【太夫、傾国の娼妓(やり手爺)ときて今世悪妃とは、これ如何に?】第3話

「毎朝しっかり飲んでくれるなんて、うちのディーは偉いわ」

 無精髭の脅威が遠のいた今、やっと安心して朝食をいただけます。無精髭の主は、どこぞで身支度でもしているのでしょう。

 数時間毎に同じ飲み物を口にし続けて、我ながらよく飽きませんね。でも飽きると死活問題。本能に感謝です。

 母親も起き抜けは胸が張って痛むようです。お乳が詰まらぬよう、しっかり飲まねばなりません。

 痛みに加えて腫れてしまうと、詰まりを取る按摩あんまも激痛を伴うようです。下手をすると発熱も起こります。

 お互いの為にも、しっかり飲む事にして……ふわぁ。

「あらあら、おねむちゃんかしら? でももう少し飲んで、ディー。ほらほら」
「んぶぼっ」

 は、母よ……つっこみ過ぎです! 胸肉に鼻がめりこみましたよ! 今世の母は、なかなか雑、んんっ。豪胆な性格でございますね!

「んぶぁっ……んくっ、んくっ」
「あら、飲み始めてくれたのね、えらいわ」

 何とか空気を確保して、再開します。色々な意味で死活問題。しかし乳の出が良いのもあって、どうしてもウトウトと……。

 すると今世の前、二代にわたる人生が走馬灯のように流れます。

 まずは初代。初代の私は、こことは違う世界。大和やまとと呼ばれた国の、そこそこ裕福な武家に生まれました。

 物心つく頃には、両親が相次いでぽっくりと。両親は私を随分可愛がってくれ、様々な遊びを根気強く教えて下さった、薄ぼんやりした記憶がございます。

 とは言っても、こちらの世界より文明が些か遅れ、魔法もない世界。娯楽など、しれております。和歌や連歌のような教養めいたものに始まり、囲碁や双六、貝覆い。

 おわかりになられる? 時代が古すぎると指摘されそうで、気後れしてしまいますね。

 ですが今思えば、私にとってこれらがその後のいしずえとなったのです。

 両親がぽっくり逝かれた後。私は幼子の、それも女子おなごとして産まれた身の上です。進む道など限られておりました。

 私は遊女と呼ばれる者達が住まうくるわに、禿かむろとして引き取られたのです。

 そこでは琴、琵琶、少し変わり種として細い笛を束にしたような、雅な楽器のしょうたしなみます。

 楽器を扱うのは存外楽しく、いつの頃からか名手と呼ばれる程の腕前に。他に書道、茶道、香道、華道も嗜みとして学んでおりましたが。

 やれば出来る子だったようで、良き腕前と面倒を見て下さった姐さん達に褒められたのが懐かしく感じますね。

 芸は身を助けるとはよく言ったもの。その後、新造を経て一人立ちし、芸事を極めた事でのし上がりました。

 終いには遊女の頂点、太夫たゆうへと上り詰めたのです。贔屓のお客様すらも選べましたよ、私。

 時折、花魁おいらんと混同なさる方がいらっしゃいますが、太夫です。

 花魁は大和から遠く、異国の地ならばパトロンのいる上級娼婦全般。吉原ならパトロンご贔屓さんがついて、禿や新造と呼ばれる小間使いや次代の遊女候補を養うあね。稼げる遊女がそう呼ばれます。

 対して太夫は芸事や教養に秀で、最上格と認められた、主に芸を売る遊女です。異国語ではナンバーワンというのです。

 少なくとも初代だった私が没するまでは、そのような違いがございました。

 もちろん初代の私は運が良かったのでしょう。禿の時にどのような姐さんにつき、後に新造となってどのような教養を授けていただけるかで、大方の道が変わりますから。

 そうして太夫に登りつめた私は、豪商の殿方に身請けされます。それも、とある身分の高い御方と身請け争いをされた末に。

 うふふ、なかなかのモテ具合でしたでしょう?

 もちろん元は遊女。夫共々、彼の生家からは勘当されてみたり、病を患ったり。残りの半生は些か波乱万丈でしたが。

 それでも夫とは最期まで、仲睦まじく暮らせました。幸せな一生に感謝しております。

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