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アランジアロンゾ30年間のヒストリー

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ネットもスマホもスタートアップもなんだそれ?な頃、「ゆるキャラ」なんて言葉がまだなくてキャラクターといえば、サンリオかディズニーだった頃、雑貨といえばおフランス、ナチュラルカント…
運営しているクリエイター

#会社

1993年 カッパが人気 同じイラスト使いまわしていろいろ作りました

アイテムいろいろ増えました でもよく見ると全部同じイラスト 同じ絵をいろいろなアイテムに使い回しています。色もブルーとえんじ、後は素材の色のみです。手抜きみたいですが、このスタイルが気に入っていました。 この時期、カッパが一番人気がありました。同じ物でもカッパの絵がついてるとよく売れました。全く同じ物なのに表面にくっついているイラストによって全然売れかたが違うものなんだ、というキャラクター界のあたりまえに愕然。同じ原価なのに。稼ぎのわるいペンギンはそのうちレギュラーからは

1993年 しゃかりきに働いていたら突然の電話

父の事この年の1月に父が他界しました。 会社の事を書く本なのに、あまり私的な事を書くのはどうかと思うのですが、この時は社員が2人だけで、2人は姉妹だったので、やはり、会社としてもとても大きな出来事だったのです。 しょうもなくも、えげつない姉妹喧嘩が少し減りました。そして何かがここで確実に変わった気がします。それに父は、私達が会社を立ち上げたことをおもしろがっていたので、この後も、あの世から、いろいろ根回しして助けてくれているみたいです。 あの頃はたいへんじゃったこうい

1992年 ちゃんとした商品をちゃんと売りたい でも「ちゃんと」ってなんだ?

ほんまは手作りなんだけど工場に発注して作らせたようなふりをした初期バッグ達 合皮のカバンシリーズ。ミシンの縫えないよむらが、ひたすら生地をカット、ミシンの速いさいとうが、ひたすら縫う。狭い仕事場で2人流れ作業です。 でも、ハンドメイド、手作りでーす、というのを前面に出したくなかったので、まるで工場でつくらせたようなふりをして、涼しい顔をして納品していました。 このかばんの注文が入ると、他の仕事が何も出来なくなるので、それでは困るので、しばらくして作るのをやめました。くた

1992年 商品も増えてきたよ 東京へ行商だ

ケーキが好きだ このころ、駅前にケーキ屋さんがあったので、よく寄り道をしていました。私達はケーキが大好きでした。 「今日はこのパンプキンケーキにしようかな」「わたしはこのチーズケーキとショートケーキ……を重点的に見よう」「見た?」「見た」。ケーキを見るのは楽しいです。食べるともっと楽しいのはわかっているのですが、毎回食べられる程、お金はありません。見ているうち食べたい気持ちが抑えられなくなった時だけ食べる事にしていました。 商品をつくるのにはお金が必要です。でも商品が売れ

1991年 ブルーとえんじ色とややこしい会社名からのスタート

社名とロゴマーク 会社名、しゃれた名前なんてパッと浮かびません。こうなったら意味のない言葉のほうがいいや。で、アランジ アロンゾ。フニクリフニクラ、オブラディオブラダ、マハリクマハリタの仲間みたいで楽しいかも、と思ったのでした。  なぜ、水色なのか? というと、なんとなく。空の色、海の色、人工的な感じもする色、などなど。ほんとは直感。 えんじは名刺をつくる時、追加料金なしで使えるインクの中から、水色の紙に一番合うなーと思った色がこんなえんじだったため、そのまま採用。

1991年 軽々しくふたりで有限会社をつくってみた

有限会社のつくりかたどうしてそう思ったかはおいといて、まず、会社をつくろうかな、と思いました。 本屋さんに行くと、ちょうどいい具合に『有限会社のつくりかた』という本を売っていたので買ってみました。 友達に「会社をつくろう」ともちかけてみました。「つくろう! つくろう!」と盛り上がりました。が、「一緒に会社をつくろうね」といってた友達の「会社をつくろう」の気持ちと自分の「会社をつくろう」の気持ちは、なんだか違っていたみたいで、どうも話が前へ進みませんでした。他も2、3あた