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1991年 ブルーとえんじ色とややこしい会社名からのスタート

社名とロゴマーク

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会社名、しゃれた名前なんてパッと浮かびません。こうなったら意味のない言葉のほうがいいや。で、アランジ アロンゾ。フニクリフニクラ、オブラディオブラダ、マハリクマハリタの仲間みたいで楽しいかも、と思ったのでした。 

なぜ、水色なのか? というと、なんとなく。空の色、海の色、人工的な感じもする色、などなど。ほんとは直感。

えんじは名刺をつくる時、追加料金なしで使えるインクの中から、水色の紙に一番合うなーと思った色がこんなえんじだったため、そのまま採用。

ロゴは、マジックで紙に百回以上描いていい感じのを選抜、それを何度かコピーしてちょっとつぶしてから、製図用ペンと筆でトレースしたのを、紙焼きして完成。ロゴ使うときは紙焼きをはさみでちょきちょき切って貼り付けて使います。いいかげんなわりにけっこう手がかかっていました。

MAC導入後はそれをスキャナでとりこんで、アウトラインパスに変換後微調整。あとはコピペでOK。ずいぶん楽になりました。


最初につくった商品 ポストカード

ウオポストカード

最初ポストカード

当時お店で売っているイラストのポストカードは、すごく有名なイラストレーターさん以外のものは珍しかったです。

ポストカード売り場では、印象派の絵画も、現代アートも、スターの写真も、可愛い子犬の写真も、誰も聞いた事ないアランジ アロンゾのイラストも、同じ大きさ、同じ150円で、ずらっと並んで、いろんな人に見てもらえるし、買ってくれた人が好きな人に送れるし、部屋に飾れるし、なんだかすごく楽しいメディアだなぁと思っていたのでした。

記念すべき最初のポストカードは「品番11001 フラワーフィッシュ」です。品番はこれからどんどんいろんなカテゴリーの商品を出していく気まんまんで、いきなり壮大な桁数になっています。

「フラワーフィッシュ」は後に、発注書に記入するのにあまりに長たらしいので、ロフトの文具担当者さんから「ウオ」に縮められて、そのまま「ウオ」くんで定着しました。


最初につくった商品 アクセサリー

アクセジャネック

アクセタイル

なんのかんのいって、これらのアクセサリーはけっこういっぱい売れました。いきなりヒット商品だったのです。大阪の街を歩いてると時々、お花のヘアピンをしてくれてる人を見かけたりもしました。目が釘付けです。

アランジの商品を使ってくれてる人を見ると、そっと心の中で「あんたええ人や! あんたええ人や!」とつぶやくくせは、この頃からです。

ちゃんと売れてるかどうか、どんな人が買っていくのか、ひまがあると雑貨やさんにのぞきにいってました。本当に柱の陰からじーっとのぞいて。多分あやしい人だったと思うけど、そんな時商品を手にとってレジに持っていってくれる人がいたりすると、やっぱり「あんたええ人や!」を心の中でくり返していました。


軽トラ アランジ号

アランジ号

少ない資本金の中からいきなり購入。軽トラ、アランジ号。

これに商品を積んで人のいっぱいいるところに乗り付けて、売りまくる。という構想もあったけど、実現されず。水色ボディのかわいい奴。



作文 なぜわたしは、会社をつくろうと思ったのか、どんな会社をつくりたいと思ったのか

それぞれ、どう思っていたのか10周年のときに作文を書いてみました。


さいとうの作文

親も親の親もなんらかの商売をしていた。

だから自分もそのうちなにか商売をするんだ、と学生の頃からなんとなく漠然と思っていた。

でもまずわたしの選んだ仕事は看護婦だった。看護婦は嫌いな仕事じゃなかった。生きていくのに大切なことをたくさん教えてもらった。でもいい人じゃないのに、いい看護婦さんになりたくて自分を抑えて少し無理をした。誰にも迷惑かけないところで自己表現したいなと思うようになり、夜間の服飾の専門学校に通い始めた。自分で考えてデザイン画を描くのもパターンをひくのも縫って形にするのも楽しかった。1年生の終り頃にちょっとしたファッションコンテストに3つ入賞した。

それまでまったく自信がなかった。いつもびくびく作っていたのでその時「間違ったものを作っている訳ではないよ」と言ってもらえたようで安心した。単純で極端だから安心したらすぐいい気になってこれで商売をしよう、と思った。

学校の友達に「一緒にやろう」ともちかけた。でもどうも話がすすまずかみあわない。これはだめだ、と思っていたところによむらから「会社一緒につくれへん?」と言われた。

姉妹でやるのは子供の頃からのあそびの延長みたいだな、と思った。わたしたち姉妹は突飛な楽しいごっこあそびを考えて真剣に取り組むのが好きだった。

「会社ごっこ」それも楽しそうだと思ったのでよむらと一緒に会社をつくることにした。

その時どんな会社をつくりたいと思ってたのか、わたしはあまり覚えていない。ほとんど具体的には考えてなかったんだと思う。ただ会社をとにかくつくって、会社ができたら自分達の好きなやり方で、好きなことができて、好きなものを誰にも文句言われずにつくることができる、すばらしい、そしてなんとかなる、と思ってたのは覚えている。


よむらの作文

1年間ファンシー文具メーカーに勤めていた。

そこではあまり役に立ってなかった。役に立とうとがんばったけどだめだった。なんでかな。「よむらさんの絵は一般受けしないよ」「なんででしょう?」「よむらさんの描く絵、目がこわいよ」こわいのか。気が付くと、会社の上の人が気に入ってくれそうだと思う絵を描いていた。売れそうな一般受けしそうな。愕然とした。こんなのかわいくない。しかも会社に気に入ってさえも、もらえなかったし一般受けもしなかった。下手だったのだ。

「つくりたいものを、好きなようにつくりたい」

それなら、そんな環境を自分でつくったほうが手っ取り早い。失敗しても自分が損するだけだ。気が楽だ。仕事をもらうんじゃなくて、仕事を作っていこう。

1人でフリーというかたちをとらずに会社をつくろうと思ったのは、1人だと心細いし、自分には欠陥がありすぎて、ちゃんとやっていけないと思ったからだ。それに1人だと「やりたいな」で終ってしまう事も、2人いると「やりたいな」「そんじゃ、やろか」「やろ、やろ」と話が進んでいく。ずっといいような気がした。

じゃあ、どんな会社をつくろうかな。紙に向かって落書きをするのが好き。それを何かかたちにして、誰かをびっくりさせたり、喜んでもらえたりするのが好き。そのやりかたを考えるのも好き。好きな事をしようと思った。

と、同時に「大儲けしてやる」とも思った。別に大儲けじゃなくてもよかったのだけれど、「大儲けしてやる」というひびきが、かっこよくて楽しそうだったからだ。自分のやりたい事を、自分が良いと思うやり方でやって、地道に、でも大儲けする。

そんなことできるのかな。できるかできないかは問題しゃなかった。どんな会社になるのか想像もつかないのが楽しかった。どんな会社にしてもいいのが嬉しかった。



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