『金持ち父さん 貧乏父さん』

改訂版で読みました。初版が出たころはまだあまりお金というか、著書にあるように銭儲けは悪みたいな感覚だったので、かなりブームだったのは知っていましたがスルーしていた本です。もしかしたらまだ学生だったかもしれません。それか社会人になりたてで、目の前の事以外考えてなかったかもしれません。

低所得代表格だったアパレル時代にこのままじゃいかんと思っていた時期があり、前職につながる転職活動をしていた時期なのですが、時を同じくして一社目の年金が確定拠出年金に変わって、「運用」について考えてもいたころです。結局証券口座を開いたどまりで二社目に突入しそのままになってしまいました。運用的には不毛な数年間です。

お金のために働くのではなく、お金に働いてもらう。

シンプルすぎる感じですが、確かにけっこうブレイクスルーな気がします。

いわゆる「資産」に該当するものを手に入れたとしても、それが収益を生まないのであれば「負債」でしかない。言われるまで気づかなかったけど、資産という字を見てみれば字の如くで。なるほど確かに。

結局持ち家は財産、資産かもしれないけど、特に収益が上がるわけではないから負債。ローンで買った車も特に車が利益を生んでくれるわけではないから資産ではなく負債。ほるほど。

収益を上げてくれる資産に費用を投下する。そう書いて投資。資本を投ずる。循環論法ぽいけど、資本を投下するのであれば、投下先が収益を上げてくれない限り投資ではない。利益を求めない投資もあるかもしれないけどそれはさておき。

結局株式だって発行した企業が頑張った結果、株価が上がるわけで、投資信託にしたってチャートとにらめっこしてるファンドマネジャーがあれこれ資産を組み替えたりして評価額を上げているわけで。これもある意味自分の代わりに他人に頑張ってもらっている。ただ株にしろファンドにしろ、売買以外がコントロール下にないのがリスクなわけで。リスクが取れるなら何したっていいと思う。リスクが取れる人は大きく打って出れるし、取れない人はひたすら普通預金口座に貯めるしかない。

自分とスキルと切り離したって成立する話なような気がした。労働力として自分が提供できるスキルが1でその対価も1だったとして、そこに市民権を得ている資格を持ってたりすると、同じスキルでも対価が1ではなく2になったり3になったりする。そこは資格が持ってる「市場価値」に左右されたりする。資格に頑張ってもらうというと名義貸し的ななんか変な感じがするけど、自分の市場を価値を上げて、自分に対する評価を上げて、報酬を上げる。なんか投資と同じだなと思った。

なんというかたぶん取れるリスクもないころに読んでもあんまり意味はなかったかなと思う本ではあったけど、新卒で働いてそこそこ経ち、転職も何度かして、市場価値というものを肌で感じた今、読んでよかったのかなと思う。結局自分が提供できる労働力が価値として通じる世界は限られていて、貨幣が通用する世界は広く、信用も高い。流動性も互換性も高い。変換基準(≒為替相場)の認知度も高い。

なんかいろいろ確かにと思った。


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