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ロジャー・コーマン死去

 ロジャー・コーマンが亡くなった。98歳、自宅で死去。大往生ですな。

 「発掘」とはいいますが、早い話が駆け出しのスタッフ・俳優を起用しまくったんですね。そういう人達はまだ組合に入ってないから、最低賃金とか深夜・休日手当みたいなモノがない。つまり人件費を削りたいからと使ってた人達が、後年になって名を上げた結果がコレです。
 例えばコーマンがプロデュースした『デス・レース2000年』には、まだ売れてない頃のシルベスター・スタローンも出演。出演料はたったの1000ドルだったものの、当のスタローン本人はその翌年に自らが脚本も書いた『ロッキー』で一躍スターダムに。
 この件ではコーマン曰く「あれは良い買い物だった」とか。

 他にも有名な逸話を挙げると、代表作でもある『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』はスリラー・コメディ映画『血のバケツ』をセットを使い回して3日とかからず撮ったとか、別の映画ではロケ先で脚本を思いついて6日で作った……なんて伝説も残してます。
 もっともそれらの逸話は「美化されている」とも。要は若い人材を低賃金でこき使ってたとも言えるわけだから、そりゃ褒めたものじゃない。ただ、長い間プロデューサー兼監督として君臨してきたあたり、やはりコーマンは人を上手く廻してお金儲けをするのが上手な人だったわけですよ。

 この本に記されたエピソードで好きなのが、まだプロデュース業を初めた頃(50年代後半)の話。ある俳優さんは「ギャラが$500は安すぎる」とコーマンに交渉したところ「なら$1500出そう」。気前が良いなと思ったら「その代わり、あと2本映画に出てくれ」と。それじゃ一緒じゃないですか、と言ったところ「そうだよ。でも君は映画2本分の仕事を貰えた」。
 ……とまあ、ケチケチエピソードと言えばそうですけど、やり方が上手すぎるんですよね。

 コーマン本人も、自分のトコで安く使ってやろう、てなつもりは無いと思うんですよ。あくまでも「若手で才能がありそうな人間を、ギャラが安いうちに『君たちに映画のノウハウを教えよう』という体裁で使う」。それで60年間ずっとやって来た。案外、この人には勝てないな、と思わせるオーラを持つ人だったのかもしれませんな。でなけりゃ「帝王」なんて言われるはずがない。

 そういえばロジャー・コーマン絡みだと、こんな映像もありました。

安齋肇「ユアン・マクレガー、ホセ・フェリシアーノ、
    ジャケク・コーマン……コーマンさんもいるんですよ」
タモリ「誰、コーマンって?」
安齋肇「コーマンって名前の人もいるんですよ」
タモリ「……いい名前だね」
安齋肇「そこに引っかからないでくださいよ!
    映画監督にもいるじゃないですか、”製作:コーマン”って。
    コーマン映画は安上がりなんですよ、いやホントだって!」

 このやり取りをみてると「『やっぱり』B級映画の帝王なんですよね。安齋さんは知ってたけどタモリさんはずっと「?」だった。メジャーではないけど通な方にとっては「いつもの人」なのがよく分かります。

 100歳になってもなおプロデューサー業をやってた、てなこともあったのかなぁ。
 ロジャー・コーマン氏の御冥福をお祈りします。

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