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【豊島区】池袋サンシャインシティとパノプティコン

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サンシャインシティの水族館に行ってきました。

最後に行ったのは僕が子供の頃、そのころ水族館はアマゾン熱帯推しで、巨大魚ピラルクが目玉だったと思います。

ピラルクのうろこのキーホルダーを買った記憶があります。電気ウナギもいたような。

子供の頃の気持ちを思い出して、ワクワクしながら行ったところ、ピラルクはいませんでした。案内のお姉さんに聞くと

「さぁ・・わかりません」とのこと。

あとあとネットで調べると2016年に栃木の那珂川水遊園に移送したとのこと。5年前の話だと若い人はわからないですよね。

ピラルクに会えなくてちょっと残念でしたが、展示は記憶のサンシャイン水族館を大幅に上回る大迫力ですごく良かったです。

屋上ではペンギンが空飛んでるように見える展示。これはすごいですよ。

コロナ禍の中、予約制でゆとりをもって観覧できました。素晴らしい施設です。

そしてアシカショーを見ながら、「東京時層地図」をぽちり。

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僕が知っているころのサンシャインは南に造幣局があったのですが、それが無くなって「イケ・サンパーク」という公園になっていました。

明治初期(明治9-19年 1876-1886年)

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畑ですね。池袋の駅前から護国寺につながる道あたりは田んぼで、他は畑です。

明治後期(明治39ー42年 1906-09年) 巣鴨監獄の登場です。

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世の名に広まってる名前でいうと巣鴨プリズン。

戦後に戦犯とされた人達が収容、処刑された場所として有名です。

イメージとして、サンシャイン60が巣鴨プリズン跡というイメージを持っていましたが、現在の東池袋3丁目の交差点から、イケ・サンパークまでの土地が刑務所内ということになります。

大正時代です。(大正5-10年 1916-21年)

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建物の形に注目すると重要文化財の網走刑務所と同じ形をしています。

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博物館 網走刑務所 より写真引用

「五翼放射状平屋舎房」という名称

この形は

「最大多数の最大幸福」

「個人の幸福は社会の幸福につながる、だから社会の幸福を追求すべき」

功利主義の創始者、イギリスのジェレミー・ベンサム(1748ー1832年)が考案した「パノプティコン」という刑務所の設計を参考にしているそうです。

少ない人数で多くの囚人を監督することが想定されていて、フランスの監獄建築として主流であり、当時政府はフランスを参考にしていたことからこの形になったのでしょう。

そういえば明治期の地図もフランス式です。

日本人のフランス好きも明治期の模倣から始っているのかもしれませんね。

戦前の地図(昭和3-11年 1928-36年) 五翼放射状ではなくなりましたね。

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この時代にいわゆる春日通りは出来上がっていたんですね。

高度成長期前夜(昭和30ー35年 1955-60年)

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この後1971年に東京拘置所への移転とともに解体、サンシャインシティとして再開発となりました。

なるほど、昭和戦前の町名が日出町だからちょっともじってサンシャインというわけなんですね。

この再開発を引っ張ったのはセゾングループを作った堤清二氏で、巣鴨プリズンで処刑された戦犯60人の人たち、そして跡に建てられたサンシャイン60。

明治後期の巣鴨監獄に始まり、戦中戦後の闇から日の出る町サンシャインへ。さらには平和の象徴ともいえる都民の集いの場である公園へ。

明治初期はなんでもない畑だったのに100年余りですごい変遷です。

バブル期(昭和59年ー平成2年 1984-90年)

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今から25年以上前のGW、地図でみるところの文化会館と造幣局前の道路に行って、ガラガラの道路の写真を撮ったということを覚えています。

上京後3年くらいで、ゴールデンウィークには都内から人が居なくなるということもわからない時でした。

なんだか異様な空気感で印象的でしたね。気のせいなんですけど。


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