『ヒノ影アランはゲイである。』
以上である。
タイトルで、ほとんど今回書くべきことが終わってしまった。
僕はゲイ、いわゆる同性愛者である。男ながらにして男を愛す人間である。それ以上でもそれ以下でもない。
北海道出身の東京在住、23歳のデブでゲイ。
とまあ、書いちゃえばたった一行にまとまってしまう。それだけのことだ。
僕は今、母親の作る夕飯を途中まで手伝い、それができるのを待ちながらこれを書いている。つかりすぎたぬか漬けがすっぱかったので味の素をふってごまかしたり、ペットボトルの収集が今日までであることに気づいてまとめる算段をしたりだとか。
そんな日常の隣に、ただぽつんとゲイであるということが置かれている。
ただそれだけのことだ。
別段、困ったことなどはない。
友達も増えたし、恋愛やチョメチョメもそれ相応に経験してきた。
まあま、落ち着いて。その話については、また後日させてもらうことにしよう。(誰も求めてない)
これはなにも、声明文ではないのである。
なにか権利が欲しいであるとか、レインボーなプライドを掲げたいとか、そういうものではない。
なんて書いてるMacBookの横でiPhoneが女王蜂の「売春」を流しはじめたので”おやこいつ空気を読むな”と思った。(ちなみにコレめちゃくちゃ良い曲なので是非聞いてみて)
閑話休題。
ではなぜ、こんなものを書く気になったのか。
単純に言えば、バカバカしくなったからだ。
なんというのだろうか。
こう表明することで僕はいわゆるLGBT当事者、とくくられることになるのだろうが。
それ自体に今、とても飽き飽きしている。
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時代はどうやら、ボーダレスを求めているらしい。
ファッションは白黒が増え、色モノもパステルだとかミックスカラーが流行っている。
男か女か分からない顔の俳優さんたちが増えた。彼ら彼女らが女装/男装を公の場で見せることも、それを見ることにも、抵抗がなくなってきている。
おっさんずラブを「キモい」の一言で唾棄する方が異端となってきた。
僕は薄くなった街を見て、ふと疑問に思う。
はたしてそれでいいのだろうか?
何が、と問われると自分でも釈然としない。
LGBT問題とジェンダーレス化はよく同じような問題として取り扱われる。
「男が男を好きになって何が悪いの?」
「男が可愛いものを好きで何が悪いの?」
この二つの違いが、皆様にはわかるだろうか?
並べてみると似たような問題に思えてきませんか。
でも実際は、前者はLGBTの問題であり、後者はジェンダーステレオタイプの問題。
まったく畑が違うのだ。
さてゲイの世界にいると、よくタイプの人を聞かれるのだけど、僕は必ずこう答えることにしている。
『少年っぽいヒト』
『男らしいヒトが好き』
と。
んま、ゲイなんだから当然でしょって言われればそうなんだけど。
よくよく考えてみてほしい。
これってとってもジェンダー的だ。
つまりなよなよした女っぽいのは無理って宣言しているようなものなのだ。
だって、男らしさに興奮しちゃう生き物なんだもん。仕方なくね?
