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#20 自己紹介

いつもありがとうございます。まただいぶ感覚が空いての更新となりました。今日更新しようと思ったのは、Twitterの朝活報告でnote更新を宣言したから。人に言うとスイッチ入る、あると思います。

過去の記事を読み返すと借金やら収支報告はしてるけど、実際アンタ誰よ?とツッコミたくなったので、私の遍歴をつらつら書きたいと思います。お付き合いくださいませ。

2021年2月12日現在のぼく

・33歳独身、彼女と同棲中
・借金総額639万円
・サラリーマン9年目
・生命保険&損害保険を主としたFP業務
・現在の手取り収入平均:36万円/月

【好きなこと】
・新日本プロレス観戦(SHO選手がんばれ!)
・お酒(ビール・ウイスキー・芋焼酎)
・読書(2021年100冊読破が最低目標)
・サウナ(サウナの為に生きてる)
・えんとつ町のプペル(映画館で3回観た)

【胸を張って言える過去の経歴】
・小学6年時、水泳(25m背泳ぎ)で市3位
・半年で9キロのダイエット(71キロ→62キロ)
・29歳で課長職を経験
・2019年1月フルマラソン完走(勝田全国マラソン)
・2020年4月営業成績全国2位

幼少期

生まれは茨城県つくば市。会社員・専業主婦の一人息子として、大切に育ててもらった。幼少期は身体が丈夫ではなく、小児ぜんそく持ち。

幼稚園の年長さんで水泳を始めてさせてくれた。習字やる?水泳やる?の二択だったらしい。未だに水泳を選択した自分ナイス!と思っている。身体強くなった、泳げる。プラスしかない。

小さいころの記憶は、よく病院に連れて行ってもらった事、浜松の従兄弟(父親の実家)の家に毎年夏休みに遊びに行っていたこと。

その中でも強烈に残っている記憶。それは日曜日恒例のデパートへの買い物→ファミレスご飯の移動の車の中。

いつものようにウルトラマンの人形で1人ウルトラマンごっこをしていた。その時、前に座っていた親が不意にこちらを見て笑ったこと。瞬間的にあっ、バカにされてる。と幼心に思いものすごく恥ずかしくなった記憶がある。これが原体験となって、人目を気にしやすい・人見知りな性格が確立された。(と思っている。)

小学生時代

小学校では、背の順でいつも1番前、だいたい3番目以内。両親とも170センチ以下、遺伝子をしっかり受け継いだ格好。今の身長はちょうど170センチ。公文式で鍛えてもらい、小学2年以降、勉強はクラストップの成績。理科だけはどうしても苦手なのはこの頃から。公文式と水泳以外はひたすらゲーム三昧。スーファミ→64→プレステの全盛期。小学4年からメガネ生活のスタート。

仲の良かった友だちが皆やっていたから、という理由で小学5年からサッカーを始めた。身長低く脚も早くない、スキルも浅い。だけどサッカーは好きだったから楽しかった。毎年クラスの女の子に恋をする移り気な男の子。小学6年のとき好きだった子が公立校ではなく私立の中学に進学。卒業式のときは、さびしくて自分1人だけ泣いてしまっていた。あの子は元気にしてるかな。

中学生時代

中学生になったらメインはサッカーと塾。胃腸が弱かったからか、塾でウンコ漏らしたことが2回ある。絶対臭かった、脂汗ヤバかった。ヤンキーの友達たちの影響で先生に反抗すること多々あり。勉強は良くできた方、学年10番台をキープ。初めて買ってもらった携帯、iモードで着メロダウンロードしまくって料金とんでもなく怒られた。

サッカーは主要な大会前に怪我で離脱する事が多かった。とてもヘタクソ。今振り返れば、身体の動かし方とか考え方とか、工夫しようという意識はなく練習もせず。それじゃあうまくならないよなと。この頃から周りの目が気になる厨二病が発動。イタくないように、バカにされないように、そんな意識ばかり。サッカー・塾の繰り返し。中学3年で初めて彼女出来た。バラ色の日々よ。

高校生時代

高校は県内有数の進学校へ。自宅~高校の道のり・通学がけっこうハード。自転車で片道10キロちょっとを毎日。雨の日は親に甘えて車で通学。今思うとありがたすぎる。朝6時過ぎに起きて7時前に出発。毎日つく頃には汗だく。2時間目の後に購買でチョコパンを買って、自販機でナタデココドリンクを飲んで。書きながら懐かしくなってきた。

朝早く寝不足&疲れでの影響か、授業はほぼ寝てしまっていた記憶。そのせいで成績はガタ落ち。周りのレベルが高かったこともあり、入学当初320人中150番台だった成績が、1年終わりの成績が300番台まで落ち込む。周りの振るわない友人たちと笑いながら自虐しながらも、内心マジヤバイと思っていた。小さいけど大きな挫折の一つ目、勉強面。

大きな挫折の二つ目はサッカー。いよいよもってまったく太刀打ちできないな、体力的にもきつい、ムリだ。と後ろ向きモードが続いてしまい、高校1年後半に部活をやめる決断を。周りにバカにされてるな、と感じた事もありフェードアウト。

そこからは気楽に仲良しメンバーのフットサルに参加。ちょこちょこ大会にも参加。部活やっていないくても、うまい人たくさんいるなーと実感する。その時のメンバーが、バンドをやるといったので空きポジションだったドラムを始めた。授業中ひたすらエアドラムと、叩いた瞬間のリバウンドを拾う練習(どう表現したら良いのか分からない)してた事を思い出す。初めて出たコピーバンドの大会で賞をもらったのが印象的だ。ドラム始めて人生豊かになったのは間違いない。

