「木綿のハンカチーフ」 …1970年代の"東"は旧“東“側陣営にも聞こえる…
1975年の「木綿のハンカチーフ」太田裕美 作詞:松本隆 作曲:筒美京平
2020年〈令和2年〉10月7日、筒美京平 死去
合唱して合掌
恋人よ…僕は旅立つ東へ向かう列車で…染まらないで帰って…
“東”…都会の絵の具に染まらないで…共産主義の赤い絵の具か。
“東”は東京だが、東西冷戦時代の1970年代、東=共産圏をイメージしてしまう。“恋人”は西のヒト…西側から東側に亡命するヒト…日本赤軍か。
1945年以降、世界で二千回位の核実験が行われ、東・西圏でそれぞれほぼ半分。米国圏での核実験は計千回以上、最も核実験が行われたのは1970年代かも。核実験数は米・ソ連より少ないが、生活圏(ウィグル民族系の居住圏等)を最も放射能汚染させたのは中国だろう。
1980年代、日本は”シルクロード”ムードで中国の核実験を完全に誤魔化して、この核実験周辺地域に20万人以上の日本人観光客(”東”へ送ったヒト)を送って人身御供…また多くの被爆者を出した可能性…東西冷戦を中和させるための現代的な神風特攻隊か…観光客らの被爆検査を全くしていないので…詳細不明。
椎名林檎カバーの「木綿のハンカチーフ」。
昨今、“木綿”のイメージが…変容中。
日本等のアパレル業界は安い木綿を使って安い服を作って売っている。さて、はて、誰が安い木綿を生産しているのか?
”木綿”に隷属的な、奴隷的な人々を自然にイメージする。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/11/post-13477.php
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