で、である。
ジェンダーの問題を先述した通りに混同されると、今度は非常に困るのである。
自分がゲイであること以上に。
「それはジェンダー的に問題があるからやめた方がいい」と言われたって、無理な話だ。髭とか短髪とか、精悍な顔つきが好きであるということに、何の罪があるだろう。男が男を好きで、何が悪いの? とそっくりそのままお返しする。
というよりも、たぶん、皆様が思っている以上にゲイの世界は性的な差別がひどい。
レインボーも真っ青なほど、ブルーな男性性に侵されている。
容姿で友達選ぶのは当たり前、筋肉やガタイのよさでヒエラルキーが決まる。
どれくらい貢がれたのか、告白されたか、誕生日を祝ってもらえたか。それとなくマウントを取り合う。
就いている仕事の年収やレベルも、するどく嗅覚で判断する。
口に出さずとも、空気でわかるヒト同士のあいだの階段。
…経験ありません? ノンケな紳士淑女の諸君。
正味、僕はボーダレスに全く興味がない。
むしろ色濃い川岸の向こうの、おいおいと茂った男性性の森へさまよいこみたいくらいなのだ。
男はもれなく短髪であってほしい。
法被とかふんどしとか、ボクサーパンツとか、正直好きすぎる。
サングラスとかごついネックレスとか、濃いめの体毛だとか、エロいと思う。
だけれど、時代は中性を求める。
しかもLGBTの人々がそれを願ったかのように。
僕は少々参っている。麻痺もしているし、言い過ぎな部分だってたくさんあるだろう。
だけど実感を言わせて欲しい。
「それ、本当に、そんなに求められてますか?」
って。
「違う問題、ごっちゃにしてません?」
って。
まあね、得てしてポリコレみたいなのって、そうなるんすよ。
具体がすりつぶされてどんどん泥だんごみたいに主張が淘汰されていく。
そういうもんなんです。
だから僕は、そんな世界に対して、LGBT側の人間として新たに問いたいのだ。
男と女、みんなそんなに嫌いですか?
違うからこそ、楽しくないですか?
って。
変に女だけに良い顔なんかしませんよ。
だってよくわかるんです。
男性性も女性性もごっちゃな世界で生きてきましたから。
男のちっちゃな沽券のくだらなさも、女の選ばれる側に甘んじる汚さも。
それは男も女も、同じでしょう?
同族嫌悪が心の傷にしみる夜、ありますでしょ。
あぁっ、ツイフェミさん殴らないでっ。そんなでかい棍棒で殴られたら死んじゃうっ。…んま、そこらへんは長くなるんで、また後日書きましょうね。(だから求められてないってば)
とにかく。
なぜこんなことを書き出したかと言えば。
ヒノ影アランはゲイである、前にヒトである。
と、宣言したかったのだ。
性的指向と他の問題をひとくくりにして勝手にこっちによこしてくんなくそったれ。
ジェンダーだなんだ興味ねーんだよこちとら。
今日からいろんな不満、ぜんぶぶちまけてやっからなぁ!?
覚悟しろよコラァ!
と、最近女子プロ世志琥のお菓子動画にまんまとハマってるのがバレる口調で書いちゃいました。てへ。
ってことで、
『ヒノ影アランはゲイである。』
ちょくちょくnoteにて更新していこうと思います。
まあせっかくカミングアウトもしたんで、Twitterでも躊躇なくそこらへんのこと書いていくよ!
赤裸々な23歳男性ゲイの、ささやかな日常をお楽しみください。
楽しく毎日過ごそうね。
今後は作品でもタブーなく書いていきます。
芸術と性的なあれこれは切り離して作ってたんですが、いよいよ難しくなってまいりました。
僕がみたままの世界を、お伝えできればと思います。
最後に。
休養中、メッセージをくださった方々。ヤマアラシの面々、その他お世話になっている方々。
大変ご心配おかけしましたこと、御謝り申し上げます。
順調に心も体も回復しており元気りんりんです。そして、この二ヶ月を経て最強になりました。
自分を包み隠さずにいることが最大の輝きだ、と気づくことができたのですから。
筋肉もついてすこしモテはじめたのは、ココだけの秘密だゾ。
(ノリが昭和って言われるんですが、どのあたりがなんですかね…? 教えて欲しいものです。)
今日からより、また精進してまいりますので、何卒よろしくお願いいたします。
とりあえずコロナに負けねえ。
いつ上演できるかわからないけれど、新作の戯曲も書いています。
笑顔で会える日を心待ちにして。
(ちなみにこれは、入っているゲイバーで激写された僕の姿である。お客さんからのシュークリームを爆食いしているところをパシャりと。ドブスである。)
バーのこととか、鬼ほど書きたい話あるんで、たくさん書きますね。
ではまた、次の回でお会いしましょう。Bye-bye。
ポチッとしていただけたら泣いて喜びます。ヤッターッ!