【台東区】西の比叡に東の東叡(上野国立科学博物館)
コロナ前、上野の国立科学博物館にあるコンパスに行ってきました。(現在はコロナで閉館中)
40分ほど本物のはく製がある楽しい室内を自由に遊べるという
本当に素晴らしい施設です。また開館したらぜひ行きたいとおもいます。
滑り台などのアスレチックがあるなかで、本物のはく製がゴロゴロしている図は
ある意味シュールなのですが、大人になってからその凄さがわかるというか・・・
「君はスルーしているけど、それゴリラのはく製だから・・・」
「これは虎の剥製だよ。なぜか僕が子供の頃は小学校にありがちだった虎の剥製」
「こっちは恐竜の化石にこっちはキリンの剥製だぁ」
等々。
コンパスがある科学博物館内には数百ものはく製が展示されており、これが700円で見られるのですから、さすがです。
さてこの博物館は以前はなにがあったのか??
いままでの古地図学習で上野は
徳川家の菩提寺として寛永寺の敷地が広大にありました。
西の比叡山に対して東の東叡とよばれ、江戸時代の地図をみるとすべて寛永寺の敷地だったことがうかがえます。
(大江戸今昔マップより引用)
色々と説はありますが、個人的には江戸城への東海道からの防衛ラインは芝の増上寺、そして日光街道からの防衛ラインは上野の寛永寺だったのではないかと思っています。
そして
明治維新で徳川家衰退とともに大きくひっくり返りました。
維新の立役者である西郷隆盛像が立ち、国の体制的は天皇を頂点とした神道で国民をまとめていこうという明治政府の考えのもと、廃仏毀釈の流れで寛永寺は北の端を残すのみとなりました。
国立美術館や芸大は寺跡です。明治新政府の意向は今もなお続いているといっても過言ではないです。
個人的にはあと何百年か経った後世の人から見れば、江戸~明治・大正・昭和・平成・令和と続くのではないく江戸時代の次は東京時代と表記されるのではないかと思っています。
個人的な妄想はともかく、
そしてこの科学博物館近辺はというと
凌雲院という寛永寺の子院が戦後まであったようです。
地図でみると西洋美術館あたりは完全にお墓になっています。
乃木坂にある新国立美術館もそうですが、ある程度大きな土地がとれるところは
もともとあまり人が住んでいないところが大半ですね。
文明開化時 1876-84(明治9〜17年)
明治末期 1906-09(明治39〜42年)
関東大震災前 1917-28(大正6〜昭和3年)
昭和戦前期 1928-1936(昭和3〜11年)
高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)
バブル期 1984-1990(昭和59年〜平成2年)
現代の地図
飛行機型の日本館でパチリ。昭和6年から現役で活躍しています。
身勝手な考え方ですけれど、やっぱり古いものは残したいですね。
上野って比叡山と拮抗するようなお寺があったというイメージがないのですが、西日本は廃仏毀釈の流れの影響をもろに受けなくて済んだとも言えるのかもとぼんやり考えています。
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