソファー)。

イタリアに来てからとうもの、カウチからカウチを渡り歩く文字通りのカウチサーフィンが続いていた。

キッチンで寝る、つまりその住民がキッチンを使い終わるまで横になれないということになるのだが、そんな生活にもすでに馴染んでいた。

翌朝からキッチンから工房に通う日々が始まった。

窓の見える工房で、ハギレとなった革を使って、いつでも作り手たちが模倣できるように型紙とモデルを作り続けた。

様々なバックグラウンドを持つ女性たちの共通言語は、アラビア語でも、スワヒリ語でも、フランス語でもなく、覚えたてのイタリア語だった。

内戦、DV、災害、、、様々な理由で祖国を逃れ、イタリアという異国での暮らしを始めた女性たち。

代表のマリアは、大学院に通いながら、NGOを立ち上げ、逃れてきた女性たちと暮らしを共にしながら暮らしを支えていた。

「女性たちのバックグラウンドは皆それぞれ。専業主婦だった人もいれば、農家や食堂で働いていた人、病院で働いていた人だっているの。でも今のイタリアでは、彼らは“難民”という一言でまとめらてしまっている。言葉も文化も全く異なる場所に溶け込むことは難しい。でも、彼らをもし彼らをただの“難民”としてではなく、立派な一人の人間として、働き手として、子供たちを育てる母親として、この社会で受け入れられたら、それはお互いにとっていろんな可能性を秘めていると思うの」

「リサイクル素材は、人から譲り受けたり、廃棄場から集めてきたりしているの。一度ごみとして捨てられたものが、作り手のアイディアと技術によって、可愛くて美しく、機能的なものに生まれ変わる。

その過程で、一度祖国からある意味で見捨てられた彼らが、自分たちの可能性にもう一度気が付けるような、そして社会の人々がそんな彼らの可能性に気が付けるような、そんな気がしてるの」

イタリアの路地裏とアパートのキッチンを往復し、ひたすら革で小物を作り続けた。自分が作った小物と型紙が、いつか、いずれかのかたちで、難民としてイタリアで暮らす女性たちの自立に役立つきっかけになればと思いながら。

そしていつかまた彼らが自らの意思で、祖国で家族と共に穏やかに暮らせる日々が戻ってくることを信じて。

しばらくしてイタリアで久しぶりに電車に乗った。

大都市へ向かう電車はどれも観光客でごった返している。

南から北へ向かう電車には、首にパスポートを引っさげ、国連から受け取ったのだろう水色のズタ袋一つで北上すアフリカからの難民でごった返していた。

観光地にバケーションへ向かう観光客と、より良い待遇を求めて北上を続ける難民のコントラスト。悠々自適に旅を続ける自分の事を考えると、僕も完全なる観光客の一人だということはまぎれもない事実だった。

ぎゅうぎゅう詰めの電車が止まる駅は、どこも難民で溢れかえっており、その数に目眩がする。

肩を寄せ合って座る彼らはただひたすら窓から遠くを見つめていた。皆ひとことも発しなかった。

マリアの活動が、難民となった女性たちが、そしてその子供たちが、報われることがあるのだろうか。

空がオレンジに染まる頃、僕は一人電車を降りた。

名前の知らない街だったが、駅前の雰囲気が気に入った。

駅の周辺には大量の難民たちが次の電車を待ちながらたむろしていたが、不思議と危険には感じなかった。

もし自分が旅人ではなく、アフリカからの難民だったなら、言葉もわからず、お金もなかったら、一人の知り合いもいないとしたら、僕には何ができるのだろうか。

夜中そんなことを考えながら、線路の茂みで寝袋に包まれながら眠りについた。


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