【港区】高輪大木戸跡と高輪築堤跡。
銀杏の季節、高輪大木戸跡に行ってきました。
国道15号線沿いにこんもりとした石垣がありそれが高輪大木戸跡です。
東海道から江戸への玄関口として存在。石垣を築いて門を作り夜は閉めて人が出入りしないようにしていたんですね。
昭和7年東京市の説明書き。
旅人はここで旅の服装を改めて、旅人を送る人はここでお別れとなるのが決まりだったようです。伊能忠敬が全国測量の際に此処を起点としたということも書かれています。
さて、明治後期の東京時層地図(1908~9年)をみてみましょう。青い〇が現在地。なんと東側はこの時期海ですね。バブル期の地図とくらべてもその違いが判ります。
この写真の奥は全部海なんですね。
東京開化三十六景 明治18年
この絵も明治期の地図と照らしあわせるとすごくわかりやすいです。
海の上を汽車が走っています。
この土台の石垣ですがつい先日発見されました。この大発見に港区区長も「現地保存計画、国民の宝、将来への継承、国際交流拠点」
「世界史上も極めて重要な近代化遺産」
としていますので今後も一般公開等期待できますね。訪れたい場所の一つになりました。
東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖 大正11-12
大正時代となると東海道本線の路線も増え、埋め立てが進み、明治期のように海が見えるということは無くなりました。写真からは確認できません。
石垣の感じは今と同じなのでテンション上がります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?