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【新宿区】戸山公園、箱根山を辿る

新宿区に箱根山があると聞いたので行ってみました。戸山公園って明治通りを挟んであるんですね。

箱根山は小高い山になっています。桜と吹き付ける春風が印象的でした。

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明治初期から牛込区戸山学校と表記がありました。

文明開化時 1876-84(明治9〜17年)

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戸山学校近辺の練兵場は17万平方メートルあまりで、射撃場以外は一般に開放されていたので自然園の趣を呈していたそうです。

詩人の若山牧水は明治43年に

「かの星に人の棲むとはまことにや 晴れたる空の寂し暮れゆく」

前田夕暮が大正5年に

「春あさし射撃場の土手のたんぽぽの 色のうすらに咲きいでにけり」

と歌を作っています。

また吉江狐雁は明治40年に渡り鳥を見て季節を感じたということを記しています。

戸川秋骨は明治43年に機関紙でこの戸山のことを自然の一大公園、もっとも健全なる遊園地と絶賛すると同時に、騎馬の兵士が隊をなして馳せまわるのは癪だけれどこの自然を保存してくれているのは軍なので一利一害だといっています。

もっとも今は昔の人が絶賛する自然を感じるものはなかなかないですね。

明治末期 1906-09(明治39〜42年)

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改めて箱根山です。

この山は戸山園時代の玉円峰の名残で明治天皇が戸山学校にご臨幸の時は必ずこのお山にお登りになってあたりを眺められたようです。

明治になってからこの庭園は陸軍用地となり、陸軍戸山学校、陸軍幼年学校が設けられ、軍人拠点でした。

地図からその様子が見てとれますね。

関東大震災前 1917-28(大正6〜昭和3年)

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昭和戦前期 1928-1936(昭和3〜11年)

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高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)

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太平洋戦争後、ここを自然動物園の計画を立てて米軍許可を願い出たけれど、都民の住宅不足が先だということで許可されなかったようです。

昭和24年1924年3月、日本最初の水洗便所付き集合住宅一千戸が完成したので、戦後の団地の走りというものだったと。

住宅がスゴイ数。

バブル期 1984-1990(昭和59年〜平成2年)

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ちょっと移動して団地あたりにきました。

徳川家跡の申し訳程度の表記がありました。

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このあたり尾張徳川家屋敷とあります。

アプリの大江戸今昔巡りをみても広大な土地ですね。

この下屋敷の特徴は庭園にあり、水戸の偕楽園と1,2をあらそうほどの立派なものだったようです。

自然より都民の住宅を優先した結果ですが、もし残っていたら都内有数の良い場所だったんだろうなと思います。

やっぱり徳川家が持っているのと皇室が持っているのでは、その後の扱いが違ってくるんですよね。

例だと新宿御苑ですね。明治期に皇室のものになってその後国民公園となった場所で、本当に素晴らしい場所です。都内随一の公園だとおもいます。

緊急事態宣言の今、解放を待ち構えています。

戸山近辺の顛末も、これも歴史の一面というか、もし皇室関係の土地になっていれば、都内随一の庭園だったろうという、一つの歴史を想像せずにいられません。

参考文献 新宿区史跡散歩 新宿区の歴史

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