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何度だって運命に出会いたい

洋服選びがたいへんで楽しい、という話をする。


手持ちの洋服ぜんぶ一軍にしたい

お気に入りの服を身に纏うと、その日一日、がんばってやろうじゃない、と気合いが入る。こんなに素敵な格好をしているならなんだってできる、と自信も湧いてくる。だから手持ちのすべてを一軍にすることを目下の目標としていて、着々とその道を進んでいる。

しかしふと気がつくと、これは少し違うな、今日の気分じゃないや、といつも選択肢から外れるものが生まれてくる。好み自体がちょっとずつ変わってきているのだ。おやおや、一度完璧にクローゼットを埋めたらOKってわけでもないのね、とひとりごちて、そうしてまた、とびきりときめく出会いを求めて旅に出る


思い出を乗り越えられる衝動を求めて

買っては捨て、着ては売って、といった回転をしているわけではなく、わりと一枚一枚にちゃんと思い出がある。だから「最近着てないな」とわかってからも、ワードローブの中に住まわせたままにしてしまう。


3年近く被り倒したグレーのパーカーを、外着として選ぶことがめっきり減った。御徒町の高架下の商業施設の一角で、一目惚れして買ったものだ。デニム専門店なのにデニム要素がない服を買ったのが、今思うとおもしろい。でも気に入ったのならそれが正解だもんな。

しかしそうやって恋に落ちて手に入れたにも関わらず、最近ではフードを出すためにスウェットの下にひそませてばかりいて、かわいそうに思えてきた。この子を、もっと愛してくれる人のもとに届けたい。もうじゅうぶん、私と一緒に過ごしてくれた気がする。


4年ほど前に手に入れてからずっと愛用している黄色のロングスカートは、穴が空き、落ちない汚れが増え、裾がほつれて毛玉も出てきた。今よりずっとファッションに頓着がなかった頃、友人と色違いで買ったものだ。

似合うよ!買おう!とオススメされなければ手に取っていなかったものが、私と言えば、と思われるほど四六時中履かれたのが感慨深い。そんなこの子にも、そろそろいとまを出してあげたい


……とまあ、それぞれに宿る物語や記憶を思い返してしまえる。ゆえに、その思い出効果を打ち消して上書けるほどの、ぎゅん、と胸を鷲掴みにされる衝動を探して、きょろきょろと服屋を回ることになる。


服探しの旅路は困難

なるべく手持ちと合わせやすく、肌触りがよくて、シルエットがきれいな、手に取るたび心が躍るようなものと、出会いたい。もっと言うと、そういったものしかお迎えしたくない。納得のいかない買い物をすると、結局のところそんなに愛着を持てないからだ。それなら別の運命のお相手と巡り会ってほしい。

そんなわけで、お目当ての概念を抱きながらドキドキとうろつくが、そうすぐには決まらない。最近はその傾向がより強まっていて、セーター一枚買うのに何ヶ月かけたか知れない。こうなった理由のひとつは、foufou というとんでもなく素敵な服をつくるブランドの存在だろう。

その圧倒的な布量、ため息が出るほど美しいシルエット、うっとりとする素材のよさ、それを考えると信じられないくらいお手頃な価格を知ってからは、ショッピングモールに並ぶ「ちょっと(あるいはだいぶ)いい服」に手を伸ばせなくなってしまった。どうしても比べてしまうから。

(foufou が気になった方は以下をぜひ。一緒に虜になりましょう)


恋心に素直になれるビンテージのよさ

それでも服を買うなら、と考えると、それならビンテージがいいな、と思う。

敷居も値段も高い印象を、慣れるまでは私も持っていた。けれど、店員さんは案外気さくに教えてくれるし、質を考えるとむしろお財布にやさしいことのほうが多く感じる。納得をして、あるいはちょっとだけ背伸びをしてお持ち帰りした服を見ていると、おもわず笑みがこぼれる。


ビンテージ、および古着屋は、その場に並ぶ品の選択肢が少ないことも特徴として挙げられるが、むしろ私にとっては好都合となっている。

ときめきや衝動を信じつつも、自分のセンスには未だに自信が持ちきれてないから、連れに強く推されでもしないと、決めるのにとても時間を要してしまう。だから選択肢は少ないほうがありがたい。

そこになければないで諦めが尽く。あったとしても今だけかもしれず、誰かのお相手になったらもう二度と会えないから、毎度の来店が文字通り運命の瞬間になる。次お店に行ったときにもあったらお迎えする、という宣言が確実に効力を発揮するのは、ビンテージの特徴であり、その強い後押しによってよりいっそう、恋心に忠実になれる。


服を通してなされる交流も楽しい

とはいえ、ビンテージや特定のブランド以外を毛嫌いしているわけではない。ここは好き、と感じるお店は古着屋以外にもちょこちょことある。デザイナーさん自らが経営する直営店のときもあれば、ビンテージにオリジナルのプロパーを織り交ぜて並べているところもある。

一度気に入ると足繁く通う。そうして顔見知りになり、店員さんも私の好みを知ってくれるようになる。これ最近入荷したんですけどどうですかあ、と広げてくれる品に、よくわかってますね! とまんまと射抜かれることもざらで、これまた話が早い。

やりとりを繰り返しているうちに、こういう系統がやっぱり好きなんだな、とか、こういうのも意外と似合うのね、などとわかっていくのも楽しい。一緒になって楽しみながら選んでくれる店員さんがいるところは、つい何度も通いたくなる。服を通して、価値観や好みの交流がされるのも興味深い。あれ、服を探しに来たんだよな、と我に帰ることもあるくらい。


何度だって運命に出会いたい

そんなこんなで旅路は長い。こだわりは強くなっていくいっぽうだし、脱線もたくさんしてしまう。思い描く最高の洋服になかなか出会えずもどかしく感じることもある。でも、そもそもこの旅は、一生続くんだろう。

自分自身、これからいくらでも変わっていく。好みも、容姿も、考え方も。だから、そうやって変わっていく自分に一番近い場所で寄り添ってくれる存在も、少しずつ移り変わっていって当たり前じゃないか。

だとしたら、何度だって巡り会う出会い全部、運命だと思いたい。そうしてずっとときめいていたい。



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