【中央区、文京区、豊島区】徳川幕府最後の大老、酒井雅楽頭(うたのかみ)
酒井雅楽頭 さかいうたのかみ サカイウタノカミが私をとらえて離さない。
先日、文京区白山で明治時代の酒井雅楽頭邸を発見。
なぜ酒井雅楽頭に引っ掛かっているのか。
それは「ウタノカミ」という語呂の気持ちよさと大手町の将門塚に行った際に、将門塚は酒井雅楽頭邸にあって代々祀られていたということが分かったので、興味が湧いたという次第です。
江戸時代地図アプリ、大江戸今昔巡りによると、江戸時代末期の1850
年代後半にここに居を構えていたのは
酒井雅楽頭忠顕(さかいうたのかみただてる)
子供は酒井忠績(さかいただしげ 1827〜1895)で徳川幕府最後の大老になった人物。
そしてそのお姿がこちら
なんたる眼光。無茶苦茶気合い入ってる・・・っていうか怖い。
大学の講義で歴史の先生が開口一番
「武士はヤ◯ザッ!!殺し合いばかりしているッッツ!」
と言い放ったのを覚えていますが
生存者がほとんどいなくなっちゃう鎌倉殿の世界でも、武将同士が戦う戦国の世でなく、太平の時代が250年続いた江戸時代、前の大老の井伊直弼暗殺時は
犯行人はおろか警備担当者の彦根藩士も生き残った人は主君を守りきれなかったという事で全員処刑の苛烈な武家社会。
さらに心に残ることになったのは
徳川幕府最後の大老だった歴史的人物であるにも関わらず、墓所が縁者なしで墓所代を納めていないから近々撤去される予定だということ。
いやーそんなことありえるんだなとうっすら覚えていた所、
先日の明治時代後期に現れた白山の酒井邸、江戸時代の地図を見ても酒井雅楽頭邸、そして酒井忠績の墓所は巣鴨の染井霊園ということが判明し、
大手町の将門塚→江戸時代の酒井雅楽頭邸
白山の一角→明治時代の酒井雅楽頭邸
巣鴨の染井霊園→酒井雅楽頭のお墓
ここに都営三田線一本で繋がる徳川幕府最後の大老をめぐるツアーがここに完成したのでありますっっ!
では、早速いってまいりましょう。
最初に大手町の将門塚
前回に訪問した時には改装前でしたが、新しくなりました。
聖域たる雰囲気が漂っています。
酒井雅楽頭邸は将門塚を祀っており、後ろの灯篭は常夜燈だったと100年前の本に書かれていました。
酒井邸の蓮池には水位によっては見える井戸があり、それが将門の首洗いの井戸と呼ばれていたそうです。
地図を見ると思ったより大きな池があることが確認できます。
さらには酒井雅楽頭忠顕の文字。最後の大老の父の名前。
私が追い求める酒井忠績公もここで幼少期を過ごしたに違いない!!!
とウキウキしながら思っていたところ、
忠顕が25歳で亡くなり、忠績が養子になり家督を継いだのは1860年。
あれ、忠績ってそんな若くなかったよなと年齢を数えてみると33歳で家督相続。
父(忠顕)より養子(忠績)の方が8歳も年上!!!!という衝撃事実。
父の年齢を超える子は存在した!
いやーテンション上がる。
明治維新後に大蔵省の建物が建ち、大正時代の関東大震災を機に井戸のあった蓮池は埋め立てられます。
その後、大蔵省内に落雷や怪我人などの災いが頻発し、当時の大蔵大臣 河田烈(かわだいさお)が平将門没後1000年を記念して弔いをします。
これが1940年、昭和15年くらい。
その時の石碑がこちら。
こちらが現在の地図。
酒井家の将門首洗いの井戸があった池というのは現在でいうと三井系の大手町ワンというビルの中ですね。
実際に見たことはないですが、周辺の三井系のオフィスは将門塚に全て机を並べてあるという都市伝説的な話も聞いたことがあります。
ビルの中は地下鉄乗り継ぎ口直結となっているために広い空間となっています。
一番下にはクリスマスツリーが飾られていました。
そのまま三田線に乗り、千石駅で下車し南下します。
白山通りの取り立てて何にもない場所です。
ふらふら歩いていると隣が京華女子校なので、変なおじさんとしてみられてしまうことになるでしょう。正直言って長居は無用。
酒井忠績は明治維新後、爵位をもらって屋敷のあるこの原町へ引越し。
明治28年まで生き、子供の忠弘が跡を次ぎ、大正9年に忠弘は爵位を失爵。
酒井邸があり、池があり。
今立っている場所はまさに大名庭園の池だったことがわかります。
で、この場所、今はどうなっているかというと
日本土地建物株式会社の持ち物だったみたいですが、平成20年にみずほ銀行に譲渡されているようです。原町という地名は残していますね。
日本土地建物は第一勧銀系の不動産会社ということなので・・・結局は同じグループ会社内で回しているということになります。
原町ビルの周辺をぐるりと歩き、邸宅があったあたりの近くで写真を撮ってみました。
江戸幕府最後の大老、酒井忠績邸跡を遠方から撮影。
近くだと敷地建物が大きすぎてよくわからなかったですが、確かに晩年を過ごした白山の酒井邸を訪ねました。
次はいよいよ、巣鴨の染井霊園へ。
ここまで来たら電車を乗るもの面倒なので、歩いて行っちゃいます。
染井霊園は昔からある墓地と思いきや、
明治に入ってからの都立霊園で、青山霊園と同じような感じです。
各界の有名人のお墓があり、案内図も配られていますが、最後の大老の名前はありません。
そのほかの有名人も時代の流れと共に縁者が絶えてしまい、お金を納められなくなり撤去予定なのだとか。
生者必衰
諸行無常
栄枯盛衰
をダイレクトに感じられる場所でもあります。
そしてネット情報を辿ること数分。
ありました!!確かに立て札が立ってる!!
意外にも綺麗に整備されており、お花も添えられていました。気持ちも高揚しています。今日は大手町からやってまいりました。
改めてネットをみると、そもそも酒井雅楽頭家は現在も存続しており、一民草である私の心配するような事ではなかったようです。でも立て札立っているし…どうにかなりませんかね。文化遺産ですよ。
最後の大老。
本日は大手町の住居から白山の住居をお墓までを辿らせていただきました。
ありがとうございました。また来ます。