高校生のときは特に人目を気にしながらの生活。女の子に好かれたい、そして周りにマウントとりたい・よく思われたいと思って毎日生活していた。気に入らないこと・人の行動があれば大声で騒いだり指摘したり。今思うとこんなやつ好かれないな、って思うことをたくさんやっていたな。

バンド・フットサルのほかに、高校近くの河川調査で月1回、川の調査をやっていた!これは意外と記憶に残っている。釣りする人が着るような防水のつなぎを着て、川の小魚をすくって大きさやら腫瘍の有無を調査していた。そのときの先生は20年近くこの活動を行っていて、5年くらい前に本を出版していた。継続ってすばらしい。恋に恋焦がれた高校生時代。勉強も遊びも恋愛もめいっぱい楽しんで、大学進学。行きたかった県外の国立大学へ。

大学生時代

大学時代は遊び・お酒・たばこ・バンド、遊び尽くしたといって過言ではない。1年生前期はしっかり授業に出ていたが、後期からはサークル活動にドはまり、お酒と麻雀とゲームで時間をバンバン浪費していた。バンドサークルに所属。音楽とお酒漬けの日々。部室と養老の滝、笑笑に入り浸ってた。

サークルでは2年生から代表として全体の仕切りを行う。もともと人見知りで悪口もバンバン言ってしまう人間性の低さが露呈して、周りの人間にほぼ丸投げで過ごしてどうにかしてもらっていた。感謝しかない。年上の先輩たちにかわいがってもらえて、本当に楽しい時間を過ごしていた。振り返ると感謝ばかり。

2年生終わりにゼミに入る事になるのだが、単位足りず全く勉強してこなかったため、入りたかったゼミの選考に落ちる。途方に暮れていたら、友人から誘われて新任の先生のゼミに拾ってもらえることに。ここが人生のターニングポイント。

勉強したのは、ゼミが始まった大学3年生から。大学生活が半分終わった時点で卒業に必要な単位が半分も取れていない状態。ここから授業をフルで出席して単位を必死に取りに行く生活。ゼミでは統計学を専攻、数学も難しいし英語文献を読みまくる必要あり。いきなり難易度が上がって必死だった記憶。

サークルの1つ先輩の女性とお付き合いすることになりウハウハな時期。彼女・バンド・バイト・麻雀・ゼミで充実した大学生生活。

彼女は関西で就職、関東の大学に通っていたため、物理的な距離が離れて結構大変な思いをした記憶。周りが就職活動をしていく中、自分は単位が不足しているくせに大学院進学を決意。モラトリアム期間を延ばそうというかなりネガティブな意向から。

彼女を追いかけるように大阪の大学院に進学確定。残りの大学生活を満喫。単位ギリギリで卒業。未だに単位が足りなくて卒業出来ない夢を見る。どうにか出来た事は、振り返ってみると自分の財産になっているな。

大学院生時代

大学院生活は人生の大きな転機。彼女とは大学院進学が決まった後に別れるという展開。進学後、自分のモチベーションの低さ、周りのレベルの高さのギャップが凄まじく、ついていく事が出来ない。誰も頼ることの出来る人がいない環境が続く。体調悪いだなんだかんだ、あれやこれや言い訳つけて、逃げて逃げての繰り返し。

逃げ続けた結果行き着いたのは、暗い自分の部屋。1ヶ月半くらい大学行かず、昼間は一歩も家から出ない昼夜逆転の生活を続けた。いわゆるひきこもり状態。怖くて学校には行けず。休学という選択をして自分と向き合う自問自答の日々。

行き着いた塾講師としてのアルバイト生活。しょーもない自分でも、人の役に立てるんだと充実感やらやりがいを感じられた。この時出会った大学8年生がヤバい奴で最高だった。今は音信不通、はっぱに興味があると言っていた、どこかで元気にやってるといいが。

就職せねば!一端の人生を歩むんだ!とダラダラ生活に区切りをつけて実家に頭下げて戻って就活。公務員試験に落ちてどん底、そこから踏ん張り今の会社に拾ってもらえた。

社会人生活

大学でかなり怠惰な生活を送った影響で20代前半はボロボロな状況。一念発起して今の会社に入ったのが25歳。人の役に立つんだ!人生の節目節目でサポートできる保険って素晴らしい!って思い中途採用で入社。人見知り・コミュ障が災いして、入社当初は営業職に就くことができず、裏方の仕事。週5日12時間以上働き、深夜3時過ぎまで飲み歩き。かなり鍛えてもらった。お金の管理はずるずる、少しずつ赤字が膨れ上がっていったと思う。全国を飛び回る仕事で飽きなかった、各地を飲み歩きそれも楽しい日々だった。

それでもふと頭に浮かぶのは、【この先も同じような働き方でいいのか?】という事。何かを変えたくて、たまたま目についたセミナーに参加。そこで頭の中にある、自分を制限してたものが取っ払われた感覚に。

せっかくだからやりたい事をやろう!

と思い立ち、社内配置転換を申し入れ。紆余曲折経て現職となり早3年目となりました。


ざっとこんな感じの経歴です。思いつくままに書き殴りました。なんか違うと思ったらリライトします。

最後まで読んでいただいた方がもしいたら、本当に本当にありがとうございます。いつか自己紹介文章作らないと、と思ってたのでスッキリした!明日も更新するぞ、と決意表明して終えます。

今日も良い一日になりました!